5-5 湖の主 5
彼は手の中にある包丁を強く握る。化け物の動きを見ていた。相手の突進に合わせるための自分の体の動きをある程度、頭の中に組み立てる。細かいところまではその場その場で適応していくしかない。化け物の半身は既に上下に分かれているのだ。次は反対側を斬れば、それで相手の体は上下に完璧に二つになるだろう。それができれば、相手を倒すことができるはずだ。
化け物の体からは気色の悪い緑色の体液が垂れ続けていた。半身だけとはいえ、体が二つに分かれているのだから、当然だろう。化け物はそれでも痛みや辛さを感じているわけではなく、体を縮めても相手の動きが鈍ることはなく、化け物は自身の体液がより噴き出しても気にせずに、明途に突進を決行する。
彼の視界の中で相手の動きが先ほどよりも遅くなっているように見えた。それは見間違いや彼だけの感覚ではなく、半身が上下に分かれているせいで、抵抗があるのだ。彼は、その瞬間に勝ちを確信していた。しかし、そこで油断するわけにはいかない。目の前に勝利があるからと言って、それにすぐに飛びついて気を抜くわけにはいかないのだ。彼は緊張しながら包丁を構えて、切っ先を相手に向けた。突進に合わせて、自身の体を相手の、ダメージを与えていない方に移動させる。そのまま、相手の口の端の辺りから包丁を入れて、相手の勢いに負けないように包丁をしっかりと握っていた。体ごと引っ張られそうな力をどうにかして抑えていく。自身の体にもダメージが多く、体のいたるところがきしんでいるのを感じていた。相手の突進がいつもよりもかなり長いような感覚があったが、それもようやく終わる。化け物の体にどれだけの包丁が入ったのかはわからないが、手に伝わる感覚は反対側を切り裂いた時と同じくらいだった。つまりは、手ごたえはあるのだ。
彼は振り返り、相手の方を見た。相手の両側の肉は下に垂れていて、そこから体液が地面に垂れていた。相手は体を持ち上げて顔を相手に向けていた。
「まだ、倒れないのか……」
そう呟きながらも、彼の戦う意思が消えるわけではない。未だ包丁を握りしめて、目の前の化け物の倒して、自分が生き残るために戦うのだ。
だが、化け物の体が地面に落ちた。体液が飛び散り、相手の口からもそれが漏れていた。それでも、彼は相手が再び動き出すのではないかと思い、警戒を解かなかった。しばらくして、相手が全く動かないことを確認して、おうやく警戒を解いた。気が緩んで、その場に腰を落とした。下が砂だとか、土がつくとか、そういうことを気にできる状態ではなかった。
「はぁ……、ふぅ」
ため息を一つはいて、体から緊張感が抜ける。首を絞められていたかのように呼吸が浅くなっていたことを自覚して、体に魔気を吸い込んだ。呼吸の仕方を思い出したかのように、さらに魔気を体内に取り込んでいく。手先に痺れのような感覚があり、今はそれすらも心地よい。それを感じることができるということは、生きているということなのだから。
「もう、しばらくは戦いたくないけど、たぶん無理だな……」
緊張感からの解放と戦闘が終わったことで眠気が襲ってきていた。ようやく、自覚したが、疲れが限界まで来ると、眠ることを理性で留めることはできないようだった。眠気に抵抗しても勝手に瞼が下りてくるのだ。脳みそが眠ることに抵抗していない。彼は眠ってしまうということを自覚しながら、意識を手放した。
「ふぅ、まさか、こいつを倒せるほど、強いとは思わなかったな。まぁ、眠っている間は守ってやるか」
彼が眠ってしまった後に、獣の耳のついた女性がそこにいた。彼女は大きな銃を背中に背負っていて、それが彼女の得物だとすぐに理解できるだろう。彼の知識の中にはまだないが、もしその知識が頭の中にあれば、かなり強力な力になるだろう。
彼女は彼の顔をちらと見ただけで、それ以降は周囲を警戒していた。しかし、彼に近づくものはいないだろう。見ただけで、彼女は強いことは本能でわかるはずだ。そして、もし、それを理解できない馬鹿であれば、彼女が苦戦する相手ではないということだ。そもそも、この森の中で、一番強い奴は目の前で寝こけている彼が倒しているのだから、何も心配する必要はないだろう。彼が眠っている間だけの護衛だ。
「こいつに、何を期待しているのかと思ったが、今までの挑戦者よりは骨のある奴だったな。それに、こんな装備でこれを倒せるほどとは、知恵も回るのか、それとも、ただの偶然か」
彼女は彼の近くに落ちている包丁を持ち上げる。彼女は見たことがある包丁とは少し形態が違い、料理で使用するには刃の部分が長い。それでは料理には使えないだろう。だが、この化け物を倒すには、それだけの長さが必要だったのだろう。それを考えれば、多少は知恵が回ると考えるべきだろう。
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