5-4 湖の主 4
彼の投げたナイフは彼が起こした風によって、相手に向かって勢いよく運ばれていく。徐々に加速していくが、化け物はそのナイフには全く気が付かない。避ける素振りもなく、彼に攻撃を加えようと企んでいるようだが、相手が動き出す前に、胴体の部分にナイフが突き刺さる。それも先ほどの回転する包丁と比べるまでもなく、体深くに刃が入っているのが、彼からも確認できていた。しかし、化け物はその攻撃を大して気にしている様子はなかった。そして、相手が体をばねのように動かしたときに、ナイフが相手の体から抜けた。深く入っていたように思えていたナイフは本当に深く入っていて、ナイフが抜けると同時に相手の体内から体液が漏れだす。その色が、気色の悪い緑色で、それが湖の中に入っていく。ただ、その程度で汚れるほどの水の量ではないため、化け物の体液は抜けたナイフと共に水の中に消えていく。
結局は、その体液もすぐに止まり、化け物の致命傷にはなっていないようだった。しかし、それでも相手に傷を与えることはできるとわかれば、攻撃のしようがあるということだ。全く攻撃が効かないというわけでなければ、化け物に勝てないというわけではない。
彼は自身のナイフの動向に目を向けていたせいで、相手の突進に反応が遅れた。相手の突進に対して、岩の壁を張ろうと詠唱を始めたのだが、それが悪手であることに気が付いたのは、自分の体が宙を舞っているときだった。全身が痛みに襲われている。時間が引き延ばされ、相手が目の前にいて、突進を当てたことでその場所で止まっている。しかし、その頭は自分の方に向いていることは見えていた。
地面に背中から落ちることで、引き延ばされた時間が元に戻る。彼はとっさに立とうとしたのだが、全身にダメージが入っていて、すぐに立つことはできなかった。そこに相手の二度目の突進が襲い掛かる。彼は激痛に苛まされている体で、何とか前に跳んだ。地面に腹を打ちながらも敵からの突進を回避した。そのせいで、体にさらに負担がかかっている。彼の視界には相手が、水の中に戻っていく姿が見えていた。相手は自分を狙ってとどめを刺そうとしているのはすぐにわかった。
しかし、彼の中にあるのは、変わらず、こんな場所で死にたくはないという強い意志だ。たったそれだけだが、その強い意志のおかげで戦闘になっても何とかしのいできていた。そして、そのおかげで、彼は自身の体の痛みに耐えるだけの精神を手に入れていた。その強くなった心が今、彼をそこに立たせていた。
「いてぇ、けど」
腹に力を入れて、背筋を意識的に伸ばす。そうするだけで痛みが走るが、それに負けるわけにはいかない。彼は今にも突進しようとしている化け物を見た。彼の瞳にはまだ敗北を示すような諦めに色はかけらもない。化け物は何度目になるわからない突進を彼にぶつけるために、動き出す。彼はその攻撃を回避して、相手の方を見る。それと同時に手の中で、また包丁を作りだす。金属製のものは彼には重く、重量を調整できない今は、素早い相手には攻撃を当てることができないのだ。彼は振り返り、相手が再び突進してくるのをみていた。地面を這って、地面をえぐりながら大きく口を開けて突撃してきていた。彼は相手の軌道を見て、化け物の体がギリギリ当たらない場所に移動する。そして、すれ違いざまに相手の口の端に包丁の刃を当てて、相手の勢いを利用した。自身の腕も足も悲鳴を上げていて、今にも相手の突進の勢いに引っ張られそうだったが、それでも何とか耐えて、化け物の側面に刃を通し続けた。それ相手の尾の先まで刃を通したが、包丁の長さでは、相手を真っ二つにすることはできない。それでも、相手が水の中に体を戻すと、そこには大量の気色の悪い液体が浮かんできていた。相当量の体液を失っていることだけはわかるが、それが致命傷なのかまではわからない。化け物が再び水面から体を出した時には、その半身が綺麗に上下に分かれていて、反対側は綺麗にくっついていた。それだけの傷を受けているはずなのに、相手は全く怯む気配もない。痛みを感じることができないのかもしれない。だが、痛みを感じないということは、攻撃を警戒するよりも、自身の攻撃を優先する可能性が高いだろう。つまりは、反撃のチャンスが多くなるかもしれない。だが、またカウンターを決めることができるとは限らない。カウンターで攻撃を当てることに集中しすぎれば相手の攻撃に当たる可能性もあるだろう。
彼は思考しながら、相手の動きに合わせた自分の動きを頭の中で組み立てる。死地に近づいて彼の思考能力は一時的に向上していた。
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