第22話 4度目のクリスマス・イヴ⑦

 肌寒さで、僕は意識を取り戻した。


「……さっ……むっ」


 身体を温めるため、自分自身を抱きしめる。


 寒いのもムリはない。


 なぜだか分からないが、僕はパンツ一丁のまま、コンクリート製の床の上で横たわっていたのだ。


 すると、腕に「鎖」のようなものが着いていること気付いた。


 ジャララッ――


――なんだこれ……?


 動くと鈍い音がした。


 よく見ると、鎖は腕だけでなく、足にも着けられていた。


「は……?」


 鎖の先を目で追う。


 鈍色の連続した輪っかの先にあったのは、地中に埋まったドッグポールだった。


 おいおいおいおい……!


 鎖を外そうと藻掻くも、僕の非力さでは、二進も三進もいかない。


 それもそのはず。よく見てみると、鎖には鍵穴が備えられていて、鍵が無ければ外れない仕組みだったのだ。


「ドッグポールの方を外せば、ワンチャン……!」


 ポールに近付こうとすると、闇の中からぬっと、竜胆が現れた。


「ダメだよ、春一」

「うわぁぁぁぁっ!!!」


 びっくりしたぁ……。


 心臓が飛び出るかと思った。


 どんなホラー演出だよっ!


「竜胆! お前がやったのか! これっ!」

「……はぁ」

「なんだ、溜め息なんて吐いて! 冗談にしちゃ、やり過ぎた! 早く外せよこの鎖!」


 幼稚園の頃からの長い付き合いだが、僕は竜胆を初めて叱責した。


 しかし、彼女はそんなこと、どこ吹く風といった態度で、僕を足蹴にした。


 ゴンッ!


「がっ……!」


 力いっぱい肩を蹴られ、体勢を崩してしまう。


 ……りん、どう?


 状況が飲み込めない。


 暴力を振るった竜胆を睨むと、彼女はがさつに頭を掻き毟った。


「あぁぁぁぁぁぁっ! しっ、ぱいしたぁぁぁぁぁぁっ!」


 苛立ち混じりの奇声に、僕は無意識に身を縮めてしまう。


「……っ」


 沈黙を守っていると、彼女は頭を掻くのをやめ、「うんっ」と頷いてから、平坦なトーンで語り始めた。


「長いこと付き合ってきたわけだけど、私は春一を甘やかしすぎたと思う。春一は、私の望みを一切聞き入れようとしない。私は春一が好き。春一だけを愛してる。春一しか要らない。春一以外は必要ない。でも、春一は私を見てくれない。必要に思ってくれない。これって不公平だよね? 私が愛をあげても、春一はくれない。なんで? ねぇ? なんでくれないの? そう思って、悩んで、死にたくなって、鬱々と過ごしてた。でもね、分かったんだ。春一は、私以外のことが好きなんだね。私は春一以外好きじゃないのに、春一は私以外の女が好きなんだね。それはやっぱり不公平だよ。だからね、私、決めたんだ」


 早口で語られる言葉に、どう反応すればいいのか分からなかった。


 ただ、彼女への評価は定まっていた。


――サイコパス。


 それは疑いようのない事実だ。


「私、春一をにするよ。大丈夫、安心して。春一の面倒は、今日から私が見てあげるから。春一は何もしなくていいよ。春一の食事も、着替えも、排泄も、自慰も、睡眠も、体力も、痛みも、苦しみも、私への愛も欲望も――全部、私が管理してあげる。だからもう間違えないよね。間違いようがないよね」


 不敵に嗤う竜胆。彼女は、床に置いていた犬用の餌皿を右手に持ちつつ、僕のいる方へと歩み寄った。


「なんだよ……それ」

「喉かわいたでしょう? 飲みなよ」


 これも管理の一貫と言わんばかりに、彼女は餌皿を僕に差し出した。


「馬鹿にしやがって!」


 声を荒らげると、竜胆は「はぁ……」と溜め息を吐いた。


「あのさぁ、春一。人が下手に出てればいい気になりやがって!」


 ボゴッ!!!


「ガハッ……! うぇ……。グェ……ッ」


 腹の下から思い切り蹴り上げられ、思わず、嘔吐しそうになった。


「あぁぁぁぁぁぁ。なんでうまくいかないかなぁぁぁぁぁぁ!」


 竜胆がヒステリックな声を上げると、僕の頭を何度も何度も蹴りつけた。


「やめ、やめろ! り、竜胆!」

「竜胆じゃねぇだろっ! だろっ! ボケがよぉ!」


 竜胆がげしげしと何度か僕の頭を蹴ると、今度はスタンガンを取り出した。


 バチバチ、バチチチチチッ――


 直感的に、あれにやられるのは不味いと悟る。


「やめ……っ」

「あ゛っ?」

「やめてください。お願いします……」

「誰が何をやめろって?」

「ご、ご主人様……それはやめてください。スタンガンだけは……」

「ったくよぉ、分かってんなら。最初からそう言えよ。ボケがよぉ」


 竜胆はスタンガンをおさめると、また僕を足蹴にした。


 痛く、辛い時間が続く。


 何度も蹴られている内に、口内を切ってしまったらしい。


 鉄の味が口の中に広がり、途端に気持ち悪くなった。


「ご、ご主人様。ど、どうかおやめください……」

「次、舐めた口聞いたら、殺すからな。ほら、飲めよ」


 竜胆はまたしても、餌皿を僕に近付けた。


 これを断るのは愚策だろう。


 僕がおそるおそる水を口にすると、竜胆は急に甘ったるい声を出した。


「よしよし♡ よくできたねぇ、春一♡」

「あ、ありがとうございます」

「あ゛?」


 礼を言ったのが誤りだったのか。


 竜胆は僕の頭を掴むと、水の残る餌皿に頭をこすりつけた。


「あば、あばばばばばばばばっ」

「犬は、てなくもんだろうがよっ! 何考えてんだゴラァ」

「わ、ワン、ワンッ!」


 人の言葉すら奪われた僕。


 そんな僕に対し満足したのか、竜胆はまた甘ったるい声を出した。


「よくできたねぇ♡ 春一♡」

「わ、ワンッ!」

の水は美味しかった?」

「わ……おえぇぇぇぇぇっ!」


 な、何飲ませんだ、こいつ!


「おい、コラ。もったいないだろ、ちゃんと全部飲めよ。殺すぞ?」


 耳打ちされた脅迫の言葉。あまりの苦しさに、僕は涙を流し懇願する。


「が、がんべんじでぐだざいぃぃぃ……」


 泣いたのは何年ぶりだろうか。


 しかし、返ってきた言葉は、非情なものだった。


「飲めよ。殺すぞ?」


 地獄のような仕打ちに、僕は涙で前も見えないまま、ただひたすら無心になって水を飲み干すのだった―― 

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