第2話
俺――
「今日はチータラ味か」
1年前の――蝉の合唱が大一番となった時期だった。
昼休み。校庭の一角でのこと。
長椅子に腰かけた俺は、弁当箱の2段目に詰められていたおやつカルパスをひとつ摘まんで、誰に言うでもなくそう呟いた。
眼前には、サッカーを楽しむ生徒たちが10人ほど。
別にハブられているわけでも、「一緒にやらない?」と声をかけられるのを待っているわけでもない。
ただ、いつもの場所で飯を食っているだけ。たまたま連中がサッカーをしに来たから、なんとなくそれを眺めている。
「うま」
やはりチータラは至高。こいつの良さが分からん奴は、人生の10割方損をしている。
要するにデメリット確定演出だ。
どれ、もう一口。
「うま」
咀嚼しながら、ぼけーっとサッカーの試合を眺める。
シュートが決まった。
ゴールを決めて喜ぶのは、名前も覚えちゃいないが確か同じクラスの男子。それに集まって一緒に喜びを分かち合う他の生徒たちを見て、俺はふと言葉をこぼした。
「青春って感じだ」
「一緒にやらないんですか?」
雨宮風音に話しかけられたのは、そんな時だった。
こじんまりとした弁当箱を手に携えて、彼女は俺に問いかけた。
長い黒髪は艶やかで、財閥のお嬢様のような凛とした印象を抱かせる。白い花のヘアピンは驚くほど彼女に映えており、ただただ『美しい』という言葉が似合う女子だった。
「ああ」
風に吹かれてぴょこぴょこ揺れる自分の寝ぐせを押さえながら、目だけそちらに向けて俺は言葉を返す。
「そうですか」
正直、意外だった。
入学早々マドンナ視されている彼女が、俺みたいな奴に話しかけてくるのかと驚いた。
きっと俺の名前すら、彼女は知らないだろう。
類は友を呼ぶ、という言葉は例外なく誰にでも当てはまるものだ。故に、彼女のようないわゆる勝ち組は、わざわざ自分からこっち側へ足を踏み入れることはないのだろうと思っていた。
同時に、まずいとも思った。
高校生なんてのは噂話が大好きな連中で、ひとたび何かゴシップがあれば、それは瞬く間にやつらの間で伝わっていく。タチが悪いのは、そいつが人に伝わるにつれて大袈裟になっていき、最終的に事実とは異なる形となって出来上がることが度々ある、ということ。
まあ要するに、『尾張幸太郎』と『雨宮風音』なんていう珍しい組み合わせがゴシップ好きの誰かに見つかれば、変な噂が広がるのでは、と危惧したのだ。それほどまでに雨宮風音は高嶺の花のように扱われていて、それほどまでに尾張幸太郎の地位は低いのだ。
「それ、いつも食べてますね」
「え?」
てっきりこれで話は終わりかと思っていたのだが、なかなかどうして雨宮はおやつカルパスに興味を抱いたようで、会話は続いた。
「あー。好きなんだ、チータラ味。変わってるだろ?」
「そうですね。あまり聞き馴染みはありませんでした」
「だろ」
ふと前に目を戻せば、サッカーをしている連中の一部が、俺と雨宮の方を向いて恨めしそうに何かぼやいているのが見て取れた。嫉妬、恐るべし。
「……こんなモン食ってる奴にロクな奴はいねーよ」
美女に注目されるならもってこいだが、男子たちに悔恨の眼を向けられるのには慣れていない。
ただでさえ淡泊な俺は、いつもより3割増しの素っ気ない態度で雨宮を突き放すように言った。
「自分も食べているのに?」
しかしながら、彼女は俺の言葉の意を察してくれず、なおも質問をぶつけてくる。
「……まぁ、自分がロクな奴じゃないことは分かってるからな」
「そうですか」
「ああ」
沈黙が流れる。
いつの間にか連中はサッカーを中断し、こちらに聞き耳を立てていた。それも、全員が深刻そうな表情で。
(本当に人気なんだな……雨宮は)
ちょっと美少女と話しただけでこうなるのが健全な高校生男子なのか。と、自分も男子高校生であるはずなのに、そんな疑問を抱いた。
(安心しろ。雨宮に対してその気はない)
彼らに届けるつもりでそう心に呟くと、俺は弁当箱を片付け始める。
「じゃ」
これ以上の注目は、さすがに避けたい。
呟き、立ち上がろうと膝に手を置いて脚に力を込めた――そのとき。
「それなら――」
どういうわけか、雨宮が隣の長椅子に腰かけた。
不思議に思って、半端に尻を浮かせた中腰の姿勢のまま、俺は彼女の表情を窺う。
「――私も、ロクな奴じゃないですね」
そこにあったのは、まさしく妖精のような淡い微笑。
弁当箱からおやつカルパスをひとつ摘まんで、顔の横でゆらゆらと揺らした。
「……そうか」
脚に込めた力を抜いて、再び長椅子に座る。
鼓動が速くなっていくのが、手に取るように分かった。
今すぐ逃げ出したくなるような、漠然とした焦燥感に駆られた。
「はい」
カルパスの抜け殻に、手汗が滲む。
気付けば、彼女から目を逸らしていた。
熱くなった頬を隠すように、雨宮とは反対側を向く。
「そういえば」
突如、何かを思い出したかのように雨宮が俺の方を向く。
「
「え? あ、ああ……」
まるで知っているのが当然であるかのように、雨宮は俺の名を呼んだ。
「……尾張くん?」
彼女の顔を見られそうにない。
頬に微かに感じていた熱は先よりも増している。
「なんでもない」
最後のカルパスを弁当箱から取り出し、包装を解いて口に放り込む。
そういうのは遠くで眺めているだけの人生なんだろう、なんて思っていたが、存外その瞬間は呆気なく訪れた。
「……あま」
食べ慣れたはずのチータラ味のカルパスは、なかなかどうして少し甘ったるくて、どこか新鮮に感じた。
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