第8話 決着






 ………あたし、本当に最低。


 宗方さんはあたしのものじゃないのに、麗奈の手を叩いて、あんな言い方して………。


 本当にただ喋ってただけかもしれないのに、なんですぐカッとなっちゃうの?


 薬もちゃんと飲んでるのに………。


 もしかして、あたしの性格に問題があるのかな………。


 ベッドの上で膝を抱えて頭を伏せていると、ドアをノックされてギクリとした。


 宗方さんだったらどうしようと思ったけど、やって来たのは女の看護師さんだった。


「相澤さん、面会のお客さんが来てますよ」


「え?」


 一瞬、麗奈が戻って来てくれたんじゃないかと期待した。


 けれど面会室で待っていたのは………角田さんだった。


「よう、調子の方はどう?」


 内心ガッカリしながら「ぼちぼちな感じです」と返し、角田さんの正面の席に腰を降ろす。


「それより、今日はどうしたんですか」


「うん、例の件でちょっとな………。

 ここはいつまで入院する予定なの?」


「特に決まってません、任意入院なので。

 でも一ヶ月経ったら、その時の状態を見て入院継続するかどうか話そうって、先生が」


「そっかそっか………」


 角田さんはトレードマークの無精髭を撫でながら斜め上を見上げる。


「どうしたんですか?」


「いや、そろそろ藍川由紀乃が追い詰められてきたようだから………環ちゃんはこのまま病院に居させてもらった方が一番安全だなと思って。

 ここだったら、外部からの侵入も出来ないしさ」



「え………追い詰められてきたって、どういう事ですか?」



「まあ…………藍川由紀乃の自宅の郵便受けの中に、複数のクレジットカードの請求書が溜まってたからね。

 自宅にも帰って来ないし、仕事にも行ってないようだし………。

 もしかしたら、捨て身の覚悟で君に復讐しようとしてるのかもしれない」


 思わずため息を吐き捨てた。


「そこまでしてあたしを?」


 りんごをあんな目に遭わせておいてまだ気が済まないのかと、怒りさえこみ上げてきた。


「まあ色々あったにせよ………藍川由紀乃が君への復讐心に取りつかれている事は確かだと思う。

 追い詰められた人間は何を仕出かすかわからないから、その間君を安全に保護出来る場所と言えば、ここが一番って事だ」


 確かにそうかもしれないけど………。


「俺からも担当の先生に話をしておくよ。

 だから環ちゃんも、二度と同じ事は繰り返さないように。

 自分を追い込んだりするなって、前に言ったはずだよな?」


 角田さんは顎をしゃくってあたしの左手首を指す。


 あたしは小さい声で「ごめんなさい」と謝った。


「今日はそれを話しに来たんだ。

 それじゃあ、後の事は俺達警察に任せて、ゆっくり休むんだぞ」


「はい………ありがとうございます」


 病棟の出入口で角田さんを見送っていると、入れ違いに宗方さんが病棟に戻ってきた。


 角田さんは宗方さんに会釈をして去って行く。


「どうしたの?

 刑事さんなんだって?」


「ああ、うん………」


 病室に戻って若葉の母親の事を話すと、宗方さんは腕を組んで「そっか」と頷く。


「早いとこ捕まえてもらわないとな………。

 じゃなきゃ、いつまで経っても退院出来ないし」


「うん………」


「その辺は志水先生ともよく相談した方がいいよ。

 もうすぐ会議から戻ってくると思うし、俺からも伝えておくからさ」


 病室を出て行こうとする宗方さんを、「あの」と呼び止めた。


 宗方さんは振り返ってこちらを見る。


「そういえばさ………さっき麗奈と話してたよね………」


「え? ああ………」


 宗方さんは思い出したような顔をして、軽く吹き出して笑った。


「自動販売機の前でだろ?

 久住さんだっけ、面白いねあの子」


「うん、まあ………」


 宗方さんの反応を見るのが怖くなって、少し視線を逸らした。


「なんか楽しそうに笑ってたから………何を話してたのかなーと思って」


 平静を装って尋ねると、宗方さんは照れ笑いを浮かべ、「別に大した話じゃないよ」と言って誤魔化した。


 ぎゅっと心臓が縮んで、「あ、そっか………」と返すのが精一杯だった。


 宗方さんが病室を出て行くと、深いため息がこぼれた。


 ………今みたいな表情、初めて見た。


 宗方さんも麗奈のような子がタイプなのかな………。


 麗奈みたいに綺麗な子と話せて嬉しかったのかな………。


 だったら………やっぱり敵わない。


 あたしにはあんな風に宗方さんを笑わせる事は出来ないし、未来ちゃんをダシにして会う約束を取り付けた自分が、急にちっぽけな存在に思えて来た。


〈宗方さんまで取ったりしないでよ!〉


 そんな台詞を吐いたりする女子達を、あたしはいつも冷めた目で見ていたはずだった。


 好きな人を取るとか取られるとか、くだらないって思ってた。


 あんたのものじゃないでしょとか、そもそも人は "もの" じゃないでしょとか、そう考えていたはずなのに………。


 いざ自分がその立場になると、すごく不安で、怖い気持ちになった。


 宗方さんと麗奈が一緒に笑ってるとこなんて見たくないし、もし本当に宗方さんが麗奈を好きになったらどうしようとか、そんな事ばっかり考えてしまう………。


 きっとみんな、こんな風に怖かったのかもしれない。


 自分に自信がないから、友達に "取らないで" って言う事しか出来なかったのかもしれない。


 悪いのは友達じゃないってどこかでわかってても、好きな人を取られたくないという気持ちが働いて、本能的に動いていたのかも………。






 次の院内散歩の日、麗奈が姿を見せる事はなかった。


 もしかしたら嫌われてしまったのかもしれないと思うと、心が暗くなった。


 毎回会いに来てもらってたから、身体の右側がやけに寒く感じる。


〈環はどう思ってるかわからないけど………あたしにとって環って、一番大事な友達なのね?〉


〈そうやって生きていけばいいじゃんあたし達。

 他の人がわかってくれなくても………あたし達はお互いの事わかってるじゃん〉


〈あたし達二人揃ったら怖いものなんてないじゃん。

 バスケットボールぶつけ合った仲じゃん〉


 麗奈が話していた事が次々と頭に浮かんで、こんな事で友情が壊れてしまうのは嫌だと思った。


 だけど仮に、麗奈が宗方さんの事をなんとも思ってなくても、宗方さんが麗奈に惹かれ始めてしまったとしたら、きっと麗奈の前では心から笑う事が出来なくなると思う。


 だって………あたしは宗方さんの事を……本気で好きになってしまったから………。






 院内散歩を終えた後、志水先生の診察を受けた。


「どうした、しょんぼりした顔して」


 志水先生はあたしの顔を見るだけで、なんでも見抜いてしまう。


「実はちょっと………麗奈と喧嘩しちゃって………」


「麗奈ちゃんと?

 どうしてまた」


 なんとなくリストバンドに手を触れる。


「実はあたし………好きな人が出来て………」


「お、そうなの?」


「うん………。

 だけどもしかしたらその人は、麗奈の事が気になってるかもしれなくて………。

 それで思わず麗奈に "その人まで取らないで" とか、最低な事言っちゃって………。

 ああ………最低っていうのは、麗奈は高校の時に他の子から彼氏を取ったとか因縁をつけられた事があって、それなのにそんな事言っちゃってって事で………」


「なるほど」


 志水先生は頬を緩めて椅子の背にもたれかかる。


「つまり、三角関係ってわけだ」


「まあ………。

 麗奈はあたしが疑った事で傷付いてるみたいだった。

 お見舞いにも来なくなったし、嫌われちゃったのかも………」


「そんなにすぐ嫌いにはならないよ」


 志水先生は苦笑する。


「でもどうやって仲直りすればいいのかわからなくて………。

 謝る事は出来ても、もし本当にその人が麗奈の事を好きになっちゃったらって思うと………」


「それは不安になるよな」


 こくんと頷く。


「だけど麗奈とこのままになるのは嫌だ………。

 麗奈はあたしにとって………」


「大事な友達だもんな」


「うん………」


 志水先生は頷きながら言った。


「やっぱり環ちゃんは変わったね。

 以前の環ちゃんなら、どっちかを切り捨てようとしてたと思う。

 この前話した仕分けの話と同じだ。

 葛藤する二つの気持ちのどちらからも逃げないで考えられるようになってる。

 だからこそ悩んでる。

 どちらも大切な存在だから」


「………」


「いい事だと思うよ?

 なかなか割り切れない中で生きてるのが人間だから」


「でも………すごく苦しい………」


「そりゃ苦しいさ。

 だけどそこにぶつかっていかないとな。

 まだその人が麗奈ちゃんの事を好きになったって、はっきりしたわけじゃないんだろ?」


「まあ………」


「それなら考えるのは後だ。

 まずは麗奈ちゃんと仲直りしてみたらいいんじゃないか?」


「出来るかな………仲直り………。

 なんか謝っても、しこりが残りそうな気がする」


 肩を落として息を吐くと、志水先生が思い出したように言った。


「ああ、そういえばね。

 この前学会があって、学生時代の先輩と話をする機会があったんだけどさ、その時にこんな話を聞いたんだ。

 “ごめんなさい” と “許して下さい“ の言葉の違い。

 なんだと思う?」


「え? さあ………」


「同じ謝罪の言葉でも、実は “ごめんなさい“ っていうのは、言おうと思えば誰にでも言える言葉なんだよな。

 相手が許してくれようとくれなかろうと」


「………」


「だけど “許して下さい“ なんて言葉は、なかなか言い出せないと思わないか?

 自分が相手に悪い事をしたと思っていればいる程、簡単に口には出せないというか」


「ああ………」


 確かにそうかもしれない。


 今まで謝る時に “許して下さい“ なんて言った事ないし………。


「でも “許して下さい“ という言葉の中には、相手との関係を修復したいという意味が込められてる。

 罪の意識から解放されたくて言ってる人もいるかもしれないけど、信頼関係を修復する為の “許して下さい“ という言葉は、とても重みのある言葉だなーって思ったんだ。

 “ごめんなさい“ はどちらかと言うと一方的な言葉だけと、“許して下さい“ は、相手あっての言葉だしな」


「へぇ………そっか………。

 今まで考えた事もなかったな………」


「その言葉通りじゃなくても、仲直りをしたいという気持ちを込めて謝れば、気持ちは伝わるんじゃないかな」


「うーん………」


 "許して下さい" か………。






 そして週が開け、月曜日の院内散歩の日。


 中庭のベンチに座り、携帯でメールを打っていた。



[to:麗奈

 この前は疑ったりしてごめんなさい。

 麗奈と仲直りがしたいです。

 また病院に会いに来てくれませんか?]




 送信した後、都合がいいと思われないかなとか、色々気になった。


 早くメールの返信が来ないかなと願う反面、どういう返信が返ってくるのか怖かったりもした………。


 コーンスープを飲みながら、携帯のニュースを閲覧する。


 今月消費税が5%から8%に上がる事が決まったそうだが、いつから上がるのかが気になって、過去のニュース記事を検索していると、メール着信の表示が出た。


 ドキリとして、メール画面に切り換えて受信フォルダの中を見ると、送信してきたのは麗奈ではなく苺美だった。


 そういえば、あれからどうしたかなと思いながらメールを開くと、その内容を読んで驚いた。



[from:苺美

 櫻井苺美を殺されたくなかったら家に戻って来い。

 話がある。

 警察に通報すれば、この場で即座に櫻井苺美を刺し殺す。

 またおまえのせいで人が殺される事になるぞ]



 添付された写真ファイルを開くと、そこには手錠をかけられて床に寝かされている苺美が写っていた。


 しかもその床は、うちのリビングの床………。


(まさか………うちの家に忍び込んでこの写真を?)


 犯人は若葉の母親で間違いないと思う。


 そして目的はあたしを殺して復讐を果たす事………。


 りんごを殺してもなお飽き足らず、こんな事までしてくる若葉の母親がさらに憎くなった。


 だったら、最初からあたしを狙えばいいのに………。


 若葉の母親とは、決着を着けなければ………。


 そう思い、携帯をカーディガンのポケットに入れ、パジャマのまま病院を抜け出した。






 手元に小銭しか持ち合わせてなかったので、電車で自宅まで戻る事にした


 パジャマにカーディガン、それとゴムスリッパという格好を見て、車内でジロジロと訝られた。


 けれど恥ずかしがってる場合じゃない。


 あたしの家で人殺しなんかさせない………。


 もう誰かがあたしのせいで殺されるのは、まっぴらだ。


 下井草の駅を降りて、自宅までの道のりを走る。


 息を切らしながらインターホンを鳴らすと、「"はい"」と、若葉の母親の声が返ってきた。


「………環です」


 ガチャッと通話を切られ、足音が家の中から近付いてくる。


 あたしは背中の後ろで、途中で拾ってきたビール瓶を掴んでいた。


 隙を見てこれで頭を殴り付け、苺美を助け出すつもりだ。


 施錠が外され、ゆっくりとドアが開く。


 ドアの隙間から若葉の母親の顔が覗いた瞬間、勢い良くドアを引いて、瓶ビールを振り上げた。


 するとその時、横から「待った!」と声をかけられ、思わず手を止めてそちらを見ると、そこに立っていたのはなんと………。


「苺美………」


「その瓶を降ろして」


 苺美は包丁を両手で握り、まっすぐこちらに向けて近付いてくる。


 おばさんはゆっくりとあたしの腕を掴み、ビール瓶を奪い取った。


 あたしは苺美を睨みつけた。


「………まさか、あたしをハメたの?」


「雇われたんだよ、若葉のお母さんに」


「雇われた?」


「そう。

 協力したら30万くれるっていうから、まあ、バイトみたいな?」


 そう言って苺美は不敵な笑みを浮かべる。


「借金の返済にも困ってたから、ちょうど良かったの。

 この前あんたに頭を下げた時、簡単に債務整理の話を口に出されて超ムカついてたところだったし。

 あんたみたいな苦労知らずの人間には絶対言われたくなかったからね、そんな事。

 あたしとママが、今までどんな思いで、」


「………ねぇ、もういい?」


 若葉の母親に途中で口を挟まれ、苺美は「え?」とそちらに振り返る。


「あなたの個人的な恨みなんて、どうでもいいんだけど」


 苺美はカッと顔を赤くして口をつぐみ、決まり悪い顔をしてあたしに顎をしゃくってくる。


「さっさと中に入りなよ、ほら!」


 最後まで言わせてもらえなかった事が悔しかったのか、不完全燃焼で終わってしまった苛立ちを向けてくる苺美。


 包丁を向けられているので、黙って従うしかない。


 リビングに入ると、若葉の母親に背中の後ろで手錠をかけられる。


「この手錠ね、ネットショップで買ったの。

 今は玩具でも本格的なものがあるのね」


 生気のない顔で淡々と話す若葉の母親を睨んで言った。


「りんごを殺したのはおばさんなんでしょ。

 よくもりんごを………」


 若葉の母親は腰を上げ、悪びれた様子もなく「そう」と答える。



「少しはわかったでしょ?

 自分にとって大切な存在の命を奪われた時の苦しみが………。

 まあ、若葉と犬を同じように考えられても困るけど」


 頭に血が上り、怒鳴りつけた。


「ふざけないで!

 あんたなんか人間じゃない!

 何の罪もないりんごの命をあんな風に奪うなんて!

 りんごを返してよ!」


 すると後ろから苺美に腕を思い切り引っ張られ、床の上に尻餅をついた。


 若葉の母親はあたしを見下ろす。


「死んだものは生き返らないわ。

 それが出来るんなら、あたしだってそうしてる」


 おばさんは苺美に手を伸ばし、包丁を受け取ってこちらに向けてくる。


 刃渡り30センチはあるステンレス製の包丁。


 パパがいつも気に入って使ってた包丁だ。


「とりあえず静かにしてくれる?

 これから久住麗奈をここに呼ぶんだから」


 耳を疑った。


「まさか………麗奈までここに呼ぶつもり?」


「当然でしょう?」


 若葉の母親は苺美に目配せをする。


 苺美はあたしのカーディガンのポケットを探り、携帯を奪ってあたしの姿を撮影した。


「おばさん、麗奈にはなんて送ればいい?」


「さっきと同じような内容でいいわ」


「わかった」


 なんの躊躇いもなく素直に従う苺美を見て、心の中で舌打ちした。


 お金の事は最初から諦めてた。


 だけどこんな裏切り方をされるとは思わなかった。


 出来るものなら、本気で顔面を引っ叩いてやりたい………。


 それにこんな事になるなら、角田さんに助けを求めれば良かったと後悔した。


「………どうやってうちに入ったの?」


 若葉の母親は包丁を持ったままダイニングテーブルの席に腰を下ろす。


「ネットで空き巣の手口を調べてみたの。

 音を立てずに窓を割るやり方なんかも書いてあって、不用心ね、ああいうサイトって。

 まあ、おばさんにとっては都合が良かったけど。

 人目に付きにくい場所にあった寝室の窓を割らせてもらったの」


「………」


「それにしても、ネットカフェって本当に便利なのね。

 泊まる事も出来るし、そうやって色んな事を調べたりも出来るし。

 シャワーも入れる事には驚いちゃった。

 若い人が利用するはずね」


 角田さんが睨んでいた通り、ネットカフェに潜伏していたようだ。


「………麗奈を呼んでどうする気?」


「もちろん、この手で殺すに決まってるじゃない」


「───……!!」


 若葉の母親は表情一つ変えず、そんな事さえ淡々と口する。


 それがかえって不気味だった。


「やめてよ………。

 殺すならあたし一人で充分でしょ!?」


「それはおばさんが決める事よ。

 麗奈ちゃんは逃げるように家族ごと引っ越して、どこに逃げたのかわからなくなって困ってたから、こっちに戻って来てくれてちょうど良かったわ」


 歯ぎしりをしておばさんを睨んでいると、苺美が言った。


「よし、っと。

 おばさん、麗奈にメール送ったよ」


 あたしの携帯を若葉の母親に渡し、苺美はソファーに腰を降ろして足を組む。


「頭良さそうな顔して、麗奈もバカだよね。

 あんたの味方をしたばっかりにこんな事になってさ。

 大人しくずっと名古屋に身を潜めてれば良かったのに」


 苺美は若葉の母親と手を組んだ事で気が大きくなっているようだった。


 ついこないだは麗奈が怖いと言ってたくせに、なんて調子ががいいのか………。


「あたし今さ、ぶっちゃけ環が殺される事も麗奈が殺される事もなんとも思わない。

 こないだは麗奈にコケにされて、腹の中ではムカついてたし。

 あんた達みたいな苦労知らずの人間なんて、まとめて殺されちゃえばいいんだよ」


 苺美は腕を組んで殊勝な笑みを浮かべる。


 あたしは言った。


「こんな事して………ただで済むと思ってんの?

 仮にあんたがあたし達に直接手をかけなかったとしても、殺人幇助であんたも逮捕される事になるんだよ?」


 苺美はフンと鼻で笑う。


「さっすが~、弁護士の娘って感じ?

 でも、それって見つかれば、の話でしょ?」


 眉を潜めると、苺美はキッチンの方へ顎をしゃくる。


「あそこにあるの、何だと思う?」


 そちらを見ると、灯油タンクが3つも置いてあるのを見て、目を見開いた。


「あんた達を殺した後、この家ごと燃やすつもりだから、あたしの痕跡も消えるってわけ。

 あたしはそれまでの手伝いをするだけだから」


 言葉を失っていると、やがてあたしの携帯が鳴り、若葉の母親がディスプレイを見て言った。


「麗奈ちゃんからだわ。

 ………もしもし」


 それを聞いて我に返り、そちらに向かって叫んだ。


「麗奈───っ!! 絶対来ちゃだめっ!!

 早く警察に電話して!!」


 苺美があたしのところへやって来て、思い切り顔を平手打ちしてくる


「静かにしろって言われてたでしょ?」


「うるさい黙れ!!

 麗奈っ! 絶対来ちゃダメだからね!」


 苺美はあたしの胸ぐらを掴んで床に倒し、足で腹を蹴ってきた。


 それがみぞおちに入り、ゴホゴホと咳込んでいるあたしを横目で見ながら、若葉の母親は「盛り上がってるのは聞こえたでしょ」と麗奈に告げる。


「早く一人でここに来る事ね。

 警察なんかに連絡したら、その瞬間に灯油に火を点けてこの家ごと燃やすわよ」


 若葉の母親が電話を切ると、苺美はあたしの顔を片手で掴んで言った。


「今度またあたしに偉そうな口きいたら、おばさんがやる前にあたしがあんたを殺してもいいんだからね」


 強気な態度を向けてくる苺美に腹が立ち、思い切り唾を吐きつけてやった。


 苺美は顔を拭いながら目をしかめ、もう一度あたしの顔をひっぱたき、頭を床に押さえ付けてくる。


「調子に乗ってんじゃねーよ!!

 いい子気取りのこのクソ女!!」


 すると若葉の母親がこちらにやって来て、苺美の顔をひっぱたいたので驚いた。


「あなたこそ調子に乗らないで。

 その子を殺すのはあたしなんだから………。

 これ以上勝手な事したら、あなたも殺すわよ」


 包丁を向けられ、苺美は頬を抑えたまま喉を上下に揺らし、「すみませんでした」と頭を下げる。


 まるで安っぽい子分だ。


 金銭的に追い詰められているとはいえ、どうしたらそこまで愚かになれるのか………。


「それより、そろそろ準備を始めてちょうだい」


「はい………」


 苺美はソファーに置いていたビニール袋からガムテープを取り出し、リビングの窓の縁全体に貼り付け始める。


 若葉の母親はダイニングテーブルの席に戻り、包丁を眺めながら言った。


「ずっと考えてたの、あなたをどこでどうやって殺そうかって………。

 なかなか退院して来ないし、お金も無くなってきたし、時間がないなーって思ってたんだけど、追いつめられてようやくこの家の事を思いだしたの。

 この家であなたを殺せば、さらにご両親を苦しめる事が出来るでしょ?

 あなたのご両親が建てた念願のマイホームでもあるわけだし」


「お願いだから麗奈だけは殺さないで………。

 若葉のIDを犯人達に教えたのは、あたしなんでしょ?」


 若葉の母親は小さく肩をすくめる。


「まだ記憶が戻ってないようね。

 本当はあなたの記憶が戻るまで苦しませたかったんだけど、長い時間をかけて復讐するのって結構お金がかかるのよ。

 やってみて初めてわかったわ。

 警察に目を付けられて、うちにも帰れなくなっちゃったし」


「ふざけないでよ………。

 どこまで苦しめれば気が済むわけ?

 りんごまで殺しておいて!」


「たぶん一生気が済まないと思うわ。

 あなた達を殺してもね。

 若葉はもう帰って来ないし、若葉が受けた屈辱だって消えないし」


 若葉の母親は肘をついてため息を吐く。


「最初はね、環ちゃんにも若葉と同じ目に遭わせてやろうと思ってたの。

 だけどあなた、夜遊びするようになってSNSで知り合った男の人と初体験を済ませたみたいだったから………あんまり意味ないかなと思って」


 屈辱的なその言葉に、唇を噛みしめて堪えた。


「若葉は男の人を知る前にあんな目に遭わされて自殺したの。

 すごく無念だったでしょうね………。

 レイプなんて………この上ない女の悲劇よ」


「………。

 おばさんはずっと…………あたしの事を見張ってたの?」


「ええ、パートの合間にちょくちょくね。

 でも生きるのって本当に大変ね。

 どんな時でも働いて生活して行かなきゃならないんだから。

 あなたを殺したいと思いながらスーパーでレジを打って、殺したいと思いながら笑顔でお客さんに "ありがとうございました" ってお辞儀して………。

 残り物のお惣菜をもらって帰って来て、一人で夕飯を食べて………そうやって生きてきたの。

 若葉が死んでしまってからは」


「………」


「それまでは、どんなに仕事が大変でも頑張る事が出来た。

 若葉を大学まで進学させて、立派な社会人に育ててあげたかったから。

 勉強で苦労させても、お金の事で苦労させたくなかったの。

 おばさんみたいにね」


「………」


「おばさんもね、高校生までは勉強を頑張ってて、大学にも行くはずだったの。

 だけどおばさんの実家は自営業をやってて、それが上手くいかなくて店をたたむ事になってね、大学に行くどころじゃなくなっちゃったのよ。

 だから高校卒業してからはすぐに働きに出たの。

 レンタカーの会社の事務をね、やってたんだけど、そこで離婚した主人と知り会って結婚したの。

 だけどその会社もバブル崩壊後の不景気の波に飲まれてあっという間に倒産しちゃって、主人は他に仕事を見付けて営業職に就いたんだけど、その会社の上司に毎日毎日いびられて、過重労働させられて………。

 そのうち病気になっちゃった、精神的な病気にね」


「………」


「一度は病院に行って治療を受けたんだけど、少し良くなってもすぐにぶり返すのよ。

 仕事に就いてもどれも長くは続かなくて、毎日毎日家でぐーたらするようになって………。

 そんな事、世間に知れたら偏見の目で見られるし、どうせ家で寝てるんならと思って、病院に行かせるのをやめたの。

 それからずっーと、おばさんが家計を支えてきたの。

 若葉を育てながら」


「………」


「どうしてこんな風になっちゃったのかなって、すごく落ち込んだ時期もあった………。

 だけど、若葉がいたから頑張れたの。

 若葉を大人になるまで頑張って育てようって。

 大きな病気にかからず、健康に育ってくれればそれでいいって、あの子が小さい時にはそう思ってたけど、ある程度大きくなると多少欲が出て来るものでね。

 娘の女としての幸せを望むようになったり、社会に出た後、学歴の事で困らないようにしてあげたいって考えたり、自分が失敗した事は娘には失敗して欲しくないって、色々心配したり悩んだり………。

 だけどそういう事がね、親としての喜びでもあるの。

 経済的に苦しくて毎日頭を痛めてても、娘の事は別。

 どんな事をしてでも幸せにしてあげたいって思うものなの。

 だから若葉を育てて来たこれまでの時間は、あたしにとって幸せな日々だった」


「………」


「それをね、突然あなた達に奪われちゃったのよ。

 テレビのニュースでネットによる犯罪とかいじめとか?そういうのよく見てたけど、まさかね………自分の娘がネットとか、SNSっていうの? 

 それを使った犯罪に巻き込まれるなんて、夢にも思わなかったわ………」


 若葉の母親は自嘲気味に鼻で笑う。


「今の時代って、本当に軽率でバカな子供が多いのね。

 相手の顔が見えないからって、調子に乗って親に買ってもらった携帯で友達をいじめて自殺に追い込んだりするんだもの。

 親の立場からすればたまらない話だわ」


「………」


「最近ね、携帯見ながらヘラヘラ笑ってる学生の子達を見ると、全員この手で殺してやりたくなるの。

 使い方だけ達者でいきがってて、その割には何もわかってないのよ。

 ネットの向こうには人がいるって事。

 なんでも簡単に軽く考えてるからあんな事件が起きるの。

 そうでしょう? 環ちゃん」


 若葉の母親と目が合って、思わず視線を逸らしてしまった。


「相手の男に遊ばれればいいと思った………だけどまさかこんな事になるとは思わなかった………。

 大変な事をしでかしておいて、逃げる時だけは子供になるのね。

 若葉があんな目に遭ったっていうのに、まともな言い訳一つも出来ない。

 あなたのバカみたいな悪戯のせいで、若葉は自殺したのよ………」


 若葉の母親は少し声を震わせる。


「どうして? なんで?って、納得の行かない事ばっかりだった。

 子供を働きながら育てるって本当に大変な事なのに、それをそんな形で奪われて、なんでそのきっかけを作った子供がのうのうと今も生きてるの? って。

 若葉にはなんの落ち度もなかったのに………」


「………」


「法に引っかからないとか、そんなの関係ない。

 子供を失った親にしかわからないのよこの無念さは………。

 子供のバカないたずらで自分の子供を失って………親としての人生まで殺されたのよ………。

 一人じゃ何も出来ないバカな子供に!」


 若葉の母親は包丁を持った手でダンッ!とテーブルを叩いた。


 その音は実際に殴られたかのように、ズンと腹にきた。


「そんなバカな子供を簡単に許したりしない……世間が許してもあたしは絶対に許さない………。

 子供を失ったら何もないもの、守るものなんて………。

 子供の無念を晴らす事が親としての最後の義務よ。

 だからね、気が済むとか気が済まないとかの話じゃないの。

 きちんと義務をまっとう出来るかどうかなのよ」


 若葉の母親はあたしを見て、不気味な笑みを見せる。


「若葉はね、まだ一度も髪の毛を染めた事がないの。

 化粧だってまだだったし、彼氏だって一人も出来た事なかったの。

 それなのに………それをあなたに許すわけないでしょう?」


 それを聞いて確信した。


 おばさんはやっぱり、あたしの心を見抜いてたんだ。


 宗方さんと一緒に公園で笑っていたあたしを見て、さらに怒りがわいたに違いない………。


「都合よく若葉にした事なんか忘れて、幸せな時間を過ごすなんて許せない。

 若葉が出来なかった事を、一時でもあなたに味わわせたくない………」


「………」


「そういうわけだから、まずは麗奈ちゃんを先に、あなたの目の前で殺してあげるわね」


「………え?」


「あなた、普段は友達思いなんでしょう?

 今日だって、そこの子を助ける為に、ここに駆け付けて来たんでしょう?」


「何が言いたいの………?」


「自分の一番大切なものを失って気付いたの。

 相手を苦しませる一番いい方法は、その人自身より、大切なものを傷付ける事だって。

 あなたはあの犬を大事にしてたみたいだし、いい感じにダメージを受けてくれてた。

 だから次は友達の番。

 友達が殺されるところを見て、苦しんでから死んでね」


 サッと血の気が引いた。


「ちょっと待ってよ………やめてよ………お願いだから………」


 若葉の母親は苺美に言った。


「ガムテープでこの子の口も塞いでくれる?

 これからうるさくなりそうだから」


「お願いだから麗奈を殺さないで!

 あたしの事は好きにしていい!

 だからそれだけはやめて!!」


 おばさんはクスッと笑う。


「ほらね、もう効果が出て来てる」


「────……」


 苺美にガムテープで口を塞がれ、絶望的な気持ちになり、視界がぼやけて涙がこぼれた。


 何をどう言っても、おばさんはあたしを許さないのだろう。


 あたし自身を殺す前に、あたしの心を殺そうと考えてる………。


「次は灯油を窓際にまいてちょうだい。

 この部屋と、一階の別の部屋と、それから玄関にもね」


 苺美は言われた通りに灯油を部屋中にまいていく。


 自分の無力さに涙が止まらなかった。


 あたしにはもうどうする事も出来ない………。


 ただただ、麗奈が一人でここに来ない事を願うしかない………。






 けれどその願いは届かず、麗奈は一人で来てしまった。


 ドアホンに映る麗奈を見て、苺美は「どうします?」と指示を仰ぐ。


 麗奈はバックを両手で前に持っていて、何か武器となるものを手にしている様子はない。


「あたしがこの子を見てるから、あなたが出てちょうだい」


「じゃあ、あたしも一応包丁か何か持って行こうかな」


 苺美がキッチンへ向かおうとすると、若葉の母親が「必要なないわ」とそれを止める。


「下手な真似をすればこの子を殺すんだから。

 それよりこれ、玄関に入ったら彼女の手に付けて」


 若葉の母親はもう一つ手錠を用意していて、それを苺美に渡す。


 苺美は指示に従って玄関へ向かう。


 あたしは背後から若葉の母親に包丁で喉仏を狙われていた。


 玄関のドアの施錠を外す音が聞こえてくる。


 やがてドアが開けられ、あたしはぎゅっと目を閉じた。


 すると苺美がひっと悲鳴を上げる。


「やっぱり、電話から聞こえてきたもう一人の声はあんただったのね………」


 麗奈だ。


 何が起きたのかと、ハラハラしながらそちらに目を向けていると、苺美が後退りしながらリビングに戻ってくる。


 麗奈は両手でサバイバルナイフを掴んだ状態で姿を現し、あたしは驚いて目を見張った。


 苺美は声を上擦らせる。


「なんで………いつの間にそんなもの出して………」


「インターホンを鳴らす前に、両面テープでドアに貼り付けておいたの」


 つまり、ドアが開く直前にナイフを掴んで苺美に向けたのだろう。


 さすがだと思った。


 麗奈は昔から頭が良く、機転を効かせるのが早かった。


 肩にかけていたバックを床に降ろし、真っ直ぐ腕を伸ばしてナイフを向けてくる麗奈に、苺美はたじろぎながら言った。


「ちょっと………あたしにそんな事したら、環がどうなるかわかってんの?」


 麗奈はチラッとあたしを見て、狂気に満ちた目を苺美に向ける。


「環を返して、さもないと本当に刺すよ」


 今にも飛びかかってきそうなその迫力に気圧され、苺美は狼狽えながら後退り、若葉の母親へ助けを求める。


「おばさん、ちょ……この子本気っぽいんだけど………」


 ところが若葉の母親は何も答えず、黙って二人の様子を見ている。


 麗奈はじりじりと苺美ににじり寄り、ソファーの背のところまで追い詰め、苺美の手元に視線を落とす。


「面白そうなの持ってるじゃない。

 その手錠、自分の手首にかけなよ」


「でも、これは………」


「いいから早く!」


 鋭く怒鳴られて、苺美はビクッとして肩を揺らす。


「ちょ、おばさん!

 早くなんとかしてよ!」


「………。

 早く自分の手にかけなさい」


「へっ?」


「それがあなたの生きる道よ」


「え、でも、そんな事したらあたし………」


「いいから早くしなさい。

 目の前で狙われてるのよあなた」


 苺美は若葉の母親と麗奈を交互に見ながら、自分の手首に手錠をかける。


 若葉の母親と苺美のやり取りを見て、妙だなと思った。


 こんな事を自分で思うのもなんだけど、若葉の母親はあたしの喉ぼとけを今すぐにでも切りつけられる状態にあるのだから、麗奈にナイフを捨てるように言う事も出来るはずなのに………。


 苺美は言われるまま手錠に鍵を閉め、それを床に落とす。


 すると、若葉の母親がクスクスと笑い出した。


「あなた、本当にバカなのね、可笑しくなっちゃった」


「え?」


「彼女に手錠をかけた後、あなたにも手錠をかけようと思ってたからちょうど良かったわ。

 ありがとう、麗奈ちゃん」


 麗奈はピクッと瞼を痙攣させ、苺美は「は?」と声を震わせる。


「これ手伝ったら………あたしの事は見逃してくれるって言ったじゃん………」


「そんなはずないでしょ。

 あなたが出会い系サイトから変態共を連れてきたからあんな事が起きたんじゃない。

 諸悪の根源はあなたよ。

 生かして帰すわけないでしょ」


「そんな………じゃあ30万くれるっていうのは………」


「簡単に金に目がくらむなんて愚かね。

 キャッシングで借りたお金も全部逃走資金に使っちゃったの。

 最初からそんな大金、持ってなかったわ」


「!!」


「おつむが弱いのね。

 あんたみたいな子供が一番嫌いなのよ。

 バカの上に向こう見ずで、そういうバカに限って周りを巻き込んだりして………」


 苺美は身体をガクガクと震わせながらおばさんを見つめる。


「あなたには友情の欠片もないみたいだから、一番最初に殺してあげる」


「あ、あ………ああ………」


 苺美は忙しなく目を動かして、同情するような顔になっていた麗奈を見て、「あああぁっ!」と高い雄叫びを上げ、入り口のドアに向かって走った。


「待ちなさい!!」


 おばさんはあたしを床に倒し、飛び越えて苺美を追いかける。


 すかさず麗奈は床に落ちた手錠の鍵を拾い上げ、あたしの所へやって来て口のガムテープを剥がしてくれた。


「環、大丈夫?」


「逃げて! いいから早く逃げて!」


 麗奈は構わずあたしの背後に回り、右手の手錠の鍵を外す。


 すると廊下の方から「ぎゃあああぁっ!」と悲鳴が上がり、ビクッとしてそちらへ注目すると、やがて若葉の母親がリビングに戻って来た。


 手元の包丁は綺麗なままだ。


 麗奈は鍵をあたしの右手に握らせ、前に立ってサバイバルナイフを構える。


 あたしはもう片方の手錠の鍵を急いで回して外した。


 おばさんは目を細めて麗奈に言う。


「格好いいナイフね、どこで買ったの?」


「伯母さんの家から借りてきた登山用のものよ。

 それより、苺美はどうしたの?」


「刺そうと思ったら、勝手に気絶しちゃったわ。

 どこまでもバカな子………。

 今殺しても苦痛を味合わせる事が出来ないから、目が覚めてから殺す事にするわ」


 抑揚を付けずに話すその様に、本気で身体が震えた。


「次は麗奈ちゃんの番ね。

 環ちゃんがIDを教えた時、そばに居て止めもしなかったんでしょう?

 だったらあなたも同罪よ」


「………あたしは、おばさんに殺される筋合いはないから」


 額から汗を流し、麗奈はじっと若葉の母親を見据える。


「どうして?

 あなたは自分がした事の重さをわかってないって事?」


「殺される筋合いはないって言ったの。

 それに、若葉を殺したのはあたし達じゃない」


「今さらそんな言い訳が通用すると思ってるの………」


 若葉の母親の瞼が重くなった。


「言い訳なんかじゃない。

 ねえおばさん、若葉を殺したのは、本当は誰なのか教えてあげよっか」


 突然そんな事を言い出したので、あたしは虚を突かれて麗奈を見た。


「若葉を殺したのは他の誰でもない………。

 おばさんなんだよ」


 若葉の母親はわずかに眉を潜め、「何を言うの?」と静かに聞き返す。


「あたし知ってるんだから………。

 若葉はおばさんと、父親に追い詰められてたんだって事」


 一瞬、この場をしのぐ為にわざと出任せを言っているのだろうかと思った。


 だけどそうじゃない。


 麗奈の目は真剣だった。


 若葉の母親の目に鈍い光が宿る。


「これ以上いい加減な事を言うと許さないわよ………」


「いい加減じゃない!

 おばさんは若葉の何を知ってるの?

 若葉が影で何をしてたのかわかってるわけ?」


「………どういう意味?」


「おばさんは自分の娘の本性を知らないんだよ。

 だから100%被害者ですみたいな顔して、好き勝手な事ばっかり言ってられるの。

 親子揃って自分達の事は棚に上げてね」


「ちょっと………麗奈?」


 心配になって声をかけると、麗奈は横目であたしを一瞥し、若葉の母親に向かって言った。


「環が傷付くと思って今まで黙ってたけど………。

 あんな風にりんごを殺されて、こんな事までやらかされて、もうあんた達の事は絶対に許さない。

 若葉はね、陰で環に嫌がらせをしてた上に、殺そうとまでしてたんだよ!」


「───……」


 衝撃的なその台詞を聞いて、キーンと耳鳴りがした。


 若葉の母親は大きく目を見開いて麗奈に言った。


「何よそれ………なんの根拠があってそんな事………」


「ブログだよ。

 あたし、若葉のブログを見付けたの」


「ブログ………」


「転校してからも、ずっと事件の事が頭に残ってて苦しかった………。

 前の学校の友達にどう思われてるんだろうとか、何かネットに書きこまれたりしてないかとか、ずっと不安で、毎日ネットをチェックしてたの。

 学校の裏サイトとか、同級生の友達がよく利用してたcommuのブログとか」


「………」


「同じ年齢で検索かけてて、たまたま見付けたんだよ。

 最初は誰かわからなかったけど、読んでるうちに若葉のブログだってわかった。

 環とcommuのチャットの事で喧嘩した日の事が書いてあったし、ハンドルネームは "双葉" になってた」


 その事にも驚いて、あたしは麗奈を見つめる。


「最初から全部読んだよ、若葉のブログ。

 その中に、おばさん達の事も書いてあった。

 事件が起きるずっと前から、"死にたい、死にたい" って書いてあった。

 環を殺す計画を立てていた事も、自殺する方法を探していた事も、全部その中に書いてあった」


「嘘よ………そんな………そんなものがどこにあるって言うのよ!」


「嘘だと思うんなら!

 そこに落ちてるあたしのバックの中を見てみれば?

 若葉のブログ、全部プリントアウトしてきてやったから!」


 おばさんは狼狽えながら麗奈のバックに目を落とす。


 バックの口から分厚い茶封筒が顔を出しているのを見付けて、急いでそれを拾い上げ、若葉のブログに目を通した。











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