【1‐2】全てに失望する


 生きなきゃ。エレンさんにいただいた命だ


 私は何度も自分に言い聞かせながら走る。




 あれから、朝日が昇るまで私が見つかることはなかった。

 どれほどの時間だったかはわからない。私の意識は朦朧としていて、意識があるのかないのかすら曖昧だった。気づいたら、視界に陽光が入っていた。


 基本的に日が昇っている間は、魔物は巣に戻る。だから日中も活動している魔物の数は、夜中に比べてとても少ない。



 まだ痛むが、体は動くようになった。とにかく走る。魔物に見つかろうが、つまづいて転びそうになろうが、すべてを走り抜ける。


 腕力もなく、武器や魔法の扱いも下手で、ハズレスキル持ちの私の、唯一の取柄は逃げ足の速さだ。スラムに住んでいた頃は、盗みもしょっちゅうしてきた。さすがに全部ではないが、子供ながらに大の大人に追いかけられても逃げきってきた。


 拭っても拭っても、視界がハッキリすることはなかった。涙がとめどなく流れる。頭の中に、最後に見たエレンさんの後ろ姿がこびりついて離れない。私はなんて最低な人間なのだろう。


 ようやく森の出口が見えてくる。最後まで勢いを緩めくことなく出口から飛び出ると、私は転んだ。



 痛い。痛い。痛い。



 もうどこが痛いのかもわからなかった。地面に打ちつけた身体が痛いのか、それとも胸が痛いのか。私はただ地面を濡らすことしかできなかった。



 なんとか起き上がり、騎士団の詰所に向かう。エレンさんを殺したのだ。奴らには相応の罰を受けてもらわねば。


 きっとエレンさんに出会う前の私ならば、真っ先に彼らの元に行き、自分で手にかけていただろう。役所の人間など、私は微塵も信用していなかったから。

 でも、エレンさんの教えだ。従わねば。





  ◇◇◇





「この小娘を牢に入れろ」

「えっ」


 私を兵士たちが押さえつける。目の前で騎士団長は、親の仇でも見るような目で私に告げた。


「な、なぜですか!?」

「なぜだと、白々しい。こんなこともわからないのか、最近の貧民は」


 騎士団長は見慣れたゴミを見る目をしている。


「孤児の浮浪者だから仕方ないか。貴様はこの街に一番貢献している冒険者パーティを侮辱したのだ。彼らがそんなことをするはずないだろう。これだから、卑しい者は」


 騎士団長――ジュリエッタ・マクスベル――は、そのまま私を一瞥もすることなく、部屋を出て行った。



「いつまで座っている、立て!」


 座り込んでいた私を無理矢理立たせて、衛兵は私に拘束具をつけると追い立てる。




 私が投げ込まれたのは、地下牢だった。日の光は入ってこず、唯一の光源は、地上への階段の下に松明が1本だけである。トイレなどの最低限の設備もなく、申し訳程度に薄く藁が敷いてあるだけだ。長年使われているようで、汚物とカビ、そして死のニオイが充満していた。


「出して! 出してよ! アイツらを捕まえて!」


 しばらく衛兵たちに訴えていた私も、半日が過ぎる頃には何も言えなくなっていた。



「黙らんか」

「ガハッッ」


 声がうるさいと判断すると、彼らは私を物理的に黙らせにくる。心が訴えたくても、身体が許してくれない。


 半日が過ぎると、私の身体はここに来た時以上にボロボロの姿になり、呼吸するので精一杯になっていた。



 腹を蹴られて、胃の中のものを吐き出す。といっても、出てくるのは胃液だけだ。自分にその気がなくても、勝手に生理的な涙が流れだしてくる。



 徐々に彼らの私への暴行は、グレードを上げていく。私が何もしなくても、ただ憂さを晴らすためだけに私を殴り蹴る。


 その中で、私が一番恐れていたのは騎士団長だった。


「お前たち、囚人の監視は私がするから、外に出ていろ」

「「はい」」


 騎士団長が一声かけて、地下室にいた兵士たちを追い出す。


「さてさて、今日は何をしようかな。爪を一枚一枚剥がしてしていこうか、針で刺していくのもいいな。水攻めも捨てがたい。なあ、お前はどれがいい?」


 他の衛兵たちの行為が暴行なら、衛兵長の行為は拷問だ。しかし何かを聞き出そうとするのが目的ではなく、ただ相手を痛めつけること自体を目的としているが。



 外の衛兵たちは、彼女が拷問をしているのを知らない。なぜなら彼女は拷問が終わると私に回復魔法をかけ、私が1日に受けた暴行の跡を全て消していくからだ。これは他の兵士たちがした暴行の証拠隠滅も担っている。



「返事をすることもできないか。そりゃあそうか、碌に飯も与えていないからなぁ」


 ジュリエッタは愉悦し、私を見下した目で見る。

 彼女の足が、床に倒れている私の頭を踏みつける。痛い。でも、僅かに体を動かす力すら、今の私には残っていなかった。生理的に漏れる呻き声のみが、私に意識がある証拠だった。

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