第16話 4度目のクリスマス・イヴ②

 美容室「さくら」は、ジャコモモールから歩いていける距離にある。


 さくらは、もともと僕の母親が行きつけの店であり、物心ついた頃から知っている場所でもあった。


 閑静な住宅街の中にある、さくらの店先に立つ。


 相変わらず、こじんまりとした店だ。


 家を改築し、無理矢理店舗を作ったとか言ってたっけ。


 それにしても――


「2カ月振りかぁ……」


 昔から来ているのだが、そこはやはり美容室。


 一人で行くにしては、多少ハードルが高く、気後れする。


「……よしっ」


 覚悟を決めて扉を開ける。カランコロンと鳴る鈴の音とともに、「春一?」との声がかかった。


 店内にいたのは、店主の「結城櫻さん」ではなく、櫻さんの娘、竜胆りんどうだった。


 竜胆は、カット席の準備をしながら、キリッとした目でこちらを見つめている。


「あ、竜胆りんどう……。いたんだ」

「そりゃ居るでしょ。実家なんだから」


 同い年で、幼なじみでもある竜胆は、気心が知れた仲だ。


 ショートカットの金髪を弄ってから、彼女は「座って」と席を二度優しく叩いた。


「櫻さんは?」

「パチンコいった」


――は?


 予約をしたはずなんだけど……。


 相変わらず、自由奔放な人だなぁ。


「じゃあ、待たないとだな」


 僕が待合スペースに座ろうとしたところ、竜胆がもう一度、「座って」と席に着くよう催促した。


「え、嫌だよ」

「何で嫌なのよ」

「だってさ……」

「だって?」


 竜胆が、ジト目でこちらを見つめる。


 ……分かった、分かった。


 諦めて席に着くと、鏡には満足げな竜胆の顔が映っていた。


「分かればよろしい」


 竜胆はそう言うと、ポンチョのようなシーツを僕に被せた。


 幼なじみにカットされる日が来るとはな。


 竜胆が18歳で美容師免許を取ったというのは耳にしていた。


 中学卒業後すぐ、美容師の養成機関に入った彼女は、まさに叩き上げと言えるだろう。


 高校・大学進学が当たり前の昨今、竜胆のような人間も珍しい。


、本日はどのような感じで?」

「くすぐったくなるから、春一でいいよ」

「ふふっ。まさか、あんたの髪を切る日が来るとはね」

「それはこっちの台詞だ。竜胆に髪を切られる日が来るとはな。櫻さんを恨むよ」


 仕事ほっぽり出して、パチンコに行くなんて。


 なんて、無責任な人だ。


「店を任せられるくらい、私の技術がスゴいってことよ。で、どんな感じにする?」

「えーっと、全体的に梳いてくれ」

「梳くだけじゃ、野暮ったいままでしょ。お任せでいい? あんたセンスないから、こっちで決めるね」

「……センスが悪くて、悪うござんした」


 だったら初めから聞くな。


 そう言いたくなるも、ハサミを持っている竜胆と喧嘩するのは恐いので、言わずにおいた。


 竜胆のカットは、意外にも心地いいものだった。


 適量の水が髪にかかる。その後、ジョキジョキとハサミが入ると、彼女が僕に話しかけた。


「元気してたの?」

「まぁな」

「医学部入ったんだって? やるじゃん」

「たまたまだよ」

「あんた、昔から頭良かったもんね。私のお母さん、あんたと私を比べるから、良い迷惑だった」

「そう言われてもなぁ。てか、櫻さん。そんな勉強とか押し付けるタイプでもないだろ?」

「今はね。昔は、うるさかったよ」

「意外だな」

「自分は勉強してこなかった癖にね。一々小うるさかったけど、美容師になることは反対しなかった」


 美容師ってのは、会話を聞くもんだと思っていたが、竜胆の場合は違うらしい。


「巧いな、切るの」

「当たり前でしょ? お母さんの娘だもん」


 床に髪が溜まっていく。それを見て、竜胆は「プードルぐらい刈れたね」とクスクス笑った。


 失礼な奴。ま、この気軽さがいいんだが。


 カットが終わり、竜胆はハサミから三面鏡へと、道具を持ち替えた。


「どう? いいっしょ?」

「おー。何て言うんだっけ、コンマヘア? だっけ?」

「あ、わかる? 似合うと思ってさ」


 最近流行ってるんだっけか。


 自分でも見違えたと思う。


「シャンプーするでしょ? あっちの席に移動してくれる?」

「頼む」


 美容室で一番楽しみなのが、シャンプーだ。


 竜胆にされるのはちょっと恥ずかしいが、これだけは譲れない。


「席倒すね。あと、目元隠すよ?」


 そう言って、竜胆がほどよく暖かいタオルを僕にかけた。


 そして、シャンプーが始まった。


「痒いとこない?」

「ない」


 シャワシャワと髪が手で梳かれると、なんだかウトウトしてくるのって、なんでなんだろうな。


 髪を竜胆に委ねていると、不意に彼女の手が止まった。


――なんだ?


 不審に思っていると、唇に柔らかな何かが触れた。


 ちゅ。


――は?


 一瞬だった。


 けれども、確かにその感触はだった。


「シャンプー終わるよ」

「あ、あぁ……」


 水を切った後、椅子が起こされた。 


 何が起こったのか、理解が追いつかない。


 ただ、その後も竜胆は平然とした口調で、僕の髪を乾かしたことだけは確かだった。

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