第7話

 空港に現れたミーシャの格好に仁は目を向いた。

 神経接続型の猫耳デバイスが頭上でゆらめき、目にかけたAIゴーグルは意味もなく虹色に光り輝いている。

 服に限っては南国を連想させてるアロハシャツなのだが、タイタンは比較的低温な惑星である。

ノリノリじゃねぇか。

――同意

脳内で電子妖精デジタル・フェアリーの呆れた声が流れた。

「こら、なんでいつも通りの格好なのさ」

仁はいつもの様に、アジア解放軍の制服がファッションとして取り込まれた歴史を持つ20式ジャケットをシャツの上から羽織るだけの格好である。

「私服がねぇんだよ」

「私だってそうだよ」

「……もしかして、その服わざわざ買ったのか?」

 普段は渋い表情を浮かべてばかりの仁の表情も、今日はどこか明るい。

 二人は軽口を交わし合いながら、宇宙港へと向かう。


 関税を抜け、前世紀から何も変わらない接続式の廊下を進むと、二人は宇宙船に乗り込んだ。

 宇宙船は地上用の航空機と比べると非常に巨大であり、客船の様にレストランやカフェ、ショッピングセンターからレクリエーションスペースを内蔵していることが一般的である。宇宙を高速で移動するための空間転移装置と、それを支えるための巨大かつ強靭な船体のスペースを有効活用した形だった。

 一つの商業用ビルが飛行している様なモノである。

 客室乗務員の船頭に従ってエコノミークラスの席がずらりと並ぶ客室へたどり着くと、2人は荷物を上の棚に押し込んで席に腰をうずめた。

 宇宙船及び航空機の客室のレイアウトは、前世紀から大きく変更されていない。

 人間工学的に配慮されたギリギリの快適さによってエコノミー症候群の回避に成功した後は、乗客の管理のしやすさやサービスの維持が結局は優先された。

 ファーストクラスの客室は対照的にホテルの一室の様な個室になっているらしいが、ミーシャも仁もそのような部分にお金をかけるタイプではなく、実物は体験したことがない。

 あっという間に大気圏を突破した宇宙船は、宇宙空間上に設置されたSJGスペースジャンプゲートに突入すると木星圏のSJGに数秒でワープした。

『乗客の皆様、当機はこれより惑星タイタンまで通常航行を行います。

 到着予定時間は4時間後となっており、皆様には30分前までには乗客室に戻ることが法で義務付けられています。

 拒否された場合は、警備機体による強制的な排除が行われますのでご理解ください』

 宇宙航行の長い歴史によって確立された事故を防ぐノウハウを人工音声が読み上げる中、乗客たちは背筋を伸ばして船内に散らばっていく。

 さして興味もない様子で瞼を閉じようとした仁にミーシャの抗議の声が上がった。

「なんで寝るのさ!一緒に回ろうよ」

「休日とは、休む日なんだ」

「やかましいわい。

気分転換も大事だって。

 カフェでなんか奢ったげるからさぁ~、いいでしょ?」

 仁は目を開く。

「……ケーキを頼んでもいいのか?」

「コーヒー付けてもいいよ」

「乗った」

 仁は甘党だった。


 飛行する商業施設でもある宇宙船の中を、ミーシャははしゃぐようにして回っていた。

 高級ブティックで買いもしないドレススーツに着替えて感想を尋ねたり、新型アンドロイドの展示室で値段と性能を比較してみたり。

 仁は内心驚きを覚えていた。

 国連捜査官に拉致されてから数多くの事件を解決してきたが、ミーシャの仕事ぶりは仁の想像の範疇を超えていた。西に事件があれば惑星弾道列車に乗り込み悪党を蹴散らし、東に電脳テロがあれば潜航ダイヴして犯人の野望を砕き、ついでに本体を粉々にする。

 激しい意思を絶やすことのない熾天使こそが彼女であった。

 その彼女が、年頃の少女の様に笑っている。

 妙な胸の疼きに、仁は頬を掻いた。

「……やっぱ趣味じゃないかな?

 無理に付き合わせちゃった」

 仁の顔を覗き込むミーシャに、仁はひらひらと手を振った。

「いや、存外悪くなかった。

 俺一人じゃ間違っても来ないような場所だからな」

「ホント!?」

 ぱあっと明るい表情になったミーシャは、上機嫌で鼻を鳴らした。

「仁、戦争が終わってからもずっと運び屋のその日暮らしだって言ってたでしょ?

 だから、たまにはこういうのも良いかなって思ったの」

「それは嘘だろ」

「バレたか。

 私が見たかっただけです」

 肩を竦める仁に、ミーシャはいたずらっぽい笑顔でステップを踏んだ。


 二人が入ったカフェは「スターゲイトバックス」という名のチェーン店であった。

 太陽系全域に店舗を持つ巨大企業であるが、その始まりは自由の女神を店のロゴに据えたコーヒーショップの模倣店だったという事は有名である。

 毎月発売される期間限定のドリンクは若い女性を中心に大人気なのだが、その糖分やカロリーは肉体改造を施していなければ確実に人体に悪影響を与えるほど強烈なものである。

「そのウネウネしたのはなんて名前のドリンクはなんだ……?」

「マーズジェリーフィッシュのラズベリーシェイクだよ、映えるでしょ」

 気色悪いの間違いだろ、という言葉を飲み込んで、仁はビチビチと触手が蠢いている赤いドリンクから視線を逸らすと目の前のチーズケーキに集中することにした。

 口の中で溶けるスポンジに舌鼓を打つ仁を覗き見て、ミーシャは静かに微笑んだ。

 戦争中に製造された人造人間である仁にとっては、戦いこそが日常であり、平和な世界こそが異常な空間である。

 そんな彼が少しづつであっても戦後を受け入れつつあるのが彼女には何よりもうれしかった。

「これも半分飲む?美味しいよ!」

「いや、なんかキモいし要らない」

「なんだとぉ~!?」

 ある意味激しい肉体労働に従事していると言える二人は、雑談を交わしながらもあっという間に目の前のものを平らげる。

 二人の元に人間型の店員アンドロイドが食後のコーヒーを運んだ。

 一時期は多目的な業務により合理的に対応するための非人間型のアンドロイドが流行したが、結局人は人を求めるものらしく、市場からの強い要望で人間型アンドロイドが主流に戻っている。

 コーヒーを少し口に含み、意識はささやかな覚醒を終えた。

「ミーシャ、あんたは何故戦う?」

 苦みが浮足立った気分を落ち着かせたことを見越して、仁はミーシャに尋ねる。

 なぜこの女が過酷な戦いに身を置いているのか、それは自殺タワーで出会ったときから仁の胸の片隅に残り続けていた。

「いきなりだね」

「ずっと気になっていた。

 俺は……これしか知らないからな。

 ただ、あんたはそんな風には見えない」

 カップをソーサーに置くと、ミーシャの表情は切り替わっていた。

「私が戦うのは、誰かに希望を残したいから。

 こんな世界にも救いはあるんだって、一人でもいいから見せてあげたいの」

「俺達が救えるのは命だけだろう。

 それに、一つの事件ですら全員が救えるわけじゃない」

 ミーシャは少し考えこむように目を伏せ、しかしすぐに仁を見据えた。

 それはある意味で挑発的な、仁への強い感情を持った瞳である。

「私、火星のスラムで生まれたんだ。

 汚染されたごみの山から使える資源を拾うだけじゃ生活できなくて、体を売らないと生活できなかった。あの頃は世界が全部的に見えて、ずっと世界を呪ってた。

 どうか助けてください、そうでなければ殺してください。

 なんて思いながら」

彼女の機械の瞳が信頼と不安の間で揺れ動く様に気が付きながら、仁はただ話に耳を傾けている。

「ある時、地元のマフィアに売春宿が襲撃されて、店は吹き飛ばされた。

 店長がみかじめ料を誤魔化したのが原因で、私達はがれきの下敷き。

 そのうち店長が飼ってるチンピラとマフィアが争い始めたけど、私達はまるっきり無視されて、体を瓦礫でつぶされてた。まるでその場にいないみたいに。

 皆のうめき声が一つ、また一つと止まって、私の意識も朦朧として……。

 その時、急に視界が明るくなった」

 ミーシャは口を釣り上げた、あまりうまく笑えてはいなかった。

「マフィアが国際犯罪に関わっていて、それを追って来た国連捜査官の人だった。

 その人が瓦礫をどかして『もう大丈夫だよ』って言ってくれた時、初めて思ったの、こんな世界にも救いはあるって。

 だから今ここに私はいる。

 かつての私みたいに誰かを救いたい、そう願ってる」

 ミーシャは零士の表情を伺う。

「キミはどう?」

「俺が戦う理由は、俺が作られた時から変わってないさ。

 生き残るために戦う。

 ついでに……仲間の命も救えたら最高だ」

 ミーシャは微笑んだ、今度は満面の笑顔である。

「無遠慮な事を聞いて悪かったな、もっとなんてことない話だと思っていた」

「良いってことヨ。

 これからもよろしくね、相棒」

「……慣れねぇな、その表現は」

 ミーシャが付き出した拳に、苦笑しつつも仁は拳を合わせた。

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