第10話 役人さんとの話し合い

 九時の鐘が鳴る頃、時間ぴったりにその役人はカーステン家へやって来た。


 オデール・サーヴォルト 26歳


 制服をキッチリ着こなした、銀縁メガネの彼は、まさにザ・役人という感じの人だった。


 彼は、ここに来る前に目を通したカーステン家の兄妹の事情に同情をしていた。


 (両親が友人の借金を肩代わりした直後に馬車事故で亡くなり、残された兄妹がそれを払っていかなくてはならないなんて……)


 なんとも無慈悲な話であると、オデールは二人の境遇に心を痛めていたのだ。


 だから、大人である自分がなんとかしてこの可哀想な子供たちを救ってやらなくてはと、彼は勝手に使命感に燃えていたのだった。


「こんにちは、カーステンさん。本日担当します、オデール・サーヴォルトと申します。」

「こんにちは、サーヴォルトさん。今日はよろしくお願いします。」


 ティルミオとティティルナは、緊張した面持ちで、オデールを出迎えた。


 問題のミッケは、部屋の奥で丸くなっていて、一瞬顔を上げてやって来た人間をチラリと見たが、その姿を一目見ると直ぐに興味なさそうに再び丸くなった。


 その様子は、ただの猫そのものだった。




「それで、本日は廃業の手続きでしたね。」


 話し合いは穏やかに始まった。


 やって来た役人が優しそうな人で兄妹は少しだけホッとしていた。この人なら自分たちの話をちゃんと聞いてくれると思えたのだ。


 だから兄妹は、お互いに目で合図して昨日決めたその意思に変わりがない事を確認し合うと、兄のティルミオが、神妙な面持ちで自分たちの新しい考えをオデールに切り出したのだった。


「それなんですが、折角来て貰ったのにすみません……サーヴォルトさん、やっぱり俺たちお店を辞めるのを辞めます!!」


 そう言ってティルミオは、テーブルに額が付くくらい頭を深く下げた。横に座るティティルナも、兄に合わせて一緒に頭を深く下げている。


 二人は、自分たちから廃業したいと呼びつけておいてそれを反故にしたのだから、怒られて当然だと思って、とにかく誠意を見せる為に先ず謝ったのだ。


 しかし、怒ると思っていた役人の反応は兄妹が思っていたのとは全く違った。オデールの反応は実に薄かったのだ。彼は落ち着いてティルミオの話を受け止めた上で、淡々と兄妹を諭すように問いかけてきたのだ。


「……そうですか、しかし、それで税金を払える当てはあるのですか?借金もあるのでしょう?」


 オデールは冷静に話を聞いているように見えて、実は内心酷く取り乱していた。


 彼には目の前に座る子供たちが、冷静な判断を出来ずに、茨の道を進もうとしているように見えたのだ。


 だから、大人としてここは軌道修正してあげないとと思い、彼らが不安がらないように感情的にならずに、二人が己の無計画さを気付けるような誘導尋問したのだ。


 けれども、ティルミオだって無計画でこんな事を言っている訳ではない。その事は昨日散々話し合い済みだった。


 だからそのように問われる事は想定済みだったので、ティルミオは自分たちに迷いがない事を分かってもらう為、堂々とオデールの目を見て彼の質問に答えた。


「俺が冒険者になります。そして妹が少量だけど、ここでパンを作って売り続けて、そうやって二人で手分けしてお金を作ります。」


 すると今度は兄の話を黙って神妙に聞いていたティティルナが、凄い勢いで横に座る兄の顔を凝視すると、とても驚いた声を上げたのだった。


「えっ、待って?!お兄ちゃん冒険者になるの?それ聞いてないよ!」


 そうなのだ、ティルミオのこの発言は、ティティルナにとって初耳だったのだ。


「昨日、お前が寝た後で決めたんだ。手っ取り早く金を稼ぐなら、俺は別で稼いだ方がいい。」

「けど、二人でお店を守って行こうって言ったじゃん!!それに、冒険者だなんて、危険だよ。」

「勿論、店の仕事もやるよ。そこは大丈夫。危険なこともしない。自分の出来る事しかしないよ。」

「でも冒険者って街の外に出るんでしょう?街の外は魔物がいるし、やっぱり危険だよ!」

「何も魔物の巣に突撃する訳じゃないんだ。薬草摘みとか、鉱石採掘とか、危険じゃない仕事もあるんだよ。」

「でも……」


 兄がどれだけ大丈夫だと口にしても、それでもティティルナはティルミオが冒険者になる事は不安だった。だって、どんなに危険な事はしないと言っていても、街の外に出たら絶対に安全だとは言い切れない世の中だから。例え可能性が殆どないとしても、魔物に襲われる危険は付いて来るのだ。


 だからティティルナは何を聞いても大丈夫だと言って会話を終わらそうとする兄に食い下がって、彼の身を案じる言葉を更に投げかけようとしたのだが、するとその時に、ティティルナの話を遮って二人の会話にオデールが割って入って来たのだった。


「あの……良いですか?お話が纏まっていないようでしたら、今日はこれで引き上げます。もう一度お二人で良く話し合って決めて下さいね。税金も払えていないような状況では、私個人の意見を言えば、店を続けるより畳む方が傷は浅く済むと思います。それに、素人がいきなり冒険者になるのも感心いたしません。そこは妹さんの意見と同じです。」


 オデールは今まで黙って兄妹の会話を見守っていたが、二人のやり取りが終わりそうにないのに痺れを切らして、冷静な第三者の意見としてティルミオに再考を促したのだ。

 彼からしてみたら、この少年は自分が無理をしてでも両親が残した店を守りたくて、無謀な事をしようとしているとしか見えなかったので、大人としては諫めるしかなかった。


 しかし、ティルミオは頑なで、そんなオデールからの助言も突っぱねたのだった。


「いえ、話は纏まってます。大丈夫です。」

「とても妹さんは納得しているようには見えませんが……」


 無理を通そうとするティルミオに対して、オデールは彼を嗜めるとチラリとティティルナの方を見た。彼女は、不安そうな顔でずっと兄を見つめているのだ。

 

 そんなオデールの視線から、彼が言わんとしている事を察すると、ティルミオは再度ティティルナと向き合って、彼女に納得して貰えるように、なるだけ優しい声で、彼女の目を見て、真剣にその想いを説明した。


「ティナ、俺、昨日夜に考えたんだ。ティナがパンを売っている間に俺も他の方法でお金を稼げないかって。それが冒険者という結論だった。絶対に危険な事はしないと約束するから、だからティナ、二人でそれぞれのやり方で頑張ろう?」

「……お兄ちゃんが、そこまで言うなら……」


 ティルミオの説得にティティルナは渋々と言った感じで納得した。


 勿論、兄が冒険者になるという不安は拭えていなかったが、今の現状で役人であるオデールにお店を継続する事を認めて貰うには、二人の意見が一致していないとダメだと言うのは即座に理解したので、ティルミオとは後でじっくりと話し合うことにして、ティティルナは空気を読んで、ここは一先ず兄の考えに賛同したのだった。


「ね?ほら、俺たちの考えは纏まりました。だからオデールさん、お店を続けさせて下さい。」

「お願いします。」


 兄妹は再び二人揃ってオデールに深く頭を下げた。


 そんな彼らの意思の固さを目の当たりにして、オデールは思わず深いため息を吐きそうになったが、なんとかそれを飲み込んで、努めて冷静に大人として無謀な考えの子供たちを諭す様に説得を続けた。


「しかし現実はそう甘くありません。冒険者登録したからといって、必ずしも割りの良い仕事があるとは限らないのですよ?その様な時は一体どうするおつもりですか?身の丈以上の依頼に手を出すのですか?」


「勿論、無茶はしません。自分に無理の無い範囲しか依頼を受けません。自分が平凡な人間であると身の程は弁えているから、過信して出来もしない依頼を受けるなんて馬鹿な真似はしないです。大丈夫です。」


「しかしそれでは、稼げる額は限られる。貴方たちの生活費を稼ぐのがやっとでしょう。いつまで経っても借金も返せないし税金も納められないのでは?」


「でも、一ヶ月……税金の支払いにはまだ一ヶ月猶予がありますよね?」

「え、えぇ。そうですね、最終期日は一ヶ月後ですね。」


 それをオデールの口から確認すると、ティルミオは一気に畳み掛けた。


「なら、一ヶ月間チャンスを下さい。俺が冒険者になって、妹がこの店でパンを焼いて売って、それでキッチリと税金を全額納めてみせますから。自分たちが、借金も返していけるって証明して見せます!」


 ティルミオはオデールの目を見てそう言い切った。その瞳は真っ直ぐで力強く輝いていて、彼の決意の強さが嫌と言うほど伝わって来た。そしてその隣では妹のティティルナもまた、真剣な眼差しをオデールに向けていたのだ。


 二人の強い意志を感じとったオデールは、これはもう、これ以上何を言ってもこの子たちは考えを変えないだろうと察して、説得を諦めたのだった。


「……分かりました。私はただの役人ですので、これ以上は何も言いません。貴方たちの思う方法を見守りましょう。」


「「ありがとうございます!!」」


「ただし、猶予は一ヶ月だけですよ。一ヶ月後に税金を納められなかったら、その時は強制差し押えになって、この店で自体を取り上げなくてはならなくなります。……そうならない事を願いますよ。」


「はい、分かってます。絶対に一ヶ月後に税金を納めますから、大丈夫です!」


 オデールからの忠告に、ティルミオは力強く返事をした。


 これでまず、昨日想定していた課題の一つ、”お店の継続を役人がに納得して貰う”が達成できたのだった。

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