【1‐12】カルロは知らない

 カルロの朝は早い。


 日の出前に寝床から置きだし、朝支度を軽く済ませる。カルロは養護院を預かる責任者であるため、常に世話をしている者たちに示しがつく恰好を心がけていた。

 身支度を済ませるとランプ片手に世話している者たちの様子を見ていき、不寝番に不審なことがなかったかを確認する。太陽が顔を出し始める頃に、他の養護院の職員と孤児たちを起こし、朝食の用意をする。


「新しい朝を迎え、心と体を支える糧を下さった神に感謝します」


 朝食を皆で囲み、隣りの人と手を繋いで祈りの文句を唱える。食前の祈りを終えると、さっそく目の前の食事に手を出す子どもたち。

 カルロはその様子を微笑ましく眺めながら、自身も手を付ける。少ない量を噛みしめながら、今後のことに考えを巡らせた。



 養護院はもともと小規模な運営だった。養護院は寄付によって成り立つ施設だが、不幸なことに領主を筆頭とする貴族に顧みられず、養護院の運営はぎりぎり。スラム街にいる職がない浮浪者や孤児たちに数日に一度、一食分の炊き出しをするのが限界だった。

 その状態が変化したのは、数年前に一人の冒険者が現れてからだ。エレンという剣士は正義感の強い人物で、冒険者として稼ぎの多くを養護院に寄付してくださっていた。


 名をあげ始めたエレンさんは、一つだけ私たちにお願いをした。それは孤児院を創立すること。

 「苦しむ子どもを少しでも減らしたい」と語ったエレンさんは、その目線の先に誰かを映しているようだった。


 ここ数年はエレンさんが率先して寄付をしてくださっていたおかげで、養護院は運営できていたのだ。



「院長せんせーい! 次はエレンさんいつ来るの?」


 子どもたちのなかの一人が、服の裾を引かれる。その子に合わせて屈むと、そんなことを訊かれた。

 エレンさんは時々養護院に来ては、子どもたちの遊び相手になっていた。けれども、もうエレンさんがここを訪れることは永遠にないのだ。


「エレンさんはね、ちょっと遠くでお仕事があるみたいでね」

「知ってるよ、エレンさんはちょー強い冒険者なんでしょ!」

「そうだよ。だから、しばらく来れないんだ」


 目に涙をこらえながら、それを悟られないように言葉を紡ぐ。


 エレンさんの訃報はただちにポート=リンチ内に広がったが、養護院で保護している子どもたちにはそのことを教えていなかった。

 子どもたちにとってエレンさんは、まさにヒーローだ。そんなヒーローの死を、大人だって信じたくないほどのことなのに、子どもたちには尚更伝えられなかった。


「ほらほら、畑仕事の時間だよ」

「はーい」


 頭を撫でて送り出す。その子は残念そうにしたが、すぐにイキイキとした様子で仲間たちのところに駆け出して行った。

 その背を見送っていると、後ろから同僚が話しかけてくる。


「ここの予算のことなんですが、どうしましょう、院長」

「ふむ、あれをこちらに回すことは?」

「そうなると、孤児院の方に回す予算が」


 エレンさんの死は、心情的な面からも、養護院の運営の面からも、大きな痛手だった。彼女は養護院の最大の出資者であり、彼女の寄付がなくなった今、運営は非常に不味い状態だ。

 同僚とあーでもないこーでもないと相談していると、また別の職員から声をかけられる。


「院長、サムさんがお越しです」

「わかったよ、院長室に通してくれるかい」


 ひとまず、予算の件は保留にして、カルロは院長室に向かった。


 確かサムというのは、エレンさんのパーティメンバーの一人だったはずだ。何用だろうと思案を巡らせながら、カルロは自室のドアを開けた。


「お久しぶりです、院長」


 頭を下げるサムの姿は、誠実そうな青年の姿そのものだ。その顔は、おそらくエレンさんを失った心労からだろう、影を落としていた。

 まず、訪問が遅くなったことの謝罪をされ、次にエレンさんの殉職の経緯を話してくださった。


「寄付を続けたいのですが、エレンの存在の喪失は大きくて」


 悲痛そうに事情を話す青年に、何が言えようか。こちらのことは気にしなくていい、と言う他なかった。何度も申し訳なさそうに頭を下げるサムを、逆にカルロが慰める。



 サムを門まで送り、カルロは一人頭を悩ませ続けた。


 現実問題、養護院の予算は見通しが立たない状況だ。新たな寄付なしに、どうやって保護している人たちの面倒を見られるか。今、世話している人たちをほっぽりだすことはできない。




「ここの責任者はお前か?」


 横柄な声で呼び止められ、カルロは咄嗟に振り返り、頭を下げた。


 今日は来訪者が多いなと内心思いながら、この横柄さはおそらく貴族だろうと見当をつける。これまた上から目線で、頭を上げてよいと許されて顔をあげると、ポート=リンチ騎士団の紋章が目に入った。


「寛大なる領主様が養護院への寄付を増やすとおっしゃった」


 一方的にそう言われ、カルロは目を丸くする。戸惑うカルロに、騎士はずっしりと重い袋を渡した。中身を一目見て、カルロは思わず声をあげてしまった。袋の中身は全て金貨であり、それだけで養護院の数か月分の予算になるだろう。


「こんなにッ――――!?」

「感謝しろよ、これは今月の分だ。来月分はまた届けるからな」


 ふんと鼻を鳴らす騎士に、カルロは心からの感謝を伝える。地に体を伏せんばかりに感謝するカルロの姿に、気分がよさそうに騎士は見下した。

 今回ばかりは、貴族に見下されようと、蔑まれようとカルロは構わない気分だった。


 騎士を見送ったカルロは独り言ちる。


「いったい、どんな風の吹き回しなんだ……」






   ◇◇◇






「無事届けました、メイ様」

「ご苦労様」

「ありがたきお言葉です」


 騎士団の詰所の一室でそんな会話があったことを、カルロは知らない。

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