第8話

 二人が話に花を咲かせていると、店内のBGMが切り替わった。

 最近の流行に比べると随分とローテンポな曲にミーシャは目を細め、その歌を口ずさむ。

「どういった曲なんだ?」

 それは世界公用語ではなかったため、仁には歌詞の意味がわからない。

Fly Me to the Moon私を月に連れてって

 1950年台の歌でね、この頃人類は初の有人宇宙航行を成功させたの。

 月じゃこの曲は誰もが知ってるんだから」

 ミーシャは世界公用語での歌詞に切り替えて歌を続ける。

 “木星や火星ではどんな春が来るのかな”という歌詞に、仁は皮肉めいたものを感じる。木星の環境は特に厳しく、環境維持装置の外には出られず、先の大戦では豊富なエネルギー資源に目を付けられ多くの死者を出している。

 宇宙に未だ春は来ず。

 宇宙への憧れと恋心を絡めた伸びやかな旋律が止むと、仁は小さく拍手した。

「どーもどーも」

「上手いな、俺が歌えるのは軍歌ぐらいなもんだ」

「歌はお金かからないからね。

 それに、今から行くのは月じゃなくってタイタンだし」

 照れくさそうに笑うミーシャと仁の時間は、長くは続かなかった。

 

 唐突に、店内に人工音声の警報が鳴り響く。


『非常事態です。皆様、即座に客室にお戻りください。非常事態です』

 

 ギョッとした表情を浮かべたミーシャは、慌てて席を立つ。

 その手を仁が掴んだ。

「戻らないと!」

「待て、コレは何か妙だぜ。

 ……この船の運航会社はSGCだろ、マニュアルだと機長の肉声による非常事態宣言が行われるはずだ」

 宇宙航行は特殊な電磁波帯や未知の生物による被害は多い、最後の判断は人に委ねられるようになってることが殆どである。

 近年では培養した巨大脳による電子妖精操縦の自動運転も提唱されているものの、倫理的な問題から各国の倫理と企業によるロビー活動の争いは長引いていた。

「マニュアルなんて覚えてるの?」

「木星戦線の降下作戦に参加した時に船がハックされた事がある。それ以来だ。

 誰も気付かずにノコノコ席に戻ったらハックされた自軍のアンドロイドに包囲されて死にかけた。その時に似ている」

「テロの可能性があるって事か……。

 わかった、一旦身を隠してローカルネットに潜航できる所を探そう」

 二人は正常バイアスに対する心理的な抵抗力を訓練している為、行動は素早かった。

 問題がなければ手帳を見せて操作で押し切れば良い、何かあっては遅いと言うのがミーシャの持論であり、その事後調整を行うレオンは常に不機嫌である。

 今回もレオンの眉間に一つ皺が増えるに違いないと、仁は彼を気の毒に思う。

 一向に動く気配のない二人に、ゆっくりと店員アンドロイドが接近した。

――警告!攻撃を予想!

 空気の微細なぶれや電子の揺らぎを意味のある変数にまで高め予知に昇華させた電子妖精が、視野の外の脅威を仁に伝える。

 仁の後頭部に高密度プラスチックの拳を振り下ろしたアンドロイドは、背中を向けられたまま拳を避けられる。

 次の動きよりも早く、仁の正面に座っていたミーシャのエネルギー銃がアンドロイドの回路を焼き切った。

「確定だな、警備アンドロイドでもないのにこんな動きをするはずがねぇ」

「せっかくの休日なのにぃ……」

 ガックリとミーシャは肩を落とした。


 ホログラムで投影され、クリックの感覚を電脳で付与されたキーボードを叩いていたレオンは秘密回線が開いたことに驚く。

 この回線が通電する理由はただ一つ、事件が起こったという事だ。

「どうした!?」

『手短に行くぞ、恐らくこの船はテロリストにハイジャックされている。

 今は身を隠しながら潜航して捜査中、少なくとも船の操作系は完全に敵の手中だ』

「なんてことだ……」

『あんたが気に病むことは無いぜ。

 それより頼みたいことがある、ミーシャが潜航して攫ってきた敵のログに<カスタムチャイルド>というワードが多用されている。これについて調べてくれ。

 探知されちゃいけねぇからもう切る、後は頼んだ』

 仁からの通話は一方的に切断されてしまう。

「おい!?くそっ、よりによって宇宙船ジャックだと……」

 レオンは髪を掻きむしると、上着を取って部屋から飛び出した。


 客室に集まった乗客たちは、不安な気持ちを抑え至って冷静に客室乗務アンドロイドの案内に従っていた。しかしそれも、各席に設置されたモニターに同じ映像が一斉に流れ始めるまでの間である。

 モニターに映し出されたのは、木星の惑星記号をモチーフにしたエンブレム。

『我々はカスタムチャイルド。

 この船のコントロールは現在われわれの手中にある。

 我々の要求はシンプル、金と敵の命だ。

 一つ、我々は木星政府に向けて人質交渉を始める。彼らが我々の要求を一つ蹴る度に乗客一人を殺す。

 二つ、乗客の中に木星軍のサイード・マリキン大佐が外骨格を入れ替えて潜伏していることを我々は知っている。サイード大佐は中央ホールに15分以内に現れること。

 そうでなければ一分経過するごとに乗客を一人殺す』

 悲鳴と騒めきが乗客室にこだました。

「ふ、ふざけんな!

 第一テロリストが何だってんだ!」

 一人の男が耐えかねたように立ち上がった。

 客室乗務アンドロイドが彼に向けて発砲するが、彼の人工皮膚の下にある金属骨格がエネルギー弾を弾く。

 次々とアンドロイドの頭部を殴り壊し、男は勝利の雄たけびを上げる。

「この船には俺みたいな兵隊上がりだって当然乗ってる、痛い目見る前に馬鹿なことはやめろ!」

 男の反撃に、モニターの中の声は平静そのものである。

『……仕方のない人ですね』

 モニターの声が呟いた瞬間、男の顔色が変わった。

「ぐっ、く、だすけて、えっ」

 顔を真っ赤にして首を抑えた男の頭が風船のように膨張して、爆ぜる。

 血が噴き出し、周囲の乗客の顔に飛び散った。

 最早悲鳴すらも上がらず、恐怖に震える乗客にモニターの声は淡々と告げる。

『助かりたければあなた達もサイード大佐を見つけることです。

 それでは15分後にまた』

 乗客は、お互いの顔を見つめる。

 乗客同士のハッキングが客室中に広がり、脳を焼かれる声が客室に溢れるまでそう時間はかからなかった。

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