私はあなたと月になる

そうなんです!!

私はこはくと歌いたい。

第1話 解散

「じゃあ、行こっか。こはく!」


 そう言って、私はこはくの手をぎゅっと力を込めて握る。


 舞台袖にいるこのときが少し好きだったりする。

 ライブの前のドキドキとかワクワクとか全部詰め込まれていて、それには隣にはこはくがいる安心感もある。

 やけに冷たくて汗ばんだ私の手も、こはくが握ってくれればそれでいい。


 今日は待ちに待った活動再開の日。私たちは多くの期待に胸を膨らませている。


「うん。今回も成功させようね!くるみ」


 こはくは少しだけ笑いかけながら私を見た。その表情は愛おしくて、思わず抱きしめたくなる。


 こはくはかがんで私の手の甲に唇をちょこんと落とす。柔らかくてしっとりとした感触が伝わる。


「ちょっと、こはく!みんないるから!」


 いくら舞台袖と言えど、マネージャーの古鳥さんを初めたくさんのライブの関係者がいる。スポンサーのみなさんも。そして私たちを密着しているバラエティー番組のスタッフも。


「いいじゃん。こんぐらい普通だよ」

「普通はこんなとこではやんないよ!」

「気にするほどでもないでしょ。ほら、くるみもしてくれてもいいんだよ」


 そうやってこはくは私の手を握ったまま彼女の手を近づけてくる。


「もう…。わかったよ…」


 こういうとき、いつも押し負けるのは私だ。

 羞恥心を捨ててこはくの手をみる。たとえ光の当たらない舞台袖にいたとしても、綺麗に輝く手だ。きっとハンドクリームとかで丁寧にケアしてる、私が一番触れた手。


 私はそれにそっと唇を当てる。

 いつものこはくの香りがした。それは出会ったときから変わらず、そしていつしか私を安心させてくれるようになったものだ。


「くるみちゃん。こはくちゃん。そろそろ準備してね」


 後ろからマネージャーの古鳥さんの声が聞こえて、思わずびくっと跳ねる。


「はっ、はい!」


 私は強く返事をした。


 時間がきて、ステージに一步、足を踏み入れるだけで、歓声と拍手が鳴る。まるで私たちの再スタートを祝福するかのように。

 そして会場のボルテージが高まっていくのを肌で感じる。


 ここに立つの、久しぶりだな…。


 当分感じていなかったのステージの明かりは、私たちの肌を光らせ、緊張を解く。

 

 私はこはくの手をそっと離す。

 愛おしいこの手を放るのは気が引けた。けど、心はつながっている。

 そう思えるから、きっと私たちは大丈夫。


 すーっと息を吐いて、前奏のリズムに乗る。ゆっくりと揺れるサイリウムに涙が込み上げてくる。


 この光景は、私たちがたくさんの壁を乗り越えてきた証左で、幸せそのものなんだなと思う。


 *


 私、夜雲やくもくるみは高校3年生。

 そして、伝説の二人組音楽ユニット『NEO』のメンバーだ。


 あるときはバラエティ番組にゲストとして呼ばれたり。


 何万人のお客さんの前で歌ったり。


 そうは言っても、いや、正確に言えば『NEO』はいま存続の危機にあるのだが。



 〜数刻前〜


「なんでよ!くるみがそう言うなら、私はこの仕事を辞めるから!」


 そう言って乱雑に扉を閉めて、出ていってしまったのは、『NEO』の私の相方の秋草あきくさこはくだ。


「ちょっとこはくちゃん!」


 そう叫んだのは茶色いショートヘアのマネージャーの古鳥ふるとりさん。疲労が顔からにじみ出ているけど、絶対に可愛らしい方だと思う。古鳥さんは私たちのスケジュールの管理をしたり、出演オファーをさばいたり、あらゆる面でNEOを支えてくれている。

 聞いたところによると、彼女はまだ入社してから数年しか経っていないらしい。

 そんな古鳥さんはこはくを追いかけ出ていってしまった。


 *


 今日は『NEO』のデビュー半年を祝うライブの日。それが終わって一息ついているときのことだった。

 ちなみに今日のライブは大成功。

 デビューして半年で、私たちの持ち歌はたった数曲しかないのにライブのチケットはすぐに乗り切れた。これはNEOが売れた証だし、たくさんのファンに支えてもらえていることを実感する。


 こはくと揉めた原因は些細なことだった。

 きっと私たちはハードスケジュールのせいで精神的におかしくなっていたのだろう。いつもは笑って許せるちょっとした冗談に、急にむしゃくしゃしたりすることが最近よくあったのだ。

 デビューして少し経った頃までは普通に仲が良かったのに、次第に二人っきりになると話さなくなって、だんだんと心の距離は空いていっていた。


 そして今日、ずっと溜まっていた不満が爆発した。それだけだ。



 マネージャーから今日の仕事は全部キャンセルという指示が出たので、家に帰るためにタクシーを呼んだ。

 タクシーを待つ間、外にいると、真夜中の都会の風が冷たくて、熱くなった頬に当たると気持ちがいい。最近は外の空気を感じる余裕さえも無かったのだ。


 今日の仕事はキャンセルと聞いた時、私はなんとも思わなかった。申し訳無さがあるわけでもなく、休めて嬉しかったわけでもない、無だった。この業界で仕事をもらうのに大事なのは感謝とか、挨拶とかいうけれども、最近はそれに気を遣うわけではない。

 むしろ多少仕事が減ったほうが嬉しいし、この激務から解放される。音楽は心を癒すけど、歌っている側はそこまでではないのかもしれない。


 まぁそんなわけで。今日この後はこはくが出て行ってしまったからオフってこと。

 


 そもそも私の仕事はこはくと歌うことだから、私一人では『NEO』は成立しないのだ。



 多少の後悔と、ある程度の解放感を持って、帰宅する。空っぽになった心にも些細な感情があるけれど、気にするほどでもない。

 まだ実家に住む私は両親と妹の4人で暮らしている。だけど私は仕事が忙しくて週に2回ほどしか家に帰らない。

 高校生、としては絶対におかしい。

 だからか玄関のドアを開けるガチャンという音が少し懐かしく感じた。


 家の香りは少し懐かしく思える。実家暮らしの高校生がこんなことを思うのはヘンなことかもしれないけど、売れっ子なら普通だろう。


「ママ…お姉ちゃんが…帰ってきた」

「えぇ!!嘘!?」


 妹の結奈ゆいなが驚きを隠せない様子で出迎えてくれる。それに続いてお母さんも。

 そもそも今日はデビュー半年記念ライブだったから、それに関連する深夜の番組などの出演予定があった。

 結局ケンカのせいで、それらの予定もなくなったのだが。


「久しぶり。結奈」


 なるべくいつも通りを心がけて、妹にただいまと呟く。

 数日ぶりの妹との再会にも特に思うことはなかった。疲労感という感覚も最近ではおかしくなって、ただ与えられた仕事をこなすだけだったからだろうか。


「お姉ちゃん。仕事は?今日はライブだったんでしょ?いそがしいはずじゃん」

「今日はもうないよ」


 結奈に今日の話(こはくとのけんか)をする事は出来なかった。

 今後がどうなるかわかっていないのもあるし、ずっと応援してくれた妹にどこか申し訳なかった。姉としてのくだらないプライドだ。だからこんなにも冷たい声で妹と接してしまっている。

 与えられた仕事もこなさずに家に帰るのは、なんというか心が落ち着かない。ある種の職業病だった。


「そっか。今日はゆっくり休んでね。お姉ちゃん」


 優しい妹の笑顔にチクリと心が傷んだ。


「ありがと。結奈」


 私は自分の部屋にカバンを置いて、そのまま籠もった。




 二人組音楽ユニット、『NEO』。


 今、最も勢いのあるアーティスト1位。

 上半期最も聴かれたアーティスト1位。

 10代・20代が選ぶアーティスト1位。

 最もテレビに出演した芸能人、1位タイ、秋草こはく。夜雲くるみ。


 などなど。私たちの功績は数しれず。


 これだけ人気のアーティストにも終わりというものはすぐに来るらしかった。


 この日、SNSのトレンドランキング1位。『NEO』


 デビュー半年記念のその日。

 NEOが盛り上がりを見せる最中での悲報。


『NEOは本日を以て、活動を休止いたします』(『NEO』公式サイトより)









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