奇跡に至る愛の種 5
あの夜から一年以上。ライフィローナは未だグタンの頭上に居座っている。
おかしな光景だったが当事者も周りもすっかり慣れた。
グタンは柔らかな感触にも己を律し、口の悪さも受け流す。
初めはライフィローナからの嫌がらせ。嫌われようとしての行動だったはずだが、既に効果はないと理解しているはず。
それでも続けるのは、互いに意地を張っているせいだろうか。
同僚からは喧嘩するほど仲が良いと見守られ、一般の住人からは微笑ましく思われている。
そんな中でもグタンは訓練に力を入れていた。
誰よりも真面目にひたむきで、特に厳しい任務もこなす。
明確な動機を得て、間近から彼女に見られ、成長は人一倍の速度。実力は着実に高まっていく。
となれば他者からの評価も良くなるというもの。
先輩から一目置かれ、後輩に慕われ、人々から頼られる。
街の女性からも人気があり、誘われる事もしばしばだったが、心に決めた人がいるからと、その全てを断る。
その間頭上のライフィローナがどんな顔をしていたのか、彼だけが知らない。
そうして遂には隊の副長の地位に就く事となった。
その日、再び二人きりの訓練場。
グタンはライフィローナに直談判。堅苦しく真剣な声で素直な思いを告げる。
「自分はここまで強くなりました。そろそろ認めてくれませんか」
「はん。何を」
「お傍にいる事を」
「もういるだろ」
「惚けないでください」
「……じゃあ試すか」
気怠そうだった彼女が、凶暴な気配を帯びた。
魔力が激しく流れ、小さな体に集中していく。
ビリビリと空気が震える。臨戦態勢。挑発するように口元が弧を描く。
冷や汗をかきながら、グタンも素早く戦闘態勢をとる。内心とは裏腹に、体だけはどっしりと構えた。
「
妖精が叫べば風が襲いくる。
対応が遅れて呆気なく後方へ吹き飛ばされてしまった。
あの日の嵐を思い起こさせる暴風。無力な子供の頃を思い起こす光景。
それに竦むどころか、力が
彼女と初めて出会った、大切な思い出なのだから。天使めいていた彼女の方が今は災いだが、瑣末な事だ。
「雄大なる大地、高遠なる天空、猛き戦士たる力を我が内に!」
態勢を立て直し、ライフィローナ直伝の精霊魔法。肉体を強化し風を真っ向から受け止める。
風圧に押され凶器となった砂粒が舞う。その場に踏み留まるだけでも一苦労。背後では壁がミシミシと唸る。
やはり力は強大だ。しかも、手加減しなくていいと言っていたが、これでも全然本気ではないはずだ。
強引に突き破るとはいかない実力差。
態勢を低く、地面に爪を突き立てて前進していく。
一歩一歩。踏み締め、進む。
毛が散り、肌が裂け、骨が軋み、それでも心は折れない。
ライフィローナは前方から見下ろす。
紫の羽が輝く。光は美しく、妖しい。暴力的な魔力が空間を圧している。
強者の風格で場を支配し、しかし表情に余裕はない。
手負いの獣のように吼える。
「何が傍に、だ! っんなにアタシが哀れかよ!」
「違います! ただ、放っておけなくて!」
「それが哀れみじゃねえのか!」
「だから、自分の我が儘です! 欲望です!」
本心か。暴力衝動の発露か。
叫び合う声は風より猛々しく。
「言っとくが強さじゃ納得しねえぞ!」
「それなら納得しなくてもいいです!」
彼女は諦めではなく、一人で己の業を呑み込んでいる。
悪意。攻撃衝動。過去の傷跡は消せない。バケモノに堕ちるというのも変えられないのかもしれない。
だが、それでも出来る限り遅らせる事は出来るはずだ。
発散が必要ならば、いつまでもどこまでも付き合おう。
それが傍にいるという覚悟。
傲慢な哀れみかもしれないが、やはり彼女にはしがらみなく笑ってほしかった。
悲鳴をあげる肉体を強引に動かす。ただ、意地で。魂の力で。
「勝手に、誓います!」
遂には目前。手が届く距離。
微動だにしないライフィローナ。睨み合い、向き合い、ジリジリと更に距離を詰める。
そして。
そっと、両手で優しく包む。
体も羽も儚くて、しかし力強い。潰してしまうような心配は要らないだろう。
それでも柔らかく、力まないよう繊細に気を遣う。腕以外はその場に留まる事に全力だというのに。
暴風は未だ吹き荒ぶ。
「貴女を愛しています」
その中を突き抜け響く真っ直ぐな声。
苛烈な圧に耐えながらグタンは微笑む。
見つめ合いは長く、沈黙は重い。
ずっと続けば流石に段々力が入らなくなってくる。受け入れられない覚悟もグタンは決める。
だが、やがて。
「……しゃあねえか」
風はピタリと止んだ。
暴威の去った、清涼な空気。心地良い静寂。ライフィローナは大袈裟に溜め息を吐く。
「ああ仕方ねえ。若者に道を踏み外させた責任はとらなきゃな」
「じゃあ!」
「オマエは良い男だぜ、実際。長く生きてても、ここまでの奴はいなかった」
ライフィローナは快活に笑う。直前までの暴風が嘘のような、晴れ晴れとした顔。精神の影響を受けるという羽も、心なしか明るい。
胸に歓喜が満ちるグタン。照れて顔が緩む。全力を尽くした体にも活力が湧いた。
「今更色恋にうつつを抜かしてみんのも悪かねえ」
彼女はグタンの顔のすぐ前に飛んでくる。
そしてサッと口づけ。
小さくも、感触は熱い。痺れるような感覚が胸を貫く。
グタンは急展開に目を白黒させるばかりで、嬉しさよりも混乱が勝った。動揺を押し隠せもしない。
しかしライフィローナは余裕綽々で、しかも彼から離れると首を傾げて不満げに呟いた。
「なーんか物足りねえな」
それから悪そうな顔でニヤリと笑う。
再び急接近。
「っ!」
そして今度は、グタンの口内に腕を突っ込んだ。
舌を掴んで強引に引きずり出し、そして、噛みつくように口づけた。
熱烈な愛情表現は激し過ぎた。
苦しげにえずくグタンを、ライフィローナは色っぽく見下ろしている。
「ま、こんなもんか」
「いきなり何するんですか!?」
「性格悪い女に惚れたのが悪い」
意地悪く大口を開けて笑う。
グタンとしてもそれ以上怒れない。
こうまでされてもやはり不快感はなくむしろ魅力を感じてしまい、確かに己に原因があると諦めた。
「……はい。こういう方だと分かっていました。今更文句は言いません」
「キャハハッ。こうなったら後で取り消したくても遅ぇからな」
「それは安心してください。絶対に取り消しませんから」
ライフィローナは頭の上へ乗りペタンと寝転ぶ。
グタンは重みを感じて姿勢を正す。
大小二つの影はあらゆる面で対照的で、しかし同じように幸せそうな笑みを浮かべていた。
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