episode2[Fly Me to the Moon]

第6話

 ネットワーク空間は人類に残された最後の未開拓地フロンティアである。

 現実世界にて政府や公執行機関を出し抜くには、あまりにも国民への監視手段が強力になり過ぎた現代において、人間の意識をネットワークに潜航ダイヴさせることが可能になった事実は重要な意味を持っていた。

 潜航によるネットワークの再構築は従来のセキュリティを無意味なものにし、人間の脳に搭載された神経ネットワークの柔軟さに国家や技術者たちは未だ完全な対策を行えずにいる。

 しかし、自由は危険を伴う。

 無法地帯に近い電脳空間においては、意識の拉致事件や電子ドラックの蔓延が新たな社会問題となっていた。

 

 インターネット・スラムで一人の男の意識体が飛翔していた。

 電子ドラッグや、出生率低下の原因になるため世界的に禁止されている体験型VRポルノのけばけばしい広告の幕を通り抜け、プログラムで組まれた壁を透過してすり抜け、男は何かから逃げ回っていた。

 そんな男の頭上を、翼を持った影が通過する。

 あれは何だ?鳥か、飛行機か?

 男の疑問は、目の前に着地した女の背中に純白の羽が生えていたことで氷解した。

「国連警察がこんなことしていいのかよ、国際問題になるぞ!」

「権威は表の世界でしか通じないんだよ。

 今のキミはスラムの鼠に過ぎないじゃん」

 白い長髪を靡かせて、国連捜査官のミーシャ・サマヤは無感情に言い切った。

 男は表の世界では名の知れた国際企業のCEOの息子であり、その立場を最大限に利用して様々な悪行をもみ消してきた。

 地元警察は国からの圧力で動くことができない。

 それに増長して罪を重ねた彼は、遂に自身の罪に追いつかれたという訳だった。

「てめぇ、この女がどうなってもいいのかよ!」

 ミーシャの侮蔑の籠った台詞に怒る男は、手に握ったキューブに力を込めた。

 そのキューブは女の意識が加工されたデータの結晶で、男はその悲鳴を聞くことが好きだった。

「あー、うんざり。

 ジン、やっちゃって!」

 男の足元から生えて来た手が足を掴み、結晶を握る男の手を銃で吹き飛ばした。

 腕がポリゴンに分解されて砕け、結晶が地面を転がる

 驚愕する男に向かって、男の足元から飛び出してきた鶴屋仁は強烈なボディブローを腹部に叩き込んだ。

 男の意識体が吹き飛び、ネット空間から弾き出される。

 現実世界で覚醒した男は、汗を拭いながらヘッドセットを取り外した。

 あの二人をどうやって追い詰めてやろう!早くも復讐に思いを巡らせていた男は、目の前に二つの影が立っていることにようやく気が付く。

 ミーシャと仁は、既に彼の目覚めを待っていたのである。

「豚箱に案内しに来たぜ」

 驚きのあまり出目金の様に口をパクパクと開けるしかない男に、本日二度目のボディブローが叩き込まれた。


 数か月前、国連事務所に連行された仁は泣く泣く国連捜査官になることを承諾した。

 ミーシャの強い要望により、仁は彼女とバディを組んでいるものの組織内での評価はあまり芳しいとは言えない。

 仁の荒々しい捜査、言い換えれば恫喝は警察というカラーには全くに合っていないのである。

「どうしてヤツを必要以上に痛めつけた?」

 髪をオールバックでまとめたメガネの男は、二人の直属の上司であるレオン・ホワイトである。

レオンは今にも唸りそうな声で仁とミーシャを睨みつけた。

「おかげで奴の弁護士から突かれるだろうが!

 気持ちは分かるが、いつまでもごろつき気分で居られては仕事にならん!」

「分かるのか」

「やかましい!

 とにかく、今回も反省文を提出してもらうからな」

「はーい」

「了解っす」

 二人のまるで反省していない様子にレオンは眉間を抑えた。

「……待て、まだ話がある。

 お前らそろそろ有給を消化してこい」

レオンの言葉に、ミーシャは露骨に反感の表情を浮かべた。

「やだよ、人手不足なんだし」

 ミーシャにの思惑に反し、仁はあっさりと頷く。

「じゃあお言葉に甘えて」

「ちょいちょい!裏切らないでよ!」

 相棒の裏切りに頬を膨らませつつ、ミーシャはレオンを睨みつけた。

「なんで今更休めとか言うわけ」

「お前はワーカーホリック気味だから働いてないと悪い事してる気分になるのかもしれんが、人間休息がなければ鈍るモノだ。

 それに法律違反になって俺が上から搾られる、最近は何かとうるさいのでな」

 ミーシャは眉をハの字に下げる。

「そんなこと言われたって、やりたい事無いし……」

「それならこれにでも行ってこい」

 レオンはミーシャの言動を理解しているようだった。

 レオンが手元のホログラムキーボードを叩くと、ミーシャの義眼と仁の胸元に装着されていたホログラムデバイスに「お二人様タイタンパークご招待券」と記入されたチケットの映像が表示される。

「タイタンパーク?

 太陽系で1番人気の遊園地じゃん!

 いいのレオン?」

「この前タイタンに会議に行ったら、現地の奴に押し付けられた。

 俺は遊園地って歳でも無いし、二人ペアチケットじゃ家族全員で行けないからな」

 レオンは6歳の娘がいる父親である。

 普段は私情を一切挟まない鋼の男も、家族の事となると顔を緩める。

「俺は遊園地なんて……」

 ホログラム投影されたチケットの3Dモデルをレオンに押し返そうとする仁引き寄せて、レオンは耳打ちした。

「ミーシャに付き合ってやれ、見張がいないとあいつはどうせ人助けに走って休もうとせんからな」

「俺の休みはどうなるんだ」

「……遊園地に付き合ったならこれを優先配備してもいいぞ」

 ホログラムデバイスから投射された像に仁は目を向く。

 そこには一振りの刀が映っていた。

「MB9001-カゲロウ!?

 アメリカ軍が新採用した最新鋭ブレードじゃねぇか!」

「そうだ。

 国連平和維持軍にも少数配備される筈だったんだが……この前リコール騒ぎがあっただろ?それで契約破棄になって平和維持軍の方が扱いに困ってたんでな、一振り融通して貰った。

 さて、どうする?」

「俺、実は遊園地大好きなんですよね」

 ガッチリと握手する男達に、ミーシャはため息をついた。

「全部聞こえるんだけどなー」

 心なしか嬉しそうな表情で、義眼に投影されたチケットの3Dモデルを弄りながら。

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