第11話 オデールの想い出

 一ヶ月後に税金を全て納められなければ、この店は差し押さえられる。


 オデールは念押しする様に忠告を伝えると、それから少しだけ優しい顔になって、兄妹に向けて自分の想いを語った。


「まぁ、実は私もここのパンのファンでしたからね。子供の頃、買い物に一緒についていくと、焼き立てのここのパンがいい匂いがしていて、いつも強請って買って貰って居ました。……あの思い出の味が受け継がれていくのなら、それは喜ばしい事です。」


 オデールは子供の頃を懐かしむ様に目を細めた。


 大人になってからもこちらのパンは日常的に買って食べては居たが、パンとの思い出が結びつくのは、幼い頃に食べたふんわりとしてほのかに甘い丸のパンの記憶なのだ。


 そんな彼の自分語りを、ティルミオもティティルナも、両親のパンが褒められたと嬉しそうに聞いて居て、そして気がつくといつの間にかミッケも兄妹が居る場所の側の棚の上に移動して居て、寝たフリをしつつ耳をピクピクと動かして会話を盗み聞いているのだった。


「あの、分量さえ間違えなければ、お父さんとお母さんのパンは再現できるから!だから役人さんの思い出の味もこのお店も、私が守ります!」


 彼の思い出話を聞いて、オデールがうちのパンをそんなにも大切に思ってくれて居たことに感極まったティティルナは、思わず涙ぐみながら高らかに宣言した。


 両親のパンをもう一度食べたいと思っている人が、自分たち以外にも居るのだと分かって、彼女はやる気に満ちて居たのだ。


 すると、そんなティティルナの力強い言葉に、オデールは少し微笑むと、彼女を傷つけない様に慎重に言葉を選んで、戒めの言葉を伝えたのだった。


「頼もしい宣言ですね、期待しています。けれども、無理だけはしないで下さいね。まだ若い貴方たちが、借金に苦しむ姿は大人として見て見ぬ振りは出来ないのです。」


 そう言うとオデールは、心配そうに兄妹たちを見遣った。


 目の前にいるこの子たちは、失敗する事を恐れて居ないのか、それとも全くその可能性を考えて居ないのか、兎に角オデールの目にはこの兄妹が危うく見えたのだ。


 だから彼は、優しく穏やかな口調で、厳しくも現実的な忠告を続けた。


「どうしても立ち行かなくなった時は、この店を手放す決断も必要ですよ。思い出は大事かもしれませんが、今の、そしてこれからの貴方たちの暮らしの方がずっと大切なんですよ。それを忘れないで下さい。」


 役人として来ている以上、この兄妹に個人的に同情していたとしても、あまり肩入れも出来ないし、無理強いする事も出来ない。これくらいの助言が、オデールが出来るギリギリの所だった。


 そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、ティルミオはオデールの目を真っ直ぐに見て、元気よく、ハッキリと答えた。


「はい。俺たちの事、親身に心配してくれて有難うございます。大丈夫です。妹と二人で絶対に一ヶ月後に税金を納めてみせますから!」


 彼の横では妹も、大きくうんうんと頷いていて、この兄妹の覚悟の程は本気だとオデールにも十分伝わったのであった。


「……分かりました。見守りましょう。役職上貴方たちを贔屓する訳にはいきませんが、でも、それでも困った事があったら頼ってください。私個人で、出来る範囲で力になりますからね。」

「はい、有難うございます!」


 ティルミオのやる気溢れる返事だけではオデールの懸念は消え無かったが、キラキラと希望に満ちているというか、一ヶ月後に全額税金を納められると信じて全く疑って居ないこの兄妹に、これ以上は水を差すのは忍びなかったので、オデールはこれ以上の小言は飲み込んだ。


 もしも本当にこの兄妹が立ち行かなくなったら、その時は担当役人として、自分が彼らを助けてあげれば良いのだと人知れず決意して、オデールは彼らのやり方を見守ることにしたのだった。


「ところで、それは売り物なんですか?」


 話し合いが一つ片付いた所で、オデールはふと、カウンターの上に置かれた丸パンが目に入って、兄妹に訊ねた。


「あ、はい。ほんのちょっとしか出来なかったけど、そうです。売り物です!」


 実は朝食を食べ終わった後、可能であれば役人との話し合いが終わった後に直ぐにでもお店を再開したくて、オデールが来るまでの間にティティルナは錬金術で丸パンを錬成していたのだ。


「そうですか。では、一つ頂いてもよろしいですか。」


 オデールは、兄妹だけで作ったパンが一体どれほどのものか知っておきたくて、このパンが売り物であると聞くと、興味津々な様子で購入の意思を示した。


 すると、そのままオデールに丸パンを手渡そうとしているティティルナを遮って、ティルミオがオデールに右手のひらを差し出したのだった。


「どうぞ、どうぞ。一つ100ゼラムです!」

「えっ、お兄ちゃん、役人さんからもお金取るの?!」

「当たり前だろう?少しでも稼がないといけないんだぞ?」


 親身になってくれているオデールにまでお金を取ろうとする兄のがめつい主張に、ティティルナはどこか納得出来ずに困惑したような顔をして居たが、これについてはオデールもティルミオの考えに同意であった。


 今の彼らには金銭に余裕など無いのだ。

 ティティルナの無料でパンを渡してくれようとした優しい心遣いは嬉しく思うが、けれども今は、商売においてはこの子達にはシビアになって欲しかった。


 だからオデールは布袋から銅貨を取り出すと、優しく諭しながらティティルナにお金を手渡したのだった。


「ティティルナさん。商売なんですから、ちゃんとお金を取ってくださいね。なのでコレで、丸パンを一つ頂けますか?」

「そうですね……分かりました。有難うございます!」


 オデールの言葉に、ティティルナも納得してお金を受け取った。そして丸パンを一つ手に取るとオデールに手渡したのだった。


「うん。綺麗に焼けてますね。」


 受け取ったパンは、焼き立ての様にふわふわでは無かったが、見た目はいつも食べて居た丸パンと全く変わらない物だった。

 ふたつに割ってやると、小麦の良い匂いがふわっと鼻に届き、さらにそこから一口サイズにパンをちぎると、オデールは口の中へ入れて咀嚼した。


 そんな彼の様子を、ティルミオとティティルナは固唾を飲んで見守った。自分たち以外の第三者が初めて、錬金術で作ったパンを食べているのだ。二人は、オデールの反応が気になって仕方がなかった。


「?!!凄い!!全く同じ味だ!いつも買っていたパンそのものだ!」


 オデールは一口パンを食べて飲み込むと、目を丸くして驚きの声を上げた。味だけでなく、舌触りも、匂いも、何もかも記憶の中と全く同じなのだ。


 そんな彼の反応に、ティルミオとティティルナは顔を見合わせて喜ぶと、得意げに胸を張ったのだった。


「まぁ、作り方は俺が両親から教わってましたからね。どうでしょう?ちゃんとうちの味を受け継いでるでしょう?」

「えぇ。正直驚きました。焼き加減といい、経験がないと全く同じにはならないでしょう。先程、妹さんがパンを作って売っていくと仰ってましたが、これ、貴女が焼いたのですか?」

「え、えぇ……」


 オデールの問いにティティルナは少し困った様に頷いた。


 作ったのは確かに自分だが、正確には焼いてはいないのだ。だけれども錬金術だからとは流石に言えなかったので、ティティルナは少しだけ言葉を濁した。


 けれども、そんな彼女の些細な事には気付かずに、オデールはティティルナの手を取って、感嘆の声を上げたのだった。


「素晴らしい!貴女は天才ですかっ!!」

「いやぁ……それ程でも……」


 手放しに褒められたけれども、実際のところ彼が思ってる様なやり方でパンを作っていないのだ。

 だからティティルナは後ろめたさを感じて、少し恐縮して誤魔化すように曖昧な笑顔を浮かべた。


 すると、その時だった。


「そうにゃ、ティニャは天才だにゃ!!」

「ん??今誰が他の人の声が……」


 ずっと黙っていることに飽きてきたミッケが、いつの間にかティティルナの足元に来ていて、思わずオデールに相槌を打ってしまったのだ。


 当然、オデールは訝しがって周囲をキョロキョロと見回したが、声の主は見つけられなかったので、彼の謎の声に対する疑念は募っていった。


 さて、どうやってこれを切り抜けようか。兄妹は、いきなり正念場に立たされてしまったのだった。

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