第3話

 重力に引かれ、二人の男女が抱き合いながらゆるりと回転している。

 白髪が空に舞うミーシャに見とれ、仁は場違いなことに天使を思い浮かべていた。


 仁がしっかりとしがみついているのを確認してから、ミーシャは警棒をビルの壁面に突き刺す。ガラスやアルミフレームの叩き割れる甲高い音が悲鳴の様に鳴り響き、破片を雨の様にまき散らす。

 それでも勢いを殺しきれずに地面は接近する。

 ミーシャは仁を抱えたまま、ビルの壁面を蹴った。


 くるりと宙返りをして、ミーシャは地面に着地する。

 その腕にお姫様抱っこで抱えられた仁は、少し顔を赤らめていた。

「その、助かった」

「案内のお礼だって、これで貸し借りナシね」

 直後、凄まじい爆音が彼らの頭上で鳴り響いた。

 高層ビルが身を折り、自殺タワーの名に相応しく地面に身を投げる。


 迫ってくるビルの上半身にミーシャが焦りの表情を浮かべる中、黒い影が二人の傍に駆け寄った。

「乗れ!」

 それは一台のバイクだった。

 自動運転で仁を迎えに来た大型のバイクに二人は乗り込む。

 バイクの左右で唸りを挙げているのは、マフラーではなくジェットエンジンである。殺人的な加速に意識を振り落とされそうになりながらも、二人は必至でバイクにしがみつく。

 バイクが頭上の影を抜ける。

 直後、二人の背後で地響きが鳴り響き、ビルが地面に崩れ落ちた。


 急減速して、アスファルトに爪痕を残しながらバイクは停止する。

「な、なんつー物に乗ってんのよキミ……」

「あんな滅茶苦茶な脱出を選ぶ奴に言われたくないな」

 ミーシャは目を細めた。

「でも、これならマミに追いつけるかも」

 崩壊したビルの巻き上げる土ぼこりに顔を覆っていた仁は怪訝な表情を浮かべる。

「追いつく?

 ……ビルと一緒にくたばったんじゃねぇのか?」

「死体を見ないと安心できないのが私達でしょ」

 従来の人間とは比較にならないほどの頑丈さを持った改造人間たちが跋扈する現代に、常識的な感覚は通用しないのだ。

 現に2人は崩壊する高層タワーから生存しているのだから。

「しかし、どうやって確かめる」

「それに関しては大丈夫。

 キミと別れたあと、彼女にこっそり探知用ナノマシンをくっつけたから」

 仁は驚きの声を漏らす。

「実用化しているのか!」

「当然自走能力はないに等しいから、対象に直に忍ばせる必要がある欠陥品だけどね。

 今回みたいな魔法使いウィザード級の電子術士にも気取られないために、微弱な電波しか発さないせいで場所も大まかにしかわからないし」

 バイクのデジタルモニターに表示された赤い点が、マミの現在地を示している。

「話は追いかけながらにしましょ」

「しょうがねぇ、あんたの話に乗るしかねぇか」

 仁は再びバイクのエンジンを回し、フルスロットルで走り出した。


 先ほどまでの戦いで火照った体をバイクの風が冷やす。

 仁は暫し躊躇い、しかし好奇心に押し切られる形で尋ねた。

「あんた何者だ」

 仁の胴体に回される手の力が強まる。

「……ま、隠さなくても良いか。

 国連捜査官と言ったら信じてもらえる?」

「国連?アメリカが脱退してほぼ半壊状態だろ。

まだCIAがどうこう言ってくれた方が信じられるぜ」

 仁の拍子抜けしたような反応にミーシャは怒り心頭である。

「ほら!

 そう言う反応が殆どだから嫌なの!

 確かに権威は無いに等しいけど、大多数の国が参加する国際機関なんですからね!」

 聞き慣れた反応なのだろう、うんざりした様子でミーシャは嘆いた。

「ほら、これが警察手帳」

 ミーシャの差し出したデバイスには国連平和活動局紋章と、ホログラムによって浮かんだ制服姿のミーシャの姿が映し出されている。

 情報の裏取りをしている時間はない。

 この警察手帳も偽装しようと思えば可能だろう。

 しかし、わざわざ国連警察という立場を選択する意味のなさ、そして、これまでの彼女の振る舞いからは嘘が感じられない。

――生態的反応から測定、嘘の確率は20%

 悩ましそうな声で電子妖精が唸る。

 どちらにせよ、仁にこのまま帰るという選択肢はないのだ。

 仁はミーシャを信じることにした。

「それで、その国連捜査官殿がなんであの水晶を追ってる?

 ありゃ確かに値打ち物だが、世界各国の首脳の児童売春データが詰まってるだけの代物だぜ」

「……それでも動機としては十分じゃない?

 って、そうじゃなくて」

 さらりと、しかし現実的な硬質さを持ってミーシャはその事実を口にした。

「あの水晶体、人類のシナプスにアクセスして特定の感情を制御するインターネット・ウイルスが封入されてるから」

 時速150kgで疾走する仁のバイクがスリップした。

「ちょっと!殺す気!?」

「待てよ!あの水晶体のセキュリティはそんなに厚くなかったぜ!?

 そりゃ一世一代の大仕事だったが、俺みたいな一介の運び屋が盗めるもんじゃないだろ!」

「だって、あの時研究所は電子術士による未曾有のアタックを受けてたからね。

 あなたの他にも数名忍び込んでたし」

「……全く気が付かなかった」

「相当な指揮能力よ。

 多数の駒に自分の役割を一切悟られずに操作し切ってみせた」

 とんでもない事件に巻き込まれていることを悟った仁は、なんとか狼狽から立ち直ると月並みな質問を絞り出す。

「あの女は何者なんだ」

「通称マミ、進化した新人類。

 キミみたいな戦争中に改造を受けた人ならみんな搭載してる、電子妖精に肉体を与えたといえばわかりやすいかな?」

「バカな……新たな生命を作り出したってのか。国際条約に違反するだろうが。

 なんのためにそんなことを」

「彼女の規格外の電子戦能力を見てもそんな事が言える?」

 周囲のサイボーグをあっという間にハックする様はまさに魔術師。

 全ての電子が彼女に従うかの如き権能は、電子と物理の壁が存在していなかったかのように自在であった。

「とは言っても、当初の彼女の開発は自立移動する高性能コンピュータの開発というコンセプトで始まったし、その用途での使用が主だったの。

 数ヶ月前、生体コンピュータとして彼女は突如人類側に提案を行ったわ。

 その案は人類の感情を制御し、彼女による統治を行うといったものだった。

 当然拒否した研究者達は、数日後に彼女が試験管にいない事に気がついたそうよ」

 何もかもが傲慢な話だった。

 きっと科学者の連中は自身が神になったのだと勘違いしているに違いない。

 仁はおぞましさを感じながらも、真っ先に浮かんだ疑問を優先した。

「あの女は人類を支配したがってるのか?」

「正確には救おうとしている」

「なに?」

「彼女の見立によると、人類はこのまま行けば核戦争で滅ぶらしいわ」

 マミの懸念を仁は否定することができなかった。

 現在世界は混乱の極みにある。

 ロシアは過去の亡霊に突き動かされるように覇権主義にしがみ付き、中国は資本と強権を失ってなおアジア全域を支配していた栄光の12年間に戻ろうと画策し、アメリカは国内の分裂に耐えられず崩壊状態なのだ。

 技術と人類の知能の進化は、その愚かさの克服になんら寄与しなかったのである。

「あんたはそれを聞いてもマミを止めるんだな」

「仕事だからってのもあるけどね。

 癪じゃない、ぽっと出の奴に全てを奪われるの」

 この仕事が世界の滅びの引き金になるか、それとも救いになるのかは彼女にとって些細なことらしかった。

「国連や協力機関各所に通達はしたけど、彼女を止めるには遅すぎるわ。

 彼女が今向かってるのはこの先3㎞先にある宇宙港のはず、そらに先立たれたらどんな軍隊でもすぐには追いつけない」

 予想外の展開に仁は呆気にとられた。

 技術の発展により宇宙旅行および宇宙への移住は盛んに行われているものの、未だ人類の世界の中心は地球である。

「どうして宇宙に行くんだよ」

「あ~……、もう言っちゃっていいよね!」

「既に碌でもなさそうなんだが」

「ご明察!

 先の大戦で、一部の大国は自国の兵士の離反などを受けたじゃない?

 それをに、兵士たちの脳にバックドアを仕込ませたの。

 いざという時彼らを操作できるように」

 仁は天を仰いだ。

「宇宙に行くのはその国の通信衛星が狙いか。

 一日で奴は数か国の軍隊を手中に収めるつもりという訳だ。

 ……ハハ、どいつもこいつもふざけてんのか?」

 人類の業を一日に詰め込んだような、壮大な自爆を目の当たりにして仁は呆れ返った。

「アイツが世界を支配したくなる訳だ」

「ま~、気持ちは分かるけどね」

 言葉とは裏腹に、ミーシャの瞳は揺らいではいない。

「でも、今日は世界を救いたい気分かな」

 仁はにやりと笑った。

「違いねぇ。

 俺もハメられたままで終わるのはどうも気に食わねぇ」

「じゃ、決まりってことで」

 世界の命運を握る二人は、とりあえず世界を救うことにしたようだった。

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