【1‐10】あなたはだれ?
マシューはレイラを探していた。
任務後の騎士団詰所での、マシューの報告後に、食事の約束をしていたからだ。
しかし、見つからない。普段ならあり得ないことだ。たいてい、マシューの見当のつくところにレイラは待っていたし、何か不測がったとしても誰かに伝言を頼んでいた。
「なあ、フィッツを知らないか?」
「マシュー副騎士団長、任務お疲れ様です。フィッツ様なら、会議室に呼ばれているのを見ましたよ」
「ありがとな」
馴染みの仲間に訊くと、『会議室』という答えが返ってきた。
礼を言って、急いで向かう。
最近、レイラが騎士団長やディミトリ顧問の派閥に誘われていることを、マシューは知っていた。
もちろん、レイラが鞍替えなどしないことは、重々承知していた。レイラとは幼い頃からの付き合いで、彼女が芯を持った強い女性だということを、マシューはよくよく実感している。
だからこそ、彼は彼女のその性質を心配していた。
フィッツ家は、貴族とはいえ准男爵。2つ上の階級である子爵の命令には、基本逆らえない。平民と違い、理不尽に殺されたりはしないだろうが、全くの無事のままではいられないだろう。
レイラが勧誘を断っても無事なのは、ひとえに彼女の優秀さからであり、心からの忠誠がなければ裏切られた時の報復がどうなるか予想つかないからだ。
レイラは強く正しい人だけれど、必ずしもそれが彼女を救うとは限らない。むしろ、彼女を窮地へといざなうことの方が多い。
ずっと昔、まだ子どもだった頃。彼女は街の素行の良くない少年たちを叱り飛ばし、二人で町中を逃げ回ったことがある。もし彼らに捕まっていたら、子どもと言えど少なくとも半殺しにはなっていた。
少し駆け足になりながら、廊下を渡る。
会議室の前に到着し、念のためノックしてから入室する。
扉の先には、――――誰もいなかった。
ガランと空いた部屋。人の気配は、既になくなっていた。
「レイラ………………ッ」
嫌な予感がした。
自分のこの予感は、最悪なことに信頼に値した。
彼女は、どこに。
この短時間では遠いところに行ってないはずだ。
「こちらにおりましたか、副騎士団長?」
「………リドリー様」
「フィッツをお探しのようですね」
声をかけてきたのは、ジェイムス・リドリー。代々騎士を輩出してきたリドリー男爵家の人間だ。マクスベルの右腕をしている。
この男は、騎士にしては慇懃な物腰をしているが、腹の底は腐った奴だと定評がある。マシューも全くの同意だ。何度、煮え湯を飲まされたことか。
しかも、登場タイミングが良すぎる。随分とちょうどよく現れている。
もしかすると、自分は監視されていたのかもしれない、とマシューは直感した。
「彼女がどこにいるか、ご存知なのですか?」
「そうですね。私は知らされておりませんが、この詰所内のどこかしらにはいるでしょうな」
はぐらかす言動に、苛立ちが募る。
教えてくれないのなら探しに行きたいのに、リドリーが邪魔で動けない。名目上の役職ではマシューの方が上だが、こちらは平民であちらは貴族だ。
リドリーを無視して突破することはできない。
「俺は彼女に用があるんです。失礼します」
我慢しきれず、マシューは立ち去ろうとする。
この時、マシューは焦燥を抑えきれずにいた。レイラの身に危険が迫っていることを、確信したからだ。
立ち去ろうとするマシューは、リドリーがニヤリと口元を歪めたことに気づかなかった。
普段なら、このくらいの失礼には、後々騎士団長室に呼び出され嫌味を聞かされ、厄介な仕事を理不尽に山積みされるだけで済んだだろう。
しかし、今回は違った。
「平民マシューを貴族への不敬罪で拘束しろ」
マシューの背に投げかけられる命令。
はっとマシューが気づいた時には、見えないように控えていた騎士たちが、彼の体を固く拘束する。
数人の騎士たちが、マクスベル派とディミトリ派の混合であったことも、マシューを困惑させた。
「どういうつもりだ」
「ある方が、貴様をお呼びなのだ」
「騎士団長か、ディミトリ顧問か」
「どちらでもない」
リドリーは悠然と、マシューを見下ろす。
腕を後ろで組まされ、床に押し付けれたマシューには、下から睨みつけることしかできない。
マシューは優秀な騎士だ。不意打ちでなければ、ろくに鍛えていない貴族や富裕層出身の者たちを数人相手してでも勝てる実力がある。
だけれど、焦りがマシューの思考を曇らせた。
それにこれまでにはなかった程、彼らの練度が上がっていたことも一因である。
マシューは一切知らないことだが、メイの支配下に入ってから、彼らもマシュー派と同じく訓練を行っていた。
もちろん、文句は出ない。
「うむ、とりあえず、貴様には眠っていてもらおうか」
頭を、蹴られる。
痛みよりも衝撃が、マシューに走った。明滅とした視界の中で、誰かに背負われて運ばれていることだけがわかった。
窓から射す陽光がなくなり、地下に潜ったことはわかった。
どこかの、ジメジメしたどこかの部屋に打ち捨てられる。
マシューは気づかなかったが、そこは地下牢であった。
かろうじてあったマシューの意識は、そこで完全に途絶えた。
◇◇◇
マシューが目覚めた時、地下には誰もいなかった。
松明すら点けられていない真っ黒な闇が、マシューを迎えている。
どのくらい気を失っていたのかも、窓のない地下牢ではわからない。地上へとつながる扉も、固く閉ざされたままであった。
痛む頭を抱えながらも、暗闇の中でマシューは考える。
なぜ、このような事態になったのか、を。
レイラが今、どうなっているのか、を。
このように、切り捨てられる程の失態を演じた覚えはない。
リドリーは、マシューを呼んでいる者がいる、と宣っていた。
この言葉が真であるなら、マシューの知らぬところで、騎士団内に何か大きな変化が起きたのだろう、と結論付ける。
これまでのパワーバランスを崩すような、なにか。
その変化をもたらした誰かは、マシューとレイラに何かを望んでいる。
そこまで考え付いたところで、地上と地下をつなげる扉の閂が外される音が響いた。
下りてくる足音は2つ。
ひとつは、予想と違い、随分と軽い音だ。もうひとつは、おそろく女性だと思われるキビキビとした足取り――――まるでレイラのような
「あなたが、マシューね」
マシューの前に現れたのは、小さな少女だった。
少女の手に吊るされたランタンだけが唯一の光源で、その光に慣れるのにもマシューは時間を要した。
少女の斜め後ろには、もう一人いた。残念ながら、その人物のもとには光が届いておらず、闇にまみれて人相はわからない。
「何が望みだ」
出した声は、マシュー自身が思っていたより掠れていた。
檻越しに言葉を交わす。
「そうだなあ、あなたが私に全てを捧げることかな」
なんでもないことのように、少女は答える。
「お断りだ」
マシューの返事は、きっぱりとしていた。
その言葉に、少女はクスッと笑う。
「彼女と同じことを言うのね」
「………レイラに、何をしたッ!?」
「ふーん、これだけのやりとりで、そこまでわかるかぁ」
少女は面白そうに、マシューを観る。
瞬間、少女の眼が怪しく光った。
それに囚われるマシューだったが、その浸食をなんとか振り切る。
「なるほど、なるほど。あなたで2回目だよ。ホント、あなたたち似てるねえ」
反動でひどく重くなった体を引きずる、マシュー。
「まあでも、あなたも時間の問題か」
「はあはあ、………おれ、は、くっしない」
「それはどうかな」
少女の後ろに控えていた人物が、少女の背後から出てくる。檻越しにマシューとその人物が顔を合わせた。
灯りの範囲に入った、その人を見た時、マシューは絶句する。
その人は、愛する彼女だった。
「レイラ………ッ!!??」
その容姿も、動きも、確かにマシューが熟知しているはずの彼女なのに。
ただただ、マシューに向ける表情が、視線が、違う。
無機質で、他人事。
まるで罪人を視るかのように、マシューに向けた表情。
「あなたはだれ?」
時すでに遅し。
レイラの中から、一番大切であったはずのマシューは、消えていた。
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