【1‐7】財布を手に入れた!


 上質なワインが淹れられているグラスをゆっくりと傾ける。口の中に濃厚な味わいと、ワインの香りが満ち足りる。フーッと息を吐いた。



 ダグラスは、この瞬間をことさら気に入っていた。自分が上に立つ者だということを、実感させてくれる。



 添えられているチーズも一口かじる。このチーズも、わざわざ王国の反対側から取り寄せた最上級品だ。



 ダグラスがワインとチーズを堪能していると、部屋のドアがノックされる。すると、彼の頭からは食べ物のことなど吹っ飛んでしまう。


 意識せず、顔にゲスな表情が浮かんだ。



 ドアを開けると、想像していたよりも貧相な体付きをした女がいた。胸も尻も足りない。女に隠すことなくタメ息を吐く。

 フードで顔が隠れおり、その顔全体は見えない。下半分だけを見るに、とりあえず顔は合格点に届きそうだった。


「ディミトリ閣下。私に何用でしょうか」


 女は部屋に入るとダグラスに問いかけた。


「決まっているだろう。俺に、ご奉仕をしろ」

「…………つまり、私に体を使ってあなたの肉欲を満たせ、ということですか」

「その通りだ。まあ、貴様の貧相な身体では満足できるとは思えないがな」


 暗いところから明るいところに姿を現した女を、上から下までじっくりと値踏みするように眺める。


「それは職権乱用ではないですか」

「貴様、この俺に口答えをするのか。貴族で上官でもある俺の言葉は絶対なのだ。さっさとその服を脱げ」


 この女はどんな反応をするだろう。羞恥に顔を染め、泣き叫ぶだろうか。悔しさと憎悪に顔を歪めるだろうか。それとも、貴族様の上官に媚びるような顔をするのだろうか。



 ダグラスは女のマントを乱暴に掴み脱がそうとする。ダグラスのアソコは女を求めて熱く固くなっている。


 抵抗はないと思っていた。王国では、身分は絶対だ。平民は貴族の命令に逆らってはいけない。抵抗してはいけないし、貴族の身体に掠り傷でもつけたら、死んだ方がマシと思えるくらいの罰を受けさせられる。



 ダグラスはマントを無理矢理剥ぎ取る。女を包む服を破って、裸体を惜しげもなくさらした。ベッドに押し倒し、胸を尻をアソコを触り、自身のそれを女に突き刺す。女からはあられもない悲鳴が上がり、それもまたダグラスの気分を高揚させた。


 好き勝手に動いた後、ダグラスは一気に快感を放出する。女は苦しそうに呼吸しているが、ここで終わらせるわけがない。まだまだこれから。



 ダグラスは全て自分の思い通りに進み、ニヤニヤとしながら、再び元気になったそれを女の口に押し込めた。愉悦と快感に、ダグラスは喘ぐ。







 そのように思い込まされているだけなのに。




 ベッドの上で一人芝居をしている脂ぎった男を、メイは冷ややかに眺めていた。


 ジュリエッタの時の全知全能になったかのような高揚感はない。この男の利用価値を実感していないからだろうか。この男がメイに何もしていないからだろうか。


 メイは思考を取り止める。今はそんなことどうでもい。



 ダグラス・ディミトリは、何もないところに腰を振り、何もしていないのに喘ぎ、快感を享受していた。


「フーッ、……ハッハッ…………クッ――」


 もともと肥満体型で脂ぎっていた身体は、運動をしているからか、より見るも堪えない様相を呈している。その顔には自身が主導権を握っていると思い込んだ表情がうかんでいて、むしろ憐憫を覚えた。




 そろそろ、終わりにするか。


 メイはベッドの脇に立ち、ダグラスに聞こえるように指を鳴らす。


 パチンッ


 お遊びはここまでだ。





 ダグラスは動きをピタリと止めた。


「なっ、なんだ! どういうことだ!」


 狼狽える。それはそうだろう。今まで抱いていた女が消え、自分を見下ろしているのだから。


「俺は何をしてッ!?」

「簡単なことよ。あなたの認識を、私がちょっといじっただけ」


 メイは淡々と事実を告げる。その声にダグラスは訳もわからず激昂し、彼女に飛びかかろうとするができなかった。


「動いてはダメよ」


 たった一言。されど、絶対だった。


 ダグラスの体はまるで石像にでもなったように固まった。自分の意思では、首を動かすどころかまばたきすらできない。かろうじて呼吸はできた。


 自身の生死を握られた感覚に、先ほどとは違った理由で自然と呼吸は荒くなっていく。今度は冷や汗が吹き出してくる。


「これでは口もきけないね。発言を許可する」


 メイの命令で、石のようだった唇が動く。


「き、きさまは何者だ!? 俺を誰だと思ってる! このような狼藉、死刑だぞ!!」


 状況が理解できず叫ぶダグラスに、憐れみの視線を向けながらただの事実を言った。


「ディミトリ子爵家の御当主様でしょ。でも今は関係ない。今のあなたが私にとって、利用価値があるかどうか、よ」


 感情の見えない声色で話す姿に、やっとダグラスは自身の状況を理解し始める。



 この少女には、ダグラスの身分や肩書は通用しない。金、身分、地位、名声。いくら訴えようとも、彼女にはなんの効果もないだろう。今まで頼ってきた絶対的なものが、無意味なものになってしまう。


 むしろダグラスがこのような言動をする度に、彼女の瞳は冷たくなっていく。




 ダグラスやジュリエッタといった人間が、メイは大嫌いだ。憎んでいると言っていい。


 貴族だからと胡坐をかき。自分よりも下だと思った者のことは、同じ人間とも考えず見下す。権力を振りかざし、自分の利益しか考えない。




 そんな人間がいるから、良い人たちが割を食う。



 エレンさんは良い人だった。自分のことよりも他人を優先して、どんな人にだって優しいまっすぐな人だった。絶対に生きていてほしい、生きるべき人だった。

 なのにコイツのような、自分のことしか考えない人間のせいで、苦しんで死んだんだ。



 そして、私の両親も。






「……俺を、ど、どうするつもりだッ」


 その声は震えていた。恐怖に。


「あなたは私のモノになる」


 ゆっくりとダグラスにもわかるよう続ける。


「大丈夫、安心して。自覚はないから。あなたはただ、私の邪魔をせず、資金を提供してくれればそれでいいの。それ以上のことを要求するつもりはない。だから、人格の支配はしない。無意識のうちに、私の命令を最優先に完遂するよう調整するだけ」


 メイは視線を合わせるために姿勢をかがめる。


「だっ、だれか、助けてくれッ!! 誰かいないのか!!」


 唯一動く口を精一杯使って叫ぶ。ここでダグラスは違和感に気づく。どんなに大声で叫んでも、誰も部屋に来ない。


「うわぁ…やめてくれッ……お願いしますッ!」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら懇願する。それでも瞼すら、ピクリとも動いてくれない。



「良い夢を――――」



 アメジストのような、鮮やかな紫の輝き。それがダグラスの最後の記憶だった。







  ◇◇◇







 気持ちの良い朝がやってくる。




 ダグラスは一人で大きなベッドを占領しながら朝日を浴びる。こんなにスッキリした朝は何年ぶりだろうか。

 妙に気分のいい目覚めだったから、昨日の夜に何かしただろうかと考える。



 頭にモヤがかかったように、昨日の夜の出来事が思い出せなかった。一瞬違和感を感じるが、次の瞬間には最初からそんなものなかったように思い出せた。


 たしか昨日の夜は、上質なワインとチーズを食して、ほろ酔いのまま寝たのだった。誰かがこの部屋を訪れた気がしたが、顔を思い出せなかった。気のせいだろう。



 しばらくボーッとしていたが、ハッと我に返り自分専属の使用人たちを呼ぶ。


「今日は忙しいな。新人研修に、メイ様から任されたこともある。すぐに準備に取り掛からねば」



 ダグラスが違和感を抱くことは、二度となかった。

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