エピローグ

第48話

「ねえ、せりか」


 ふわふわの雪が空からゆっくり降りてくるような、そんな夜。目の前の女の子が私の名前を呼ぶ。


 その子は手を伸ばせば触れられそうなくらいそばにいるはずなのに、触れることはできなくて、よく見えるはずの顔もどうしてかぼんやりしていて、見えない。


 それでも、私はよく知っている。


 これが私の記憶の再現だということも、目の前にいる女の子が誰なのかも。

 そして、その子が私にとってかけがえのない人だということも。

 

「ほら、星がいっぱい見えるよ」


 彼女は笑っているような声調で、そう言った。ナトリウムランプに当たる彼女の髪が鈍い金色に輝いている。


 そうだ。私たちは天体観測をしていたんだった。


 私は空を見上げる。夜空は厚い雲に覆われていて星一つ浮かんでいない。


 だから私は、彼女の足元に広がる星空を見た。


「きれいだね」


 彼女は天体観測をしに来たのに、星一つない雪の夜空に言う。


「うん。綺麗だね。綺麗だよ、つむぎ――」


「…………んぅ」


 目が覚めて、見慣れた自分の部屋の白い天井が目に入る。


 また、この夢を見た。


「……そろそろ春なんだけどな」


 目覚まし時計が鳴る前に止める。時間よりも結構早く目覚めてしまったらしい。二度寝しようか迷う。


「いや……起きよ」


 私はあくびをしながら天井に向かって伸びをする。生理的な涙が片目にだけ滲んで、それを人差し指で拭った。


 あの日――六年前、星のない夜につむぎと天体観測をした日。私は冬になるたびその日の夢を見ていて、そしてそれをもう一度見たいがために二度寝をしていた。

 そのときは、それまでは、つむぎに会えるところがその夢しかなかったから。


 でも、今は違う。


「ぇりか……?」


 私が隣を見たのと同時に、寝ていたつむぎが眠たそうに私の名前を呼んで、眠たそうに瞳を開けた。すごく可愛い。


「おこしちゃった? ごめんね。まだ時間じゃないから寝ててもいいよ」

「うん……。せりかは起きる?」

「うん。起きる」


 つむぎにそう伝えると、つむぎは布団の中でもぞもぞ動いてから、布団から出て体を起こした。


「わたし……わたしまたっ、せりかのこと忘れるかもしれない」


 去年、つむぎが突然倒れて入院したときに言っていた言葉。「星波つむぎと星空瀬梨香の関係」を一時的に変えてしまった言葉と、つむぎの震えた声が頭に浮かぶ。


 あれから、つむぎの記憶は戻ったままで、失われてはいない。


 とはいえそれがこれから記憶を失わないということにはならない。今日はその念のための定期検診の日だった。


 けれど、もしつむぎがまた記憶を失ってしまったとしても、つむぎなら、私なら、私たちなら大丈夫だ。


「それなら私も、起きる。おはよう、せりか」

「うん。おはよう」

「つむぎ」


 私はつむぎの名前を呼んで、つむぎの左手に私の左手を無理に絡める。


 私たちはずっと、いつまでも一緒にいるって誓いあったから。


 私たちは体温を交換してから、まだちょっとだけひんやりとするフローリングに足をつけた。




星空が溶けてしまう前に おわり

 


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