第8話 2度目のクリスマス・イヴ⑦

 日の入りの頃には、しんしんと雪が降り始めていた。


 命からがら、僕は公園へと逃げ込んだ。


 背後に椎堂さんがいないことを確認し、ベンチに腰掛けた。


「も、もうっ、走れん」


 一生分は走ったんじゃないだろうか。


 にしても、クリスマス・イヴに雪が降るなんてな。地球温暖化はどこへ――と、思考したところで、僕は強烈な既視感を覚えた。


 あれ、これどこかで……?


 ふと、今日見た夢を思い出した。


 そういや、似てるな――


 見知らぬ地雷系女に追われる夢。


 まさしく、今の状況と付合することに、背筋がぞくりとした。


「いや、まさか……そんな」


 正夢なわけがない。


 余計なことを考えないように首を振ると、突如、背中に経験したことがない激痛が走った。


「は? なんっ……いってぇぇぇ!!!」

「あはは、あははははははははっ!!!」


 馬鹿でかい哄笑に驚き、振り返る。


――うそ……だろ?


 気味の悪いホラーかと思った。


 眼前に、椎堂さんがいたのだ。


「どっから……ぐぅぅぅぅ!!!」

「動かない方がいいよ。めちゃくちゃ深くまで刺したから」


 彼女はそういうと、血の付いたアイスピックをひらひらと手の中で弄んだ。


 なんなんだよ、この人!


 このままではまずいと立ち上がる。


 すると、椎堂さんは無情にも、僕に追撃を見舞った。


 ぷすっ、ぷすっ。


「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

「だめだめ。もう、君を逃がすわけにはいかなくなったんだから」

「な、なんで……? ぼ、ぼく、なんも、してないのにっ」

「え? だって見たでしょ?」


 冷たい目で、彼女は地面に倒れ込んだ僕を見下ろした。


「な、何をですか、ねっ。ぐぅぅ……!」

「はぁ。まだしらばっくれるの? アタシのアルバムのコレクション、見たんでしょ?」

「いや、何の話――」

「とぼけるなっ!!!」


 彼女のブチ切れた声が、園内に轟く。


、ずれてたよ?」

「そんな……」


 確信を持った目に、思わず自白してしまった。


 しかし、ここで上手く誤魔化せたとしても、ここまでのことをやったのだ。


 彼女は決して許してはくれないだろう。


「まさか、私のコレクションを見られるなんてね。ま、別にいいんだけどさ。もう、みんなバラバラにして、ミキサーにかけたから」


 絶対に見つからないから。見られてもいい。


 彼女が恍惚とした表情を浮かべていることに、僕はようやく気付いた。


「ひ、人殺しっ!」

「あひゃ、あひゃひゃ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ――」


 僕の糾弾もむなしく、彼女は壊れたレコードのように笑い続けた。


「何がおかしいんだよっ」

「いやぁ。なんでなんだろうね。みんな死に際には、絶対怒るんだよね。でも、アタシ、そういうの本当に分からなくてさぁ――」


 椎堂さんは、語り続ける。


「アタシの玩具のくせして、反抗するなんて、本当に生意気だよね。アタシとエッチして、気持ちよくなったくせにさぁ。いざ、こっちが気持ちよくなろうとしたら、反抗するんだもん。よく分かんないよ。アタシと一緒にいたいっていうのにさぁ。アタシのものになるって言うまで、調教してあげてるのにさぁ。最後の最後で反抗するんだよね。なんで? ねぇ、なんで如月もみんなと同じこと言うの? アタシのために死んで、一生アタシのものになれるんだよ? ねぇ、なんで? なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで――なんで?」


 一から十まで支離滅裂な言葉に、呆れを通り越して、絶望した。


 だめだ、この人――話なんて通じる人じゃない。


「ねぇ、聞いてる?」

「は? え? いや、やめ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 ぷすっ。


 脇腹に再度、アイスピックを刺された。


 もう痛みで気が変になりそうだ。


 腹の辺りを最後の足掻きで眺め見ると、夕暮れから浅く降り積もった雪が、真っ赤に染まり、イチゴシロップのかき氷みたいになっていた。


 あ、これ。見た――


 今際の際、街灯からの白銀の光に照らされつつ、僕は――椎堂さんを睨んだ。


 オープンショルダーの長袖、フード付きのパーカー、スカート下の太腿にはチョーカー、そして――レースがひらひらした厚底のパンプス。


 細部こそ異なれど、眼前にいるの少女を僕は夢で見た。


 椎堂さんは先ほどから、理性がぶっ飛んだような表情で「許さない」と連呼している。


「お前も、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない――」


 ぷすっ。ぷすっ、ぷすっ、ぷしゅっ。


 悲鳴はもう、枯れた。


 椎堂さんの持つアイスピックには、たっぷりと僕の血が付着していた。


 あ、だめだ。これ、死んだわ。


 時間が刻々と過ぎていく。じんわり暖かかった身体が、急激に冷たくなっていくのが分かった。


 血の気が引くとは、このことなんだろうな。


 夢に見た通りの死に際だった。


 意識が途切れるその直前、椎堂さんは短く呟いた。


「誰か、アタシをよ」


 猟奇的なまでの黒い瞳と降り積もる雪の白を見て、ふと頭の片隅に鯨幕が浮かんだのは、なんかの冗談だろうか――


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