第2話 佐伯譲汰

4月に入っても寒さは続いた。


「三寒四温と言うけど、これ じゃぁ三寒四寒だよ。」


今日も電動自転車は狭川を病院へと導いた。

日本は海外で起こった海底火山の大爆発の影響により、気候変動が起きていた。

地球全体が0.7度気温低下を起こした。

そのニュースをテレビで見た狭川は眉間に皺をよせ、暖かい室内でも絶えるようなしぐさを見せるようになった。




「先生、有難うございます。今まで、ずっと人に言えなかった悩みを口に出して言えた事で死にたいと思う事がなくなりました。」


佐伯譲汰さいきじょうた21歳。

6か月前から狭川の元を受診ている。

然し、「死にたいと思う事が無くなった」という言葉のあと数日中には自殺未遂を起こしていた。

自殺は、本人たちの尊厳を守る為の一時的手段なのである。

自殺を企てる事で人が自分の方に向いてくれる。

いわば生きている希望が自殺なのだ。

彼の治療法には感情調節集団療法を取っている。

患者同士のグループを作り、感情調節、受け入れ、価値観などを見出し、回復へと導くのだ。

そのデータを積み上げた結果として、言葉のキーワードを見つけ出した。

其れが、「死にたいと思わなくなった。」である。

それでも狭川は佐伯の気持ちを受容する。


「そうですか、とても悩んでらしたのですね。私も、佐伯さんのお話がとても前向きで安心感を持ちました。」


狭川の言葉に頷くように笑顔を作った佐伯だが、診療室を出ていくときの顔は、自殺実行と言う目的をしっかりと持った顔つきだった。

狭川は、石礫に家族へ電話を入れるように頼んだ。


「こう言ってください。今日は、危険な日の様ですと。」




診察室から窓の外を見ると、白い綿毛のようなものがちらちらと舞い落ちていた。


「まさか、雪か。」


狭川は立ちあがって、鉄格子が入った窓枠のそばで渋い顔をした。


病院の診察室は2階にあり飛び降りの危険回避の為、病院の窓には鉄格子あるいは、窓が開けられない作りになっている。

建物自体は3階建てで3階は窓が無い作りになっている。


「帰りが大変だ。」


診察は、午前中に終わる。以降は、入院患者への回診をするのが茶飯事だ。

回診日というくくりを持たず、患者を見回りながら気になる人に声をかけ症状を把握して行く。

総合病院のため、精神科病棟に入院できる患者は限られた重症者のみである。








「お疲れ様でした。」


自転車置き場で、帰ろうとしていると鴨臥木院長から声を掛けられた。

狭川は何時も申し訳無く思う。

気付くのがおそい為、帰りの挨拶を先に行った事が無い。

しかも、院長に対しても一度も先に言っていない。


「雪がチラついていたが止んで良かったね。」


院長に只頭を下げて後れを取った事と挨拶を同時にするのが狭川の日常だ。

院長に「気をつけて帰られてください。」と言おうとするが、装備や乗っている自転車の格の違いに自分が一番気をつけなければならない事を悟って「お疲れ様でした。」だけを返すのが精いっぱいだった。

 令和4年5月。山見静の三回目の診療日。

季節は遅れた春を倍に返すように、連日の夏日が続いた。


狭川は、ここのところ、ロッカーで下着まで着替えなければならなくなっている。


「ついこないだまで、雪が舞っていたのに、汗かいて着替えが無かった時に自分の椅子が濡れていたのを患者に漏らしていると言われた時は恥かしいのなんのって。」


それ以来、下着の替えもリュックに入れて持ってくる事にしたのだ。


 静は、落ち着きすぎるほど落ち着いていた。

彼女に対しては、DBT弁証法行動療法で対応している。

この療法では様々な人が関わり、24時間彼女を守る。

然し、今の彼女の落ち着きは一仕事を終えた表情をしていた。


「もしかしたら。」


狭川は嫌な予感がした。

服装からリストカットの確認は出来そうにない。

それでも強引に腕をまくるような真似をすれば二人の信頼関係が崩れてしまう。

たくさんの人達で守っているものを潰すような真似は厳禁だ。


「この一カ月、生活の方はどうでしたか?」


彼女は、一人暮らし。両親から離れ、自立をしたいという彼女の意志を尊重している。

両親の反対は有ったが、昭和の古い考えによる間違った思想からだった。

所謂、家に閉じ込めると言う事だ。

ある意味死にやすい状況を作る事に繋がる。


「はい、彼が最近ご飯が美味しく料理の腕が上がったと言ってくれました。」


恋人と同棲していることは両親から聞いている。

狭川には幸せの表現に思える。

自分が作ったものが美味しいと言われる事は、物作りでお客に喜ばれるようなものだ。


「そうですか、とても幸せな言葉を彼に頂きましたね。」


然し、彼女の表情は平素を保っていた。


「それでは、今回、血液検査をしますが宜しいですか?」


勿論、リストカットの確認もあるが、体調の確認も怠れない。


「はい。」


言葉に遅れが無い。


「石礫さん、血液を。」


石礫は、注射台を用意し、隣の検査室に彼女を誘った。




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