第92話 おかえりなさい!
あの時の石板が目の前にある。
なんだか懐かしいなァ。たった1年ちょいしか経ってねェのに、随分と前の事に感じるわ。高校の入学式とかは昨日の事のように思い出せんのになァ。
そんでピアノだっけ? 何を弾けば、つっても弾ける曲なんて皆無だが。
ぐぐーっと伸びをして、ふーっと息をつく。
……ダメだなァ、緊張が解けねェ。さっきみてェな運動した後とは違って、呼吸が浅いっつゥか。胸の奥に何かがつっかえているかのような。
とりあえず、と。
改めて『氷塊』で辺り一体を覆う。先程の戦いで強化以外に魔法を使わなかったことで魔力が余ったので、すんなりと覆い尽くすことが出来た。
こうすりゃァ砂でピアノがぶっ壊れることもねェだろ。よっ、と。
僅かな夕陽が氷をキラキラと照らす空間に、『収納』からピアノを取り出した。
うん、何度見ても美しいねェ。オレの髪の色艶と同じくらい良いなァ。
鍵盤蓋と屋根を開き、椅子に座る。
ちゃんと椅子もセットで買っといて良かったわ。
何を弾けばいいか全く分からない……が、石板を見ていたら自然に指が動いていた。
─〜♪ 〜♫〜〜♩
ゆったりとした旋律が紡がれる。
─♩〜〜♪ 〜♬
カフェで流れるようなオシャレで心が落ち着くリズム。
……不思議な感覚だ。『勝手に』とか『何故か』とかじゃなくて、あくまでも自然に動いている。
─〜♬ 〜〜♪ 〜♩♩
「Ah〜〜♩〜♬」
ハイトーンのソプラノボイスが響き渡る。
うん、いけるわ。
「Ah〜♩〜〜♪〜♬」
これほど歌が上手くて良かったと思うことは、きっとこの先無いだろう。
─……♩〜
2分もない時間だった。
砂と血と氷の上で1曲歌い終えた。
……ははッ、最高!
っと、そうだったそうだった。石板はどうなったよ?
椅子を立ち視線を向けると、そこには真ん中に一筋の光を浮かび上がらせている石板があった。
きた。
ピアノを『収納』しながら歩いていく。
─アナタの願いは何ですか?─
うおッ!? ビックリしたァ……。
「オレの望みは元いた場所、日本の海渡市に帰ることだ」
─代償は何を指定しますか?─
『代償は何を指定しますか?』!? え、代償あんの!? えっえっえっ、あ、じゃァ……─
「─周りで死んでる触手のヤツらと……今出したコイツでどうだ?」
ドサドサッ、と取り出した触手が足元を転がる。食べ物を粗末にすんのは気が引けるが、こればっかりは仕方ねェ。
─代償を確認……願いを実行します─
「サンキュ、助かるよ」
石板が開く。
溢れる光とは裏腹にオレの体は引っ張られていく。
……そろそろか。
今まで出会ってきた人達のことが脳裏によぎる。
上へ向き、両手をメガホンのように口の前で構えて大きく息を吸う。
「スゥー…………さよなら! みんな! 楽しかったぜ! 最高だァ!」
「さよなら! ゴウお父さん! ヒビネお母さん! オレはこの先の日々を幸せに生きるから!」
「絶対に、絶対に! 忘れねェから!」
◇◆
……ん、んんー……ん? なんか眩し─
─ブゥゥゥ!!
おわァ!?
慌てて起き上がり横から迫ってきた車を躱す。
少し先で車が止まった。
「はァ……ッ!?」
地面の感触が……コンクリートだッ!
周りを見回す。
等間隔に並ぶ夜の道路を明るく照らす街灯、近代的な住宅街の町並み、潮風の混ざった空気の香り、反対車線を通る車の音。
間違いねェ……! ついに……ついにッ!
「ただいまァ!」
帰ってこれたァァァアアアア!!!!
「……あ?」
いつの間にかさっきの車に乗っていた人が心配そうにこっちに近づいてきた。
「え、えーと、キミ、大丈夫?」
『はい、大丈夫ですよ』
「え?! あ、えーと……」
……あ、言語が違ェんだったわ。
「はい、大丈夫ですよ」
「あ、日本語喋れるのね。それでその、なんで道路に寝てたの?」
「んー……あァー、家出、的な?」
……我ながら咄嗟のウソにしてはいいものを出せた気がする。家出って言っときゃ何とかなる。
「そ、そうなんだ」
「そうでェす」
「ようやく安全が確認されたから入れてるけど、道路で寝るのは危ないから止めなね?」
やべェ、何の話か分かんねェ。でもとりあえずで話合わせとっか。
「すみません、ちょっと地元民だから久しぶりで……」
「あー、地元民ならしょうがないね。一応、救急車呼んどく? というか、未成年がこんな時間に外出歩くのは……」
あァーそうか。
「これでももう19ですのでオ、私は。あ、ここって海渡市であってますよね?」
「あ、うん」
「そんじゃ、さいならァ〜」
ヒャッホイ! とっとと帰んぞ!
「……足はや。多分あれ魔法士だよね?」
◆
あ、朝になっちまったじゃねェか……。なんで郊外スタートなんだよ……。街灯消えてるってことはもう……6時くらい? ね、眠ィ……。
途中から1年前に飽きるほど歩いた通学路にでたので、そこを再び歩いた。
そして……家に、着いた。
2台の乗用車、3台の自転車、名前を忘れた植物。
……変わってないなぁ。
1歩近づこうとして、足が凍ったかのように固まって動けなくなってしまった。
今のオレは龍笛…じゃねェ、『神渡 日々生』っつゥことの証明が出来ねェ……。
もし両親に分かってもらえなかったら? もし拒絶されたら? もし、もし……
そんな
「あ……はァ……ッ……ハ……」
インターホンのボタンまでの距離が果てしなく遠い。
あァッ…………クソッ……!
怖い……怖いよ……! 普段だったら1秒も掛からないのに、なんでこんなに普段通りでいられない……!
─ガチャ
……うぇ?
玄関が開いた。
中からお母さんが出てきた。新聞を取りに来たのだろうか。
バッチリと、目が、合った。
「……えっと、ウチに何か用……」
「ぁ……」
あっ……う、おぇ……。
「……ヒビキ?」
バッ、と顔を上げる。
「あ、あ……えっと、ひ、久しぶり? お母さ─」
「ヒビキっ!」
「─ぐえっ。ちょ、危ないし重いって……」
「ヒビキっ、ヒビキっ……!」
抱擁が……暖かい。
あぁ…………帰ってこれたんだ、俺は。
「──ただいま」
「おかえりなさい!」
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