第2話

 ラウンジの片隅にあるテーブルに今回の取引相手は座っていた。

 椅子の中央に陣取る大柄な男の傍に仲間と思わしき男女が座っている。

「遅い!」

 仁が席に着くなり、端に座る男が声を上げた。

「遅いも何も、時間ちょうどだぜ」

「待たせたことには変わらんだろう!」

「何を怒ってんだ」

 取り付く島もない仁の態度に男が怒りのボルテージを上げようとしたところを、大柄な男の手が間に割り込んだ。

「悪いな、仲間がここに来るまでに死んだんで気が立ってるんだ」

 44階へのダイヴに失敗した奴がいたという訳だ。

 仁は内心呆れつつも話を合わせる。

「それは気の毒に」

「ありがとう。次からここに来る仲間には専用の訓練を受けさせなくっちゃな。

 俺はヴォルク、そっちの男がテオ、そっちの女がマミだ」

「仁だ、よろしく」

 ヴォルクの幹の様な手を握ったとたん、電子妖精が慌てた声を上げた。

――危険!危険!体内に多数の武装を格納!

 体内に武装を格納するタイプの義体化は言うまでもなく重罪であり、一般道路を歩いただけでも探知機による通報が警察に届く。

 目の前の相手がここに居るという事は、国中に張り巡らされた監視の目を区切り抜けるほどの高度な義体を身に着けているという事だろう。

 今回の取引は無事に終わりそうにない。

 仁は自身に向けられる視線から冷たいものを感じざるを得なかった。

「これが例のブツだ」

 危機感をおくびにも出さず、仁は淡々と取引を進める。

 仁が机の上に置いたケースには、六角形に切り取られた水晶体が入っていた。

「……これが」

 テオがその水晶体に手を伸ばすと、ヴォルクがその手を素早く掴む。

「よせ。

 莫大な空データを流し込まれて発狂死するぞ」

 息を飲んで手を引っ込めたテオは、先ほどから一言も発していないマミを振り返った。

「マミ、やれんのかよ?」

 問いかけには答えず、マミは太ももに載せていた杖を床に建てた。

 それは現代の魔術師、電脳術士デジタルウィザードの魔法の杖、大量のデータのやり取りを可能にするアンテナ兼補助コンピュータであるIロッドである。

 彼女は立ち上がるとロッドを水晶体に向け、何かを呟いた。

 まばゆい光と幾何学模様がロッドと水晶体を激しく行き来する。

 焦げ臭さと電磁波が周囲に広がる。

 思わず顔を覆った男達に目もくれず、髪の毛を逆立てるマミはデータの奔流を掻き分け、水晶体の奥深くへと意識を潜航ダイヴさせる。

 数分間の悪戦苦闘のうち、光の乱舞はなりを収めた。

「……開いた」

 男達が恐る恐る水晶体を覗き込むと、そこには開花した花びらの様に多数の殻を展開した水晶体があった。

 その中にはほのかに輝く球体の情報媒体が収められている。

「まるでファンタジーの代物だな。

 設計者はロマンチストらしい」

 額の汗を拭きながら、ヴォルクは皮肉めいた称賛を口にした。

「スキャン完了。

 ……事前情報と一致、取引を推奨する」

 マミは大量の汗を流しながら、仲間たちに頷く。

「どうやら本物らしいな。無駄足じゃなくて良かったぜ」

「当然だ、俺がどれだけ苦労してこれを手に入れたと思ってる。

 それで、金は用意してきたんだろうな」

 仁にとってはここからが取引の始まりである。

 この水晶体にどんな機密情報が収まっていたとしても彼には関係のないことで、ここで手に入れる金こそが彼の全てなのだから。

「あぁ、お宅とはこれからも手を組みたいからな。

 少し色も付けておいたぜ」

 ヴォルクは机の上に巨大なケースを置いた。

「金50㎏だ、今後も上手くやっていこうじゃないか」


――警告、体積が申告の物と不一致!


 ヴォルクの言葉を遮るように、音響で体積を割り出した電子妖精が叫んだ。

 仁がソファーから真横に飛び出した瞬間、彼が居た位置にケースから噴射した液体が襲い掛かった。一瞬のうちにソファーは異臭を放ちながら溶けて行く。

 回避されたことに驚くヴォルクの顔面に、仁は懐から抜いたガンマブラスターを躊躇なくぶっ放す。

 放たれた緑の光線は、ヴォルクの頭を綺麗に蒸発させた。


 噴水の様に血が噴き出す中、残されたテオは机をフリスビーの様に投げ飛ばす。

 床を転がるようにして仁が避けた机は、彼の背後で会談していたマフィア達の首を撥ね飛ばし、彼らが座っていたソファーに突き刺さる。

 テオも当然、身体を強力な義体に置き換えているのだった。

「正気かてめぇら!ここで争って生き延びられると思ってんのか!」

 ブラスターを連射し、周囲の物を片っ端から吹き飛ばして仁は叫ぶ。

 この自殺タワーを運営しているのは裏社会の重鎮の一人であり、ここでの暴力沙汰はご法度のはずである。

 安心して取引が出来る場所というブランドに泥を塗られた彼らが黙っているはずがない。

 何より、この争いに巻き込まれた周囲のならず者たちも黙ってはいない、そのはずだった。

――警告、周囲の人間がハッキングされている!危険!

 電子妖精の悲鳴で、仁はようやく事態の異常さに気が付く。

 このフロアにいる彼ら以外のならず者たちが、生気を失った瞳で仁を一斉に見つめていた。義体がアクセスしているインターネットを介して、マミが彼らの体を乗っ取ったのだ。

 仁とて、彼がクローズドかつ生物的な改造を好む生体者的志向の持ち主でなければこの場でマミにハッキングされていただろう。

「マジかよ……」

 電子術士とはよく言ったものだった。

 まさに魔法使いウィザード級の電子術士を相手にしていることに、仁はようやく気が付いた。

 ハッキングを受けた周囲の男達が、仁に一斉に銃を向ける。

 こうなれば、仁の取れる戦法はたった一つだった。

 仁はテオとマミの元まで一心不乱に駆け出す。

「くたばりやがれ!」

 テオが両手を仁にかざすと、その手が二つに割れ、内部から巨大な銃口が現れる。

――あなたが死ぬまで三センチ!

 電子妖精が楽しそうに歌いだすなか、仁はその歌声に身を預けて走り抜ける。

 人工筋肉に入れ替えられた仁の肉体は電子妖精のガイドを受けて自在に動き、テオの両手から放たれる壊滅的な弾幕をすり抜ける。

――あなたが死ぬまで一センチ!

 電子妖精のコンサートも最高潮に達する。

 テオに肉薄した仁に、テオは必至で銃口を向けた。

 しかし、その抵抗も既に遅い。

 仁は強化された筋力でテオの首を回転させるようにねじ切った。

――獲物が逃走!

 電子妖精の声に慌てて周囲を見渡すと、マミは水晶体をもって44階唯一の出口、空気噴射で人間を上の階へ打ち出すエアダクトへと消えて行く。

 即座に追おうとする仁の行く手を、自我を失ったならず者たちが阻む。

 四方八方から降り注ぐ光の雨に、さすがの電子妖精も歌を止める。


 生存ルートが見つからない中、それでもガン&ランを辞めない仁の頭上から何かが舞い降りた。


「ごめん、待った?」


 それは、この場所には不釣り合いな、堅苦しいスーツを纏った白髪の女だった。


「ミーシャ!?」

 後で会おう、彼女は確かにそう言った。

「お話は後!こいつら片付けなきゃ!」

 ミーシャは手に持っていた円柱状の物を振った。

 それは警察官の持つ伸縮式の警棒である。

 もっとも、ただの警棒ではなく、身体改造を施した犯罪者の意識を刈り取るための高圧電流が流れている代物だった。

 ミーシャは自身に向けられた弾幕を警棒で優雅に弾きながら、接近したマフィア達を警棒で撲殺していく。彼女に殴られたものは次々と宙を舞う。

 その背中を守るようにして、仁は彼女を狙う者たちをブラスターで蒸発させる。

「やるじゃない!」

 戦闘中とは思えないほど意気揚々としていたミーシャの顔色が変化するのと、電子妖精が声を上げるのはほぼ同時だった。

「大変、あいつ……!

 自爆しようとしてる!」

――ヴォルクに注意!彼の体に高エネルギー反応を感知!

 首を失ったヴォルクはまだ動いている。

 彼はその生が失われた瞬間に、周囲を巻き込んで自爆するよう自信を設定していた様だった。

「やっばい!逃げないと!」

 二人はならず者たちの追撃をねじ伏せながらエアダクトに向かう。

 しかし、エアダクトは動かない。

「マミが停止させてやがる、間に合わねぇ……」

 かすれた声を漏らした仁に、ミーシャは不敵に笑った。

「まだまだァ!」

 仁の手を取り、ミーシャはこの階唯一の入り口である自由落下の壁に向かった。

 彼女が警棒を無造作に降ると、壁は切断され、外の空気が流れ込む。

「しっかりつかまってなさい!」

「待て!何考えてやがる、放せ!」

 ミーシャは仁を抱いたまま、ビルの外へ飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る