【1‐9】彼ではなく、私のモノになって


「レイラ・フィッツ」


 新興貴族の令嬢で、学校卒業後にポート=リンチ騎士団に勤める。勤務態度は非常によく、領民や部下たちから慕われている。副騎士団長の右腕。



 報告書から視線を上げる。


「良い人材ね」

「はい。能力、人柄ともに高く評価されている人物です」

「うん。この子に決めた。いつ詰所に来るの?」

「任務は完了したとのことでしたので、明日には来るかと」

「ふーん」





   ◇◇◇





 騎士団長室へと入っていくマシューを見送る。私はその扉の前で彼を待っていた。すると、騎士の一人(確か、騎士団長直属の部下だったと思う)がわたしに声をかけた。


「フィッツさん、第2会議室に来てください」

「………承知しました」


 なんだろう。特に身に覚えのない呼び出しに、わたしは首を傾げた。騎士はわたしにそれだけ告げると、さっさと歩き去ってしまう。

 怪しいと感じるが、騎士団長直属の騎士の命令に逆らう、という選択肢はない。



こんこん


「入っていいよ」

「失礼します」


 聞き覚えのない声だ。騎士団に所属するには幼く聞こえた。


「へえ、あなたがレイラね」


 小柄で、見るからに騎士団らしくない体格であり、服装も清潔にはなっているものの地味で質素なもので、悪く言えばみすぼらしい恰好。

 明らかに、このように仮にも副騎士団の副官を呼び出せるような人物には見えない。


 警戒を強める。


「あの、どのような用件で、わたしを呼んだのでしょう」


 少女はわたしを観察しているようで、話を切り出す様子がなく、疑問ばかりが集った。


「ふふっ、レイラ。あなたの評価は聞いているよ。そこで提案なのだけれど、こちらに鞍替えするつもりはない? 今なら、それなりの役職も用意するけど」

「………………つまり、騎士団長の側につけ、という意味でしょうか?」

「そう捉えてもらってもいいよ」



 今まで、他派閥からの勧誘はそれなりにあった。これでもいちおう貴族階級であったし、マシューの隣に相応しくあるため努力してきた。

 しかし、極端に言ってしまえば、わたしが頑張るのは、マシューとちっぽけな自分の正義感のためなのだ。権力や財のためではない。


 わたしが鞍替えするのはありえない。



「そういったお話なら、お断りさせていただきます」


 少女の表情は変わらない。相変わらず、余裕がある微笑をたたえていた。


「まあ、あなたならそう言うと思ってたよ。でも、いちおう、本人の意思確認は必要かな、と」

「あの、どういう意味で………!?」



 アメジストのように輝く瞳。その瞳に捕らえられて逃げられない。



 自分の中に何かが侵入する感触。頭が書き換えられていく。まるで強い酒を飲んだ時のように、気持ちよく、全てが曖昧になっていく。このまま何もかも身を任せてしまいたい、強烈な欲求に飲み込まれそう。




 その時、唐突に思い浮かぶ、マシューの顔。


 ダメだっ! このまま飲み込まれては!



 無理矢理、少女から顔を逸らすために倒れる。とにかく逃れるのに必死で、打ちつけた膝と掌が痛い。

 でも、誰かに支配されたような感覚はない。自分の輪郭は明確になり、意識もはっきりしてくる。



「ウソでしょ!? まさか自力でスキルから!」

「………………ッ!?」


 とにかく一刻も早く、この場から離れなければ。


 くらくらと眩暈がする頭、全身に倦怠感が蓄積されたように動けない体。なんとか引きずってでも逃れようとするが、強い力で体の両側から拘束され、一歩も逃れられなくなる。


「驚いたよ。こんなこと初めてだ」


 目の前に立つ少女は、冷や汗に濡れた前髪をかきあげる。


「私のスキルから脱せる程、強靭な意思を持つ、ということかな」


 興味深げに、目を覗き込まれた。少女の瞳には、先ほどよりも弱いものの、確かにアメジストのような光が宿っていた。


 さっきのものが洪水なら、これは気づいたら浸水している満潮のようだ。様子見をするように、慎重に。


「ぐっ………あっ………………や、やめてッ」


 侵されていく。


「ねえ、あなたの大切なものはなに?」

「いっ言わない!」


 少女の力は確実に私を侵していて、今にも言われた通りになんでも言いそうになってしまう。


 負けられない。必死に少女から気を逸らして、彼のことを思い浮かべる。自分の中に占める彼の割合が、彼女に侵されるのを防ごうとする。


「さて、どれくらい持つかな」

「………や、めてぇ!………わ、わたしから、奪わ、ないでッ!」


 もう、自分が何を口走っているかもわからない。ただただ、少女の意思から逃れようと、全力でもがき続ける。




 どれほどの時間が経ったのかはわからない。何時間も経ったのかもしれないし、ほんの数分かもしれない。


 それは突然だった。急速に意識がはっきりし、わたしを見つめる目の前の少女の姿が明瞭になる。少女の顔には、満足げな表情が浮かんでいた。


「へえ、あなたの大切な人は、彼なのね」

「な、なにを言って」

「副騎士団長マシュー」

「ひゅっ。おっお願いッ、マシューに手を出さないでッ!」

「それは、あなた次第」


 少女の見た目に見合わない艶然とした様子で、彼女が私の頬を撫でた。ふっとわたしの耳に吐息をかけながら囁く。


「わかってるでしょ。最初から言ってるじゃない、私のモノになって、って」


 選ばなければならない。



 少女が何者なのかは全くわからない。しかし、現時点の状況を見ると、少なくともマクスベル派は少女の支配下にあるのだろう。

 人数の側面から見れば、マシュー派が騎士団最大だが、所詮は平民の集まりに過ぎない。役に立たないと見限れば、騎士団長であるマクスベルはマシューを潰すなど造作もない。

 結局、平民なんて、貴族の匙加減でどうにでもされる小さな存在だ。



 ここで、少女の要求を呑まず抵抗を続けたとして、マシューはどうなってしまうのだろう。


 その恐怖が、わたしを曇らせる。はっきりしているはずの思考が、鈍くなっていく。


 底知れない不安が、わたしの最後の城壁を崩壊させた。



「これで、終わり」



 アメジストの輝きが、怒涛と押し寄せる。


 抵抗する間もなく、置き換えられていく。



 ただ、わたしの中で絶対に見失ってはいけないはずだった何かが、別のものに置き換えれたような感触だけが残った。

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