第4話 魔王ランゼウス
黒い雷雲が空を覆い、大気は重苦しく淀む。
『おお、探したぞ勇者ゴートよ。まさかこんな辺境の世界に逃げ込んでいるとは思いもしなかったぞ』
だが、魔王と呼ばれた男の口にする言葉の方が、その何十倍もの圧力をもって響き渡った。
異変を察知した教職員たちはグラウンドに駆けつけようとするも彼の声を聞いただけで身体が震えて動けなくなり、教室から外の様子を窺って騒いでいた生徒らも恐怖で口を開けなくなった。だが、
『魔王、ランゼウス。僕は、辺境世界に逃げたんじゃない。僕は自分の世界に戻ってきたんだっ』
財善寺だけは肩を震わせながらも朝礼台から降り、魔王ランゼウスへ向けて一歩前に進む。
『なんと、逃亡ではなく帰還だったと? ほう、それは失礼した。だが良かったのか? あの世界、レッドスフィアで貴様は我を倒すことなく帰っていったではないか。我はあれでも一応期待しておったのだぞ。力ある若者が我を打倒せんとやってくることをな』
不気味な笑いをあげながら、魔王は財善寺へ手を差し向ける。
『何をふざけたことをっ! そんなことのためにお前はあんな残虐な行いを繰り返したっていうのか?』
『ふうむ、そんなことのためかと言われれば、ああ確かにそんなことのためよのう。我も永く生きるとたいがい暇でな、退屈しのぎは常に探しておらんと生きる張り合いをなくすのだ』
まるでそれが長寿の秘訣とでも言うように、健郎な老人の語り口で魔王は笑い続ける。
『ランゼウス、キサマッ!!』
『ああ、そうだそうだ。その退屈しのぎにお前の仲間もきっちり殺し尽くしたのだった。ほれっ』
魔王ランゼウスは自らの黒衣の中から何かを取り出し、財善寺の前に放り投げた。
それらは、折れた剣であり、杖であり、砕けた盾であり、弓だった。その全てが、赤い血で濡れている。
『この武具は、まさか。ユーフィル、カナリア、ザイーク、アリシアの……』
血濡れの武具を目にして、財善寺の顔が絶望の色に染まっていった。
『おお、気付いてくれたか。いやぁ、嬉しいぞ。本当はちぎりとった首を持ってきた方がわかりやすいと思ったのだが、生ものを持って時の海を越えるのは色々と難儀でな。代用品で我の意図が伝わって安心したわい』
魔王ランゼウスは哄笑をあげる。ただそれだけで幾条もの黒雷が彼の周りを
『ゆる、さない。キサマだけは赦さないぞ、ランゼウスッ!!』
財善寺の瞳に怒りの火が灯る。
『マテリアルギフト・天帝っ』
財善寺の呼び声とともに、彼の手には明らかに尋常ではない剣が握られていた。この世のモノ、少なくとも地球上には存在しない物質のみでカタチ作られた異質な武器。
『天帝剣アーススフィア最大出力、世界盾アトモスフィア励起、星界玉アストロスフィア起動!!』
黄金の剣が天を貫くほどに光り輝き、水晶のような凝縮されたいくつもの大気の盾が財善寺の周りを意志を持つかのように周遊する。さらには内側で満天の星が煌めく謎の玉体が彼の側に浮いて微細な振動を開始していた。
そうか、あれがマテリアルギフトなのか。
『なるほど、それが名高き勇者ゴートの力か。良い、良いぞ、その力で我を愉しませてみせよ!!』
魔王ランゼウスはまるでこれから抱擁をするかのように両手を大きく広げ、財善寺を待ち構える。
『舐めるなっ。もちろんキサマを殺してやるさっ、はぁっ!』
対する財善寺は目にも止まらぬ神速で踏み込み、容赦なく魔王を袈裟斬りにしていた。
『ふむ、良いぞ。痛みを感じるのは久方ぶりだ』
だが魔王の顔に浮かぶ余裕の表情は変わらない。
『っ、まだまだぁ!!』
財善寺が謎の剣を振り抜くと同時に彼を守護していた水晶の盾が100個以上に分裂してマシンガンのような勢いで魔王に向けて掃射されていく。
『おお、おおっ! 心地よいぞ勇者ゴート。そうだ、そうでなくては若者よ。さあ、もっと全力で我を殺して見せよ!』
『当然だっ! 星界玉・生命同期、スタージェネシスエンド!!』
財善寺は謎の玉体を手に、力強く魔王へと押し付ける。すると魔王の肉体が末端から自己崩壊を始めた。
『なんと!? これは新しいぞ勇者、我が身が、崩れ解れる、だと?』
『芝居はよすんだランゼウス、僕はこの程度でキサマを倒せるなんて思ってないっ』
身体が崩れて身動きのできない魔王ランゼウスを前に、財善寺は彼が天帝剣と呼んだ剣を両手に大きく振りかぶる。それとともに水晶の盾が刀身に融合し、謎の玉体は柄のコアへと吸い込まれていく。
『天帝剣、世界盾、星界玉統合。全てを束ねて悪を穿つ、これで最後だぁ!
蒼き極光を纏った剣が振り下ろされ、魔王ランゼウスを中心に星の新生のような超爆発が起こった。
「って、おいおい。そんなことしたらここにいるみんな死ぬだろ。ん? ああ、一応ちゃんと結界は敷いてあるのか」
俺は遠目で観察しながら、あそこで起きていることをなんとなく分析していた。どうやら財善寺の超絶的な一撃は魔王を中心として一定の空間の外には影響を及ぼさないようになっているらしい。
『はぁ、はぁ……こ、これで』
財善寺は肩で息をしながらも、謎の凄い剣をしっかりと振り抜いて魔王ランゼウスとやらの命を確実に絶っていた。
少なくとも、誰が見てもそう思えるくらいには魔王の肉体は原型を留めていなかった。
『や、やったくぁ!?』
しかし、財善寺が安堵の声を挙げる間もなく、気付いた時には魔王ランゼウスの力強く伸びた腕が財善寺のあごを容赦なく掴んでいた。
『いやいや、惜しいのう。せっかくいい線を行っておったのに、お前たちはどうもすぐに気を抜くからいかん。魔王を一回殺せば終わりだなどと誰も言っておらんだろうに』
現れたランゼウスの身体には傷一つ見当たらない。
『キ、サマッ。ブルー・スフィアは直撃だった、はず』
『応とも、しかと喰らってやったわ。ここしばらくの中では最高の出来であったぞ勇者ゴートよ。お前の仲間たちも一度はこの身を滅ぼしたが、実にチマチマしたやり方で我の好みではなかった。やはり全霊を懸けた一撃こそがもっとも味わい深いわい』
ランゼウスは満足そうに空いた手で自身のあごをなでる。
『ふざ、けるなっ。だったら、あと何回お前を倒せば、いいんだ!?』
掴まれたあごごと身体を持ち上げられながら、財善寺の目にはまだ戦意が灯っている。だが、
『あと何回と言われても、答えるのは難しいのう。我は数多の世界に遍在するが、それを一つ一つ数えてはおらんからなぁ。此度は勇者ゴートに敬意を表して10体の我をストックしてきておるが、仮にそれを倒しきったところでまた新しい我がやってくるだけじゃぞ?』
魔王ランゼウスの言葉は、なによりも絶望的だった。
『そん、な』
財善寺の心が、折れかける。
『ああ安心せい。お前を殺したら我は帰るぞ。こんな安っぽい世界に用はないからの』
淡々と魔王は語る。何故だか彼の言葉は、それが真実であると誰にでも伝わるものだった。逆に言えば、まったくと言っていいほどあの男はこの世界に価値を見出していないということでもある。
『僕の命と引き換えに、この世界を見逃す、と?』
『ん? 我の言い方が悪かったか? 勇者ゴート、我はお前にしか興味ない。お前を殺した暁には勇者のマテリアルギフト、天帝とやらでしばらく遊ぶとしよう。ここではない、また遊び甲斐のある別の世界でな』
魔王は告げる。財善寺の死に、英雄的な価値などないと。ただ、あの気まぐれな魔王のお遊びのために、これから殺されるだけなのだと。
『─────い、イヤ、だ。僕は、死にたくない』
心からの声がこれから無惨に殺されるだろう少年から漏れ出た。
「…………」
俺が、命を懸けて助けに行く義理はないだろう。彼は異世界を傲り、異世界に殺される。
魔王が彼の死とともにこの世界を去るのもおそらく本当だ。
それほどまでにあの魔王はこの世界自体に興味がない。
ここで余計な茶々を入れて、彼が俺たちの世界と本気で敵対する方がマズい。
冷静に、冷徹に、少年の死を世界に必要なものだと受け入れよう。
魔王の鋭い爪が、財善寺の心臓を狙って振りかぶられる。
「嫌だ、死にたくないっ、生きていたいっ。だって僕は、逃げて、仲間に背を向けてでも、
慟哭が、はっきりと俺の耳に届いた。
その叫びだけは、『帰りたい』という願いだけは、俺は聞かなかったことにできなかった。
「ちぃっ」
衝動的に屋上のフェンスの網を掴んで飛び上がる。当然落下先はグラウンドの地面だ、正気じゃない。
だが幸いにも財善寺の先ほどの強力な一撃でグラウンドの土は舞い上がり、濃い砂埃になっている。
これなら誰にも見られはしないはず。
屋上から落下しながら財善寺と魔王を見る。財善寺の水晶の盾が魔王の一撃を砕けながらも阻み、彼はどうにか魔王の拘束から抜け出していた。さすがは異世界からのリターナーだな。
数秒後の地面との衝突の衝撃を膝を曲げて殺す。かなり痛かったが、一応走れそうだ。
一息入れる間もなく俺は全力疾走でグラウンドを駆け抜け、一歩一歩、財善寺をもてあそぶように追いつめる魔王の前にどうにか滑り込んだ。
「魔王、待てっ!」
勢い余って転びそうになる自身をどうにかこらえる。
「なんだ、ゴミが転がって来たぞ? 勇者ゴートよ、勝手にゴミクズが転がり込むのはこの世界の名物か何かか?」
当然、魔王は俺を歯牙にもかけない。
「キ、キミは。やめろ、早く逃げるんだ。殺されるぞっ」
今まさに殺されそうになっていた財善寺が、俺の心配をしている。本当、良いヤツなんだな。やっぱり仲良くは、できそうもない。
「ちょ、ちょっと待てっ。こっちは息が、あがってんだ。はっ、はぁ」
張り切りすぎた。さすがに100m8秒ペースは、最近運動してなかった身にはツラい。
「3秒以内にまた転がり去るのなら許す。我と勇者の遊びを邪魔するでない」
魔王の最後通告。ゴミに自ら手をかける価値もないということ。だから、
「つれないことを言わずに俺も混ぜろよ。5億年ぶりだろ、魔王ランゼウス」
その怠惰と傲慢が、こいつの死因になると知っているのは、俺だけだった。
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