第一世界アリストス

第7話 女王アリステア


 俺が現実世界、もしくは本来の世界と言えばいいのか、に帰ってきてから2週間が経ち、リアルタイムにおける1年半のブランクをツギハギだらけではあるもののどうにか埋めつつあった。


 だけどその反動で精神的な疲労がひどい。学校生活はもちろんだけど、家での生活も基本的にゆっくりするヒマがないほどに慌ただしいせいだ。

 なにせ自分のベッドで休んでいてすら気が休まることがない。何故なら、


「こら従僕、せっかく妾がこうして遊びに来ておるというのにぐうたらとしているでない。ほれ、きちんと歓待せんか」

 俺の部屋に勝手に入り込んで我が物顔で居座る女がいるからだ。


「アリステア、なんでお前がここにいるんだよ。鍵はかけたはずだぞ」

 それも3つも。なのにこいつが部屋のドアを開ける気配すら感じなかった。


「うむ、鍵は今もきちんと掛かっておるぞ。これはあれじゃろ、妾と2人きりの時間を邪魔されたくなくて厳重にしたのよのう。わかっておるおる、妾はようやく完成した従僕の部屋への直通ゲートを使って今後は出入りするので問題はないぞ?」

 悪びれもなく胸を張る、赤い女王。


「大問題だよっ。いつの間にそんなものを作ったんだ? というかこの部屋はお前たちが勝手に協議して空間系の干渉をできないようにしたんじゃなかったのか?」

 抜け駆け禁止、とやらの名目でアリステアが率先して議題をかかげて不干渉の結界を張っていたはずだ。


「ん、今もそうなっておるぞ? 狼娘はともかく、年増とポンコツメイドの結界はなかなかに頑丈でな。妾専用のゲートを作るのに国家予算1年分の魔力リソースを使ってしまったのじゃ」

 アリステアは豪快に笑いながら、とんでもないことを平気で口にする。


「しまったのじゃ、じゃねえよ独裁者。今度こそ断頭台で処刑されるぞお前」


「問題はないのう、妾の手腕であちこちに秘匿した裏金もとい裏魔力は国家予算10年分じゃ。まだまだ好きなだけ我が侭を押し通せるぞ」


「どうどうと裏金とか言ってんじゃねえよ。余ってるなら国に納めろ」


「先ほど従僕が言うたではないか、妾を独裁者と。独裁である以上、国庫とは妾のサイフに他ならぬ。文句があるのなら妾の首をねればいいのじゃ。もちろん、国民連中に妾と挿げ替えるだけの首があればの話じゃがな」

 カッカッカと、中世の再現ドラマに出てくる悪役貴族のような哄笑をあげるアリステア。

 だけどそれは大きな語弊がある。彼女は決して悪役なんかじゃない。


 はっきり言ってしまえば、彼女は『悪』だ。


 自身の傲慢を恥じることなく、他人を容赦なく踏みにじり、誰かの痛みに気付いてなおわらう。


 そもそも、昨年にこの国を侵略してきた異世界の王こそが、彼女なのだから。


「そんなことを言ってると、本当にいつか足元すくわれるからな。というかお前、去年あの財善寺と戦ったんだろ? よく生きてたな」

 先日見た、彼のマテリアルギフトを見てつくづくそう思った。もし仮に俺のアストラルギフト『エンカウンター』だけで財善寺と戦った場合、俺は間違いなく敗北する。


「ザイ、ゼンジ? ああ、あの小僧のことか。まあ確かにマテリアルギフト『天帝』じゃったか? あれは良いギフトじゃったの。じゃがいかに優れたギフトであろうとも、結局はその使い手次第よ」


「ん? アイツは十分以上に使いこなしてただろ。何が悪かったんだ?」


「ヤツは正義の立場で我と相対した。その時点で妾に敗北はなくなったのじゃ。のう従僕、正義の弱点を知っておるか?」


「正義の、弱点? 人質を取られると弱い、とかか?」

 目の前ののアリステアなら平気で人質を取りそうだなと思いながら口にする。


「まあ悪くはないが、30点じゃ」


「いやいや、平気で赤点だぞ」

 進級を危ぶまれてる俺にとってはすごく嫌な点数だ。


「そりゃそうじゃろ、人質を取ればその人質こそが悪人にとっても弱点となる。人質の安全を確保された時点で、敗北したも同然なのじゃからな」


「まあ、そうとも言えるのか? じゃあ何なんだよ、正義の弱点って」


「それは、正義はになれぬことじゃ」


「どういう、ことだ?」

 一般市民の俺には悪辣な王の思考がわからない。


「正義は先出し出来ぬ。正義を掲げて無抵抗な何かを害するのなら、それはその時点でただの悪じゃ。正義が最後まで正義面したいのなら、裁くに値する悪が育たねばならん」


「随分と抽象的だな。具体的にはどういうことだ?」

 なんとなく言いたいことはわかるが、どうしてもふんわりとしか理解できない。


「な~に、正義は落としどころに弱いというだけの話。最初からオチを用意しておけば、どちらかが死ぬまで戦うようなことにはならん。路地裏で強盗に襲われた時、金品の10分の1のみを奪われたとしたら、憲兵に報告はしても身体を張って取り戻そうとは思うまい。命が助かり、金の大半が残るのなら生きていく分には問題ないからの」


「……ほう?」


「分かりづらかったか? じゃあこの世界風に言うのならじゃの、満員電車の中で若い女子おなごが手近な男の腕を掴まえてから身体を軽く触らせて『痴漢ですっ』と叫ぶじゃろ?」


「おい、ちょっと待て」


「するとたちまち男は拘束されるわけじゃが、女子おなごは別に男に懲役に入って欲しいわけでも国に対して罰金を払ってもらいたいわけでもないのじゃ。そう、穏便に事を済ませたい男に払える範囲の示談金を提示して小遣いを獲得するのじゃな。これが落としどころじゃ」


「……恐ろしいほどの巨悪の話だったんだが?」

 ほとんど勝ち目なんかないだろそれ。


「何、まだ分かりづらい? それじゃじゃな、若い女子おなごがホテルに男を連れ込むじゃろ?」


「いやもういい、聞きたくないっ。なんでお前はこっちの世界のそんなゲスい話に精通してんだよ!?」


「知は力であり無知は罪じゃ。妾からすれば世に出回る情報において下種げす上種じょうずもない。とりあえず頭に入れておき使える時に使う、もっとも効果的なタイミングでの」

 最低な話ではあったが、アリステアの為政者としての顔が垣間見えた。


「それで結局、お前は財善寺を前にどう立ち回ったんだよ?」

 これ以上に話を広げると聞きたくもないアングラの情報が掘り起こされそうなので、はじめに聞きたかったことに話を戻す。


「だからのう、一番最初に圧倒的な武力を提示する。この時に人的被害を出さないのがミソじゃな。文化的な価値が低く、再建可能なモノであれば徹底的に破壊して良い。そして要求の提示じゃ、確かあの時は『東京を除く日本国土全ての自治権を妾の世界アリストスへ移譲すること』を要求したの」


「無茶苦茶すぎる。それに何で東京は除外したんだよ?」


「視点をずらす為じゃ。今の従僕のように『何で?』と思わせることに意味がある」


「それで異世界からのリターナー、とんでもないマテリアルギフトを財善寺が登場したわけだろ」

 本来であればその時点で詰みだ。あの財善寺と正面から相対した時点で勝機なんかない。


「まあ予想外ではあったが、想定外ではない。どんな相手であろうとすることは変わらんからの。従僕よ、こういった場合の相手側の初手が何か知っておるか?」


「……威力偵察、小手調べだろ?」


「そうじゃな。妾が人的被害を出してない以上、相手側は初手から全力全開とはいけぬ。まずは最小火力で事態の鎮圧に臨まねばならないのじゃ。正義側に立つのなら、な」


「じゃあつまりお前は」


「そうじゃ、ザイゼンジじゃったか? 妾はヤツの初撃に全力で合わせた、もちろん余裕のあるフリをしてじゃが。ここで『対等な武力の衝突』が起きたように見せることが肝要じゃな。そして妾は即座に要求の変更を非公式で提示したのじゃ『日本国のある一区画に女王アリステアの居住権を認めること』と」

 第一の要求からするとひどくスケールダウンした要求だ。


「とんだドアインザフェイスだな。外交でそんなもの使うなよ」

 ドアインザフェイス、最初に過大な要求を1度断らせて、次の実現可能な要求を通しやすくする手法だ。


「1番欲しいモノを相手に悟らせぬ、それもひとつの外交よ。結果、この国は全土をかけての戦争か、異国の王をひとまず住まわせるかの2択を迫られたわけじゃ」


「なるほどな、その2択なら間違いなくこの国は後者を取る、か。表向きでは侵略者を人的被害なく撤退させたと報じて、裏では内密に相手の要求を承諾する。確かに上手な外交なんだろうよ、お前が住む場所にを指定してなきゃな」


「そんなに感謝するでない従僕、むずがゆいではないか」


「なんでそんな押しかけ強盗みたいなヤツに感謝すると思うんだよっ」


「?? 妾がこのペットハウスに住んでおるおかげで従僕の底辺世界が最上級世界であるアリストスとの異世界交友ができておるのじゃぞ? 直通のゲートを安定化させる予算も全部こっち持ちで、この世界との貿易は完全にこちらの赤字じゃし、おかげで妾の国は大散財じゃ」

 こいつ、言うに事を欠いて人の家をペットハウスって。そのうち本物のペットハウスに押し込んでやろうか。


「国としてはそうなのかもしれないがな、お前に住みつかれてる俺らにメリットがないって言ってんだよ。最初は屋根裏にでも住まわせてくれたらそれでいいとかしおらしいこと言ってたはずなのに、気付いたら勝手に3階を増築して異世界ゲートまでここに開いて、とんだフットインザドアだよ」

 フットインザドア、小さな要求を飲ませた後に大きな要求を通していく、押し売りとか営業のテクニックだ。

 アリステアには良心の呵責とかまったくないので、こいつと交渉してるとこちらが必ず何かしらの要求を飲まされることになる。

 唯一の対抗策は一切の話をさせずに圧倒的な暴力で封じることだが。


「なんじゃ従僕。─────いいえ、。そろそろ、私を殺したくなった?」

 口調と目つきが変わり、アリステアは蛇のように俺の身体にしなだれかかってくる。


「私が、嫌い?」

 妖艶な瞳が、俺に懇願するように見つめてくる。


「………………っ、」



 もう一度、はっきり言う。彼女は『悪』だ。



 だけど、俺は、そんな彼女を嫌いだとは、どうしても口にすることができなかった。



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