一分に一回キスをしながら一日を過ごすという縛りに挑戦する社会人百合カップルの話

坂餅

一分に一回キスをしながら一日を過ごすという縛りに挑戦する社会人百合カップルの話

 休みは貴重なものだ。二日の休みから三日の休みになるだけ、たった一日増えるだけでその価値は何倍にも跳ね上がる。

「もぉぉ明日で休みが終わりだよぉぉ!」

 その分終わった時の反動は大きいが。

「お酒飲みすぎた? お水でも飲む?」

 空になった缶をテーブルに叩きつけながら突っ伏す大谷綾乃おおたにあやのに笑いかけながら、長浜結ながはゆいは冷蔵庫を開けてコップに水を入れる。

「一生温泉に浸かっていたかったぁぁ!」

「気持ち良かったよねー、あの疲れが染み出るって感覚。私初めて知ったよ」

 ありがと、とコップを受け取った綾乃はちびちびと水を飲みながら、赤らんだ頬に手を当てて口を尖らせる。

「旅館の料理も美味しかった……それに比べて今は酒のつまみだけ……」

 素焼きピーナッツをひと口。

「まあ思い出話もつまみみたいなものだけど」

 金曜日の夜に車で出かけ、一泊二日の旅行。タイトなスケジュールだったが、大学生以来、約六年ぶりの旅行デートだ。

 学生の時と違い、社会人になっての旅行は少し違ったような気がする。

 その元となる理由は――。

「なんやかんやで付き合って初めての旅行デートだったね」

「そっかぁ、前は付き合う前だったもんね」

「そうだよ。綾乃先輩」

 結がテーブルに伸びている綾乃の手を触りながら微笑む。

 細い指先をくすぐるように触り、少し冷たい指先を温めるために優しく包み込む。

「そっかそっか。私先輩だった」

 にへらっと笑った綾乃はしばらく結の体温を指先で感じる。

「温泉の温かさもいいけど、やっぱり結の温かさの方がいいかな」

 その言葉は酔った勢いで出たのではなく、綾乃が自分で選んで言った言葉だ。

「そう言ってくれると嬉しい。じゃあさ……明日は一日中、ずっとこうしてる? 最近あまりくっついていないし」

「でも旅行中――」

「人の目があったでしょ? 明日はほら、連休最終日。二人共休み。どうせまた明後日から仕事で忙しくなってなかなかこうしていられないし!」

「確かに……そう言われるとそうだ」

 納得した綾乃は首を縦に振る。

 顔を輝けせた結が両手で綾乃の手を包み込む。

「そうでしょ? じゃあ明日は一日中一緒にいようね!」

「分かった分かった」

 確かに結が言った通り、最近互いの仕事が忙しすぎて、二人の時間が取れていない。

 なんとか今回休みを利用して旅行に行ったが、最後の旅行が約六年前、大学生の時だ。

 それ以降は同棲こそしているが、一緒に遠出する間もない程、仕事で休みが噛み合わなかったりしている。

 仮に一日休みが被っていても、昼まで眠っていたりしている状態だ。

「あーでもさ、結」

「なに?」

「一緒にいるのはまああまりできてなかったけど、いつも通りじゃない?」

「どういうこと?」

 酔いのせいで頭があまり回っていないのか、要領を得ない綾乃の説明に結は眉根を寄せる。

「せっかくの休みの合った三連休じゃん? じゃあさ、二人で一緒にいるっていうのは賛成だけど、いつもと違うこともやってみたくない?」

「いつもと違うこと……?」

 綾乃の手を離した結が手を顎に当てる。

「そう――例えば、何分かに一回はキスするとか」

「え⁉ キス⁉」

「うん、例えばの話だよ? 別にキスじゃなくても大丈夫だからね」

 素っ頓狂な声を上げる結に綾乃は手をひらひらと振る。

 結は自分の唇を指で触り、綾乃の色づいた唇に目を向ける。

「……がいい」

「ん?」

「キスがいい……」

 結の吐息交じりに吐き出される音に、身を乗り出した綾乃は、思わずその結の唇に自分の唇を重ねる。

 やがて唇を離した綾乃は、上目遣いで潤んだ眼を向けてくる結に向かって微笑む。

「じゃあ決定だね」

 

 ルールを決めた二人は、その日は片づけを終えて早々に布団に入り込んだ。

 ルールは明日の六時から日付が変わるまで。

 一分に一回、唇にキスをする。時間はスマホのアラームを使用し、一分ごとにアラームをセット。アラームが鳴れば、十秒以内にキスをしなければならない。

 一分に一回キスをするという性質上、次の一分が来る前に唇を離さなくてはいけない。

 だから二人は眠りにつく前、しばらくお預けとなる長いキスをして眠りに落ちた。


                 ◎

 

 翌朝。スタートの六時までに準備を済ませるため、少し早めに起きた二人。

 欠伸をしながら洗面所へやって来た綾乃を、歯ブラシを咥えた結が迎える。

 冷たい水で顔を洗うが目は覚めない。昨日はルールを決め、片づけをして風呂に入ると日付を跨いでいた。

 もう少し開始時刻を遅らせて方がよかったと、顔を拭いて歯ブラシを咥えた綾乃は考えた。

 口をすすいだ結はそんな綾乃の様子を見て目を丸くする。

「朝ごはんまだなのに歯磨いてるの?」

「あ……」

 先に食事を済ませていないと、ミントの歯磨き粉のせいで味がおかしくなってしまうのだが。

「もまぁいっか……」

「そっか」

 投げやりに答えた綾乃に笑いかけながら結はその場を後にする。

 綾乃よりも早くに起きていた結は既に朝食を済ましている。睡眠時間は結の方が少ないはずなのだが、結はこの程度の睡眠時間に慣れているので眠気は無いのだろう。

 それよりも久しぶりに二人で一緒にいられるのだ。それに一分に一回キスをするというルールもついて。

 一応食事中でも、一分経つたびにキスしなければならないというルールなのだが、食事中だと一瞬唇を触れるだけだろう。

 限界まで唇を重ねておきたい結にとってはそれはできるだけ避けたかった。

 綾乃の朝食を準備しながら六時を迎えるのを待つ結であった。

 

 綾乃を急かして朝食を食べさせた後、綾乃のスマホのアラームを一分ごとに設定して準備の最終確認を終える。

 時刻は五時五十五分、開始まで残り五分だ。それからは日付が変わるまで、一分に一回キスをしなければならない。

 一分ごとにキスをするため、一分を超えるキスはできない。また、アラームが鳴ってから十秒以内にキスをしなければならないため、強制ではないが常に一緒に行動しなければならないだろう。食事も家事も、お風呂に入っている時も。唯一、トイレに行っている時だけは免除されるが、帰って来た時、その過ぎた分だけキスをしなければならない。

 昨日決めたルールを思い出しながら結は胸に手を当てる。

「もう少しだね」

「ふわぁ……そうだね」

 初めての試みに心拍数の上がっている結に対し、綾乃は余裕そうに欠伸をしていた。

「うぅ……緊張してきた」

 余裕ではなかったみたいだ。

 そして時刻は六時を迎える。ついに始まった。

 綾乃と結は今更ながら緊張してきており、向かい合ったまま硬直している。

 キスなど今まで散々やってきているのだが、いざこうしてルールを決めてやるとなると恥ずかしさが湧いてくる。

 大学卒業の際、結に告白されて付き合った後のような気恥ずかしさ。

 今までの関係ががらりと変わり、互いにどうすればいいのか解らない状態。

 なにも変わらなくてもいいのだが、それを二人は経験として解っているはずなのに――。

 一度目のアラーム。二人は同時に身を震わせる。

「あ、えと……いい?」

「う、うん。十秒しかないから……‼」

 どれだけ長くても、キスをしていられる時間は五十九秒。実際それ程の時間は確保できないため、精々三十秒ぐらいのキスだろうと予測していた結。しかし唇が重なり合っていた時間は二十秒にも満たなかった。

「なんか、時間を意識してしたことないから……変な感じ」

「分かる。めっちゃ緊張した、ていうかまだ緊張してる」

 あまりの緊張に眠気が覚めた様子の綾乃が唇を手の甲で押さえる。

 結の唇の感触を、結の唇を見て思い出す。

 そうしていると再びアラームが鳴る。

「え⁉ もう⁉」

 あまりの短さに声を出す綾乃と目を見開く結。

 まだかまだかと待っていれば長いのに、意識していないと一分はあっという間に経ってしまう。

 日付が変わるまでこれが続く。

 唇を重ね合わせながら、無事に終わるのだろうか、と提案した綾乃は思うのだった。


                 ◎


 朝は準備をしてから臨んだため、何回か互いにトイレに行っているが何事もなくルール通りに過ごすことができた。

 そして時刻は正午、昼食はなににしようかと、結は冷蔵庫の中を確認している。

 その後ろから軽く抱きしめている綾乃が一緒に冷蔵庫を覗きながら言う。

「軽く作れる物の方がいいよね?」

「そうだねぇ……出前でも取る?」

 一分に一回のルールがあると、料理も進まない気がするし、カップ麵の類は残念ながら切らしている。

 少し悩んだ結が提案した案に綾乃も賛成。

 ――そこでアラームが鳴る。

 かなり慣れてきて、朝のように慌てることなく落ち着いて二人は唇を重ねる。

 唇を離して結が微笑む。

「慣れてきたね」

「そうだね、案外楽勝かも。……料理とかはできそうにないけど」

 話しながら、結の腰に手をまわして座るよう促す。

 椅子に隣り合って座り、また唇を重ね、昼食はなににしようかと二人で悩む。

 綾乃はスマホの宅配アプリで昼食を選ぶ。

「ハンバーガー、カレー、それかピザ」

「牛丼とかは?」

「あーいいかも」

 朝食はかなり早い時間に食べてしまったため、なにかガッツリしたものが手早く食べたい。

「じゃあ牛丼にしよっか」

「うん!」

 そうと決まればキスをして、早速注文するのだった。

 

 注文をしてから数十分。玄関先に配達してもらう設定にしているため、受け取るときにキスをする――なんてことにはならないが、なにかを思いついた綾乃が、オートロックを解除して二人の住む五階に来るまでの間に結の手を引いて玄関までやって来た。

 連れてこられた結は、綾乃がなにをしようとしているのか察して耳を赤くする。

「待って……恥ずかしいよ」

「大丈夫だって。別に直接受け取るわけじゃないし――」

 ――アラームが鳴る。

「……んぅ――。来た時にアラームは鳴らないかもしれない」

「そうかもしれないけど……」

 そうこうしているうちに、恐らく配達員だろう。微かに足音が聞こえてきた。

 足音が近づくにつれ、結の鼓動は激しくなってくる。

 コツコツと、確実に近づいてくる足音が――。

 ドクドクと、暴れ回る鼓動が――。

 それをかき消すのは、朝から幾度となく聞いたアラーム音。

「――っ」

 思わず口を押えた結の手を、強引にはがした綾乃が唇を重ねる。

 配達員が今どこにいるのかが分からない。

 そしてこういうときに限って唇は次の一分が来る限界まで唇を重ねている。

 唇を離してまた重ねる。

 綾乃は結をドアに押しつけて逃げ場を塞ぐ。

 逃げ場を失った結の唇を割って、柔らかいなにかが口内を縦横無尽に駆け回る。

 荒い呼吸と漏れ出そうになる声を必死に耐えようと、結は力強く綾乃を抱きしめる。

 不意に唇が離れ、艶やかな銀糸をとろりと垂れる。

「行ったかな?」

 何事もなかったかのようにドアスコープを覗き込む綾乃の下で、結は荒く呼吸をしている。

「うーん。どのタイミングで行ったのかな?」

 再びアラームが鳴り、綾乃はしゃがみこんでいる結の唇を奪う。

 今度はすぐに唇を離す。

 結に少し動いてもらい、ドアを開けて注文した昼食を取る綾乃。

「お昼にしよっか」

 そうやって笑いかけてくる綾乃に、力なく頷く結であった。


 少し時間が経つと、結も元通りの状態に戻る。

「さっきのは……ちょっと酷いと思う」

「ごめんごめん」

 頬を膨らます結に笑って綾乃が返す。

「でも大丈夫だったでしょ?」

「そんなの分からないよ……」

 子供のように言う結に綾乃は笑って、時間通りに唇を重ねる。

「疲れたでしょ? 早く食べよ」

 牛丼を結に渡す。

 まだ不満なのか、無言でそれを受け取った結。食べる直前にまたもやアラーム。

 さっきみたいなことをされると、ただ普通にキスをするだけではもうなんとも思わない。

 それでもルールだからするのだが。

 早食いはよくないのだが、二人はできるだけ早く食べられるように無言で牛丼をかきこむ。

 食べている時も何回か唇を重ねたが、食べることに意識を持って行ったため、なにも思わなかった。


                 ◎


 昼食を終え、二人がソファでくっついて座っていると、結がうつらうつらと舟をこぎ出す。

 早起きのせいか、それとも先ほどの疲労からか、今にも結は眠ってしまいそうだった。

 そしてそのタイミングで綾乃はトイレに行きたくなってきた。

「ねえ結。トイレに行きたいから時間計りたい」

 今にもスマホを落としそうな手で、綾乃に自分のスマホを渡す結。

 受け取った綾乃はストップウォッチ機能で時間を計ってトイレへと向かう。


 トイレから戻ってきた綾乃は、経過した時間を計算しながら結の下へ戻ってくる。

 とりあえず今鳴っているアラームを止めて唇を重ねる。

 アラームがなっても目を覚まさないほど深い眠りについているみたいだ。

 次の一分が来る前に経過時間分のキスをする。

 ついばむように、そして結を起こさないように優しく唇を触れさせる。

「……疲れたんだね」

 結が眠っていても時間は過ぎていく。一分経てばルール通りにキスをする。

 最初は眠っている結を起こさないように優しく唇を重ねていた綾乃だったが、回数を重ねていくにつれ、どこまでなら結は起きないのだろうか、という考えにシフトしていく。

 唇を重ねると同時に結の唇を咥えてみたり、舌を結の口内へ入れてみたり。

「可愛いなあ結は」

 寝息を立てる結の耳元で囁きながら一人ルール通りに過ごす綾乃。

 冷えないようにブランケットをかけてあげ、少し冷たい指先を温めようと体温の高い結の手を握る。

 なかなか起きないため、唇を重ねる時間もギリギリまで長く。

 何十回もそれを繰り返してやがて――。

 唇を重ねていた綾乃の後頭部が押さえつけられ、驚いた綾乃の口内に結の舌がぎこちなく入り込んできた。そこから約三十秒、綾乃はされるがままだった。

 ようやく解放されると、顔を赤くした結が潤んだ目で綾乃を見ていた。

「さっきのしかえし……」

 自分から仕掛けて恥ずかしがる様子に、綾乃はつい吹き出してしまう。

 笑っているとアラームが鳴り、軽く唇を重ねる。

「まさか結からやってくるなんて……!」

「笑わないでよ……」

「ごめんごめん。でも可愛かったし嬉しかったよ?」

「そういうのいいから‼」

 再びアラームが鳴り、結は顔を隠すかのように顔を近づけるのだった。


                 ◎


 太陽が傾き、世界を茜色染め始める。

 昼間は色々あったが、それ以降は順調に過ごすことができている。

 二人肩を寄せ合ってテレビを見ているとアラームが鳴り、今日何百回目か忘れたキスをする。

「晩ご飯さあ、コンビニに買いに行こっか」

「え⁉」

 突如綾乃の口から発せられた言葉に結は目を丸くする。

 いったいなぜ? 今の状況を分かっているのだろうか?

 もしかすると慣れすぎて、一分に一回キスをするという今日一日のルールを忘れているのかもしれない。

「どうして?」

「余裕だから」

 結の質問に即答する綾乃。しかし結も折れない。

「なにが?」

「一分に一回キスして過ごすの」

「それと外に出るのは繋がらないよ?」

 最近二人の時間が取れていなかったため、作ったルールのはずだったのだが。

「嫌なの?」

「やだ」

「なんで?」

「……恥ずかしいもん」

 顔を俯かせる結の顎に手を添え綾乃が言う。

「大丈夫だって。暗くなったら人はあんまり出歩かないし」

「でもコンビニは明るいし……」

 なおも渋る結にこれならどうだと条件を追加する。

「人がいたらやめるから! それならいい?」

 その条件なら、別に問題無いのではないか?

 暗い時間帯に外に出るだけ。それなら他の人に見られる可能性は低いし、なにより――。

「それなら……」

 思い出すのは昼の出来事、再び結の心臓が騒ぎ出す。

「ありがと」

 アラームが鳴り、唇を重ねる二人であった。


 昼間の喧騒は鳴りを潜め、申し訳程度の月明かりと街灯のみが視界を照らす。

 目立たないようにアラームの音量を落としたのを確認して、外に出る綾乃と結。

 二人が住んでいるのはマンションの五階。まずは一回に降りてマンションの外へ出るところからだ。

「急ご?」

 結が綾乃服の袖を引く。

「そうだね」

 二人は足早に階段へと向かう。

 音量を落としたアラームが鳴って唇を重ね、人の気配が無いことを確認してまた階段を降りる。

 休日ということもあり、この時間に出歩いている人はあまりいないのが幸いだった。

 近くのコンビニに向かって二人は道路の端を歩く。

 結は挙動不審なぐらい周囲を気にして歩いているが、綾乃は周りに人がいるかどうかの確認は結に任せているのか、ただただコンビニに向かって歩いている。

 当然のように一分が経ち、二人は十秒以内にキスをする。

 唇が触れ合う時間はほんの一瞬。すぐにコンビニへ向かって歩を進める。

「急ぎすぎじゃない?」

 困ったように笑いながら綾乃は言うが、結は落ち着かない様子で答える。

「それは急ぐよ」

「大丈夫だって」

 なんの根拠も無いが、結を安心させるためだけに言う。

「適当なことばかり言って……」

 再びアラームが鳴り唇を重ねる。

 そんなことを十回程繰り返して、遂にひと際明るいコンビニが見えた。

 人がいればそのまま帰ることができるため、結は人がいますようにと祈るが――。

「おお! 見事に誰もいない」

 その祈り届かず、駐車場には車も自転車も無い、店内にも客はおらず、店員が一人のみ。

 二人は入口付近でアラームが鳴るのを待ち、一度唇を重ねてから店内に入った。

 入店音を置いてけぼりにした結に手を引かれ、真っ直ぐ弁当売り場へ向かう。

「迷うなー」

「そういうのいいから早く選んで‼」

 なにを食べようかと悩む綾乃の腕を小突きながら、結は弁当とおにぎり、サラダ類を手早く取り、レジへ向かおうとすると。

 ――アラームが鳴る。

 固まってしまった結の腕を綾乃が引き、陳列棚の陰に隠れて唇を重ねる。

「ね、大丈夫でしょ?」

 黙って頷く結を連れ、自分の分の夕食を取ってレジへと向かう。

 しかし、レジでアラームが鳴るとどうしようもないのではないか、と結は落ち着かない。

 もしそうなればどうすればいいのだろうか。小さな声で綾乃に問いかけるが、綾乃は任せろといった風に笑って耳打ちする。

 レジに商品を置いて、袋を貰うことを伝える。

 合計金額が出て、財布からお金を出そうとしたところで、アラームが鳴る。

「あっ、すみません‼」

 千円札を二枚出した綾乃がお札を取り出す拍子に何枚かカードを落とし、アラームを止めようとスマホ取り出す。

 店員が会計処理をしている隙に、結は屈んで落ちたカードを拾い始める。

 そこで綾乃も屈んで、結と唇を重ねる。

 ――店内に入店音が響く。

 触れ合うのは一瞬、何事もなかったかのように綾乃は立ち上がってお釣りを受け取る。

 結は跳ね上がり、今し方入店してきた客の様子を窺う。

 仕事終わりだろうか。スーツ姿でくたびれた様子の客だった。恐らく気づかれていないだろう。

 熱を持ち始める顔を見られないように髪の毛で隠して、店員に会釈してそそくさと店から出ていく。

「えっ⁉ ありがとうございました。ちょっと結待って」

 お釣りを財布に入れる間もなく、綾乃は慌てて結の後を追うのだった。


 結はコンビニから出て、店の明かりや街灯が届かない場所で待っていたらしい。

 綾乃はお釣りをポケットにそのまま入れ、アラームが鳴るスマホを持ったまま走って来た。

 コンビニには二人が買い物を終えるまで待ってくれていたのだろうか、というタイミングで客がやって来ている。

「結! 十秒経っちゃう!」

 慌てた様子の綾乃が結の下へ駆け寄ると、すぐさま唇を重ねる。

 結が抵抗する間も無く、見られているのかどうか分からない状態でのキスだ。

「いけたでしょ?」

「いけたでしょ? じゃないよ‼」

 笑いかけてくる綾乃に結はそっぽを向く。

 綾乃から耳打ちされたときは耳を疑ったが、ああするしかなかったのだった。

「早く帰ろうよ、お腹すいた」

「そうだね」


                 ◎


 マンションのエントランスへ帰ってきた二人。

 結が行きと同じく階段へ向かおうとするが――。

「ねえ結ー、エレベーター使おうよー。五階まで上るのはしんどいって」

「乗ってる最中に人が来たらどうするの?」

「大丈夫だって、夜だし」

「でも……」

 渋る結の手を強引に引いて、綾乃はエレベーターの前へとやってくる。

 アラームが鳴り唇を重ね、エレベーターのボタンを押して少し待つ。

 結は人が来ないことを確認して、エレベーターが到着するのを待つ。

 エレベーターが到着する寸前、アラームが鳴り、二人は唇を重ね合おうとする。

 しかし到着したエレベーターの扉が開き、その隙間に人影が見えたため、慌てて離れる。

 十秒以内にキスをしなければならない。人が下りたのと同時に、二人はエレベーターの中に滑り込む。

 降りて行った人の背中が見えるが、見られる心配は無いだろう。

 扉が閉まる前に二人は唇を重ねる。

 心臓の浮くような感覚が少しだけ、止まることなくエレベーターは五階へ到着する。

 結が先に降り、家の鍵を探しながら前を歩く。

 夕食の入った袋を下げながら、綾乃がその後を追う。

 そしてアラームが鳴り、家に入る前に唇を重ねるのだった。


「疲れた……」

 帰って来た二人は、夕食の準備をしてひと段落。

 深いため息をついた結が机に突っ伏す。肉体的疲労より、精神的疲労が大きい。

 アラームが鳴り、突っ伏す結の顔を上げて綾乃が唇を重ねる。

 安心して唇を重ねることができる。外にいる時は一瞬だけだったけど、家に帰った今はギリギリまで唇の感触を感じ合う。

「お疲れ様」

「もう……」

 どうなることかと、コンビニでの一件を思い出して、身体が熱を帯びてくる。

「晩ご飯にしよっか」

「……うん」

 空腹を満たせばいくらか気持ちも楽になるだろう。

 レンジでコンビニ弁当を温めている間に、手を合わせた結はサラダやおにぎりを食べる。

「いっぱい食べるね」

「疲れたもん」

 疲れの滲んだ声の結。

「ごめんごめん」

 すると綾乃が結の食べているおにぎりにかぶりつく。

 ゆっくりとおにぎりを咀嚼し、アラームが鳴ると唇を重ねる。

「んっ……‼」

 どろどろのおにぎりだった物を結の口内に流し込み唇を離す。

 甘みのあるそれが結の舌上に絡みつき、それを飲み込んだ結が熱を帯びた目で睨みつける。

「美味しい?」

 綾乃の問いかけに結が無言で頷く。

「自分も食べればいいじゃん……」

「食べるよ、お腹すいてるし」

 またアラームが鳴り、唇を重ねる。

 今度はすぐに離し、レンジで温め終えた弁当を綾乃が取りに行く。

 湯気を立てる弁当が結の前に並ぶ。

「あれ、温めないの?」

 入れ替わりで弁当を温めるのかと思ったが、綾乃は弁当を温めずに食べようとする。

「うん。結を待たせるのあれだし、冷めてても美味しいし」

「気を遣わなくていいのに」

「まあいいじゃん。いただきまーす」

 落ち着いた気分で夕食を食べ始める。

 もちろん一分に一回はキスをするが、何百回も繰り返しているのだ。それに、外でも同様のルールで過ごしたし、それに比べればなにも慌てることはなかった。


 夕食を終え、一休みした二人は風呂に入る。

 普段一緒に入ることは滅多にないが、今日はルール上仕方がない。

「この連休、全部一緒にお風呂入ってるね」

「確かに、贅沢だ」

 服を脱いでいる最中でも容赦なくアラームは鳴り、その度に唇を重ねる。

 浴室は二人でギリギリの広さで、二人同時に身体を洗うことはできない。

 片方が洗っている間、もう一人は立って待つか、湯船に浸かるしかできない。

 一糸まとわぬ姿のまま、アラームが鳴ると、自然と二人は身体を密着させて唇を重ねる。

 シャワーで軽く流した後、髪の毛を洗う。

「洗ってあげるよ」

「うん……ありがとう」

 旅行中は温泉に入ったが、他の客もいたため、あまり触れ合うことができなかったが今は家だ。

 結は頭を洗ってもらいながら、頭皮を走る気持ちよさにまなじりを下げる。

 アラームが鳴ると一旦停止して唇を重ねる。

 それを繰り返して次は結が綾乃の頭を洗う番となる。


 無理すればなんとか大人二人でも入ることができる浴槽に、ポジションを調整しながら入り込むと、二人の口から出るのは今日一日の疲れだった。

「あれ、疲れたの?」

 無茶なことを提案してきた側の綾乃も疲れているのかと、結は目を見開く。

「なんだかんだ、私も緊張したしね」

「そうなんだ」

 疲れたのは自分だけでなかったと、少し気持ちが軽くなる結。

 アラームが鳴り、頑張って唇を重ねる。

「ちょっとこれ結構しんどい。残念だけど早く出たいかも」

「そうだね、今度は肉体的に疲れそう」

 疲れを癒そうと思っていたが、どうも難しいらしく、二人は急いで風呂から上がるのだった。


                 ◎


 風呂から上がればほとんどやることは無い。

 あるのは明日の仕事という事実を真正面から受け止める覚悟を固めるだけである。

 一分に一回キスをするのもあと数時間。

 始まる前はどうなるかと緊張したが、始めてみると案外楽勝だった。コンビニへ買い物に行くこともできたし。

 穏やかに、肩を並べて座っている。

「なんだかんだ楽しかったね」

「外に出るのが無かったら良かったんだけどねー」

「だって結構余裕だったから……」

 意地悪そうに答える結に綾乃は微苦笑で返す。

「でも、久しぶりにこうやって一緒にいられて、嬉しかった。ありがとう」

「こちらこそありがと。これからもよろしくね」

 アラームが鳴り唇を重ねる。

「うん。よろしくお願いします」

 まだ今日は数時間残っているのだか、もうこれ以上はなにも起こらない。その確信を持って二人は過ごす。


 そして――時刻は十一時五十五分。日付が変わるまであと五分。もう間もなく終わりを迎える。

 ダブルサイズのベッドで横になった二人は向かい合っていた。

 触れ合う指先から交わる体温が心地いい。

「明日は仕事で早起きだ」

「すぐ寝ないとだね」

 ――アラームが鳴り唇を重ねる。

「もう少し早めの時間に終了の方が良かったのかも」

 笑う綾乃に結は身体を寄せる。

 その身体を抱きしめ、優しく頭を撫でる。

 ――アラームが鳴り唇を重ねる。

 次のアラームが鳴るまで、限界まで唇を重ねる。

 あと三回。

 ――アラームが鳴り唇を重ねる。

 あと二回。

 秒針代わりに鼓動が刻む。刻一刻と終わりが近づく。

 胸に顔を埋める結の髪の毛を指から零れさせる。ふわりと自分の髪と同じ香りが広がる。

 ――アラームが鳴り唇を重ねる。

 あと一回。

「結?」

 呼びかける綾乃に、結は視線で返事をする。

「明日からも頑張ろうね」

「……うん」

 ――最後のアラームが鳴る。

 これで最後。

 唇を重ね、唇を離す。

 綾乃は緊張の糸が切れたかのように、結を抱きしめて眠りに落ちる。

 結も綾乃の鼓動を感じて一緒に落ちる。

 こうして、二人の人生に特別なページがまた一つ増えたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一分に一回キスをしながら一日を過ごすという縛りに挑戦する社会人百合カップルの話 坂餅 @sayosvk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ