第47話
「せりか……?」
私は息を吐いて、立ち上がる。背中から冷たい感覚が離れた。
「あ、背中ほろうよ?」
「ああ、ありがとう」
つむぎは私の背中についた雪をぱさぱさと落としてくれた。
つむぎに雪をほろってもらうなんて、本当に久しぶりだ。
「はい。ほろえたよ」
「ありがとね、つむぎ。……ほろうって、北海道弁なんだって」
「あ、え、そうなんだ」
私はどうでもいいような小話を挟む。特に緊張はしていないけれど、なんとなくこういう取り止めのない話を挟まずにはいられなかった。
「つむぎ。本当にごめんなさい」
私はぺこりと頭を下げる。
「私、つむぎと再会してから酷いこと言いすぎた。つむぎは突然いなくなってないどころか、記憶のことだってちゃんと言ってくれていたのに……それなのに私は、私はっ、それを忘れてたあげく全部つむぎのせいにして」
声が勝手に震える。
つむぎが私のことを、好きって言ってくれたことでさえも、私はそんな大切なことすらも忘れていた。
いくら自分にとってショックな出来事だったからって、それを忘れるなんてどうかしていた。
「最低、だよ」
「顔上げて? せりか」
私ははっとして顔を上げて、恐る恐るつむぎを見る。つむぎの表情はやわらかくて、明るかった。
「せりかは覚えてなくて分からなかったし、私はせりかが覚えてないことを知ることができたから、もういいの」
「ありがとう。でも、謝らずにはいられなかった」
「そういうところもまじめで、優しいね」
「つむぎの方が優しいよ。こんなこと、普通なら許されない」
つむぎは突然抱きしめて、私の耳元でささやいた。
「せりかのこと好き……だから許せるのかな」
「なっ……」
私は顔が熱くなるのを感じる。
突然抱きしめて、突然そんなことを言うなんて、やっぱりつむぎは流れ星みたいだ。
「……つむぎ、そのままで聞いて」
「! ……うん」
「私、もう逃げないよ。つむぎが記憶を失ったって、私のことを覚えてられなくなっていったって私はもう逃げない」
「せりか……」
「何度だってつむぎに初めて会いに行くし、何度だってつむぎに初めて恋に落ちて、何度でもつむぎの初恋を奪いに行く。私のことが記憶から消えるまでずっと好きって言ってもらえるように、つむぎのそばにいる。もう逃げたりしない」
私はつむぎから身を引いて、つむぎを見る。つむぎの大きな瞳に、ふわふわ落ちる雪と私が映っていた。
「でも……私はせりかに辛い思いをさせちゃうし、私もせりかといると、余計に辛いような気がして、怖くて、不安で、苦しい」
つむぎは私から目を伏せる。それを見て私は反射的につむぎの肩を取って、つむぎを抱きしめた。
「正直に、つむぎが私のことを忘れることが辛くないとは言わない。でも、もしもつむぎが私のそばから離れたら、つむぎは私のことを忘れる辛さを経験して、私はつむぎがそばからいなくなる辛さを経験することになる。そんなのお互い対等じゃない。忘れることが辛いなら私もその苦しみを一緒に味わう。辛いことも悲しいことも、同じものを半分こにしようよ」
「対等……」
「うん。対等」
私はつむぎのことをもっと強く抱きしめる。つむぎも私の腰に回していた手をぎゅっとした。
「つむぎ。何度も言うけど、つむぎとした『私のこと忘れて』って約束を私は破り続けるよ。私はもうつむぎのこと、つむぎのどんな小さなことでももう絶対に忘れたりしない」
私は等身大の今の気持ちをつむぎ伝えていく。
私は今が冬で、雪が降っているのとは対照的に、心が温かく透き通っているのを感じる。
嘘じゃない自分の本当の気持ちのその一つ一つが、私の心を晴らしていく。
つむぎの心にある雲を晴らすことができているのなら、私の言葉がしっかりつむぎに届いているなら、私は嬉しい。
「……私、今思えば誤魔化してばっかりだったね」
「! そんなことないよ」
つむぎは私の言葉を否定した。そんなことないわけがないのに。
私は相澤さんにずっとつむぎとの関係や好きな人のことを誤魔化し続けていたし、嘘だってついた。私の大好きなつむぎにだって恋人だっただなんて嘘をついた。
こうやって思い返してみれば、私は自分のことを誤魔化してばかりだ。
でも。
「でも、もうそんなことしない」
誤魔化すなんて、嘘なんてもう、私には必要のないものだから。
私はつむぎからまた離れて、つむぎの細い手首を握る。
「せりか、何してっ」
私はつむぎの手袋を脱がせて、手を取る。取った手は、左手だ。
「つむぎ、ここに誓うよ」
「この白い星空が何回も溶けて何度も春になっても、私はつむぎのことをずっと好きでいる」
私はつむぎから一瞬も目を離さずにつむぎを見る。つむぎのほっぺたは雪に焼けたように赤くなっていた。
きっと、お揃いだ。
「つむぎがだんだん記憶をなくしていっても、私はつむぎのその辛さを半分こにする。つむぎが記憶をなくした後も、何度でも私に抱いてくれたつむぎの二文字の気持ちを、私がそばにいて思い出させる」
「星空が溶けてしまう前に」
つむぎの左の薬指にそっと――唇を落とす。
つむぎの言った言葉が頭に蘇って、勝手に頬が緩んだ。
――恋人だったんだ。あなたの。
つむぎはちょうどこの公園で、私が言った
つむぎも「星空が溶けてしまう前に」私のことを忘れてほしいという言葉は、きっと自分のことを悩ませ続けて、苦しめた約束だったはずだ。思い出した今だってそうだと思う。
だから私もつむぎの言葉をそっくりそのまま返した。
私の嘘がそうであったみたいに、その約束が、つむぎのとっての苦しみの言葉が、希望の言葉に変わってしまうように。
私がいつも望むのは、対等なのだから。
つむぎは驚いたように目を丸くしてから、その大きな瞳をうるうると輝かせた。
「せりかっ、せりかぁ、うわああぁ」
「え? つむぎっ、え、あっちょ――」
つむぎが私に突進して、そのまま抱きしめて――。
ぼふっ。
私たちは私たちだけが分かる、星空の上に勢いよく倒れた。きらきら光る白い星の粒が曇り空に舞って、私たちにぱらぱらと降りかかった。
「うぅ……。ちょっと、冷たいよつむぎ」
「あははっ。私も冷たいよせりか」
つむぎは私に覆い被さったまま、話し始める。つむぎの涙がぽつぽつと、私の頬に落ちた。
つむぎの心臓の音、それか私の音、あるいは二人の音が静かな冬の夜に響いている。
「……私も最低だよ、せりか。めんどくさいし」
「私はずっと、せりかからのその言葉がほしかったんだと思う。いつまでもずっと変わらずに輝き続ける、まるで星空みたいな気持ちと、その言葉が。だからきっとわざとあんなこと言ったりして、せりかのことを困らせて」
「つむぎ……」
「私もせりかとずっと一緒にいたい。私こそ、こんな私でも、せりかが望むならせりかのそばにずっとおいておいてほしい」
「そんなの当たり前じゃん」
つむぎが頭を下げるから、つむぎの前髪が私の鼻先をくすぐった。
「ごめんなさい。いっぱい困らせて」
「ううん。全然困ってないよ。ちょっと驚いただけ」
つむぎはぱっと顔を上げて、私を見た。手のひらの雪が溶けるようにだんだん、つむぎの表情が砕けていく。
「あっ、いつものだ。せりかはいつもそう言うよね? ほんとは困ってるのに。嘘つき」
「ん? 私はつむぎに嘘なんてついたことないよ?」
「えー? あっそっか。あれは嘘じゃないもんね。恋人だったって」
「うん。そうだよ……ふふ」
「あははっ、あはははっ」
私たちは白い息を立ち昇らせながら、たくさん笑い合った。
「ねえ、せりか」
「なに? つむぎ」
「改めて聞いてもいい?」
「私とずっと一緒にいてくれる?」
「うん。さっき誓った通りだよ」
「そっか。それじゃあ『星波つむぎと星空瀬梨香の関係』は? 恋人同士に戻してもいいの?」
「うん。もう元通りに戻そう」
つむぎは表情を一気に明るくしてから、私の胸に顔を埋めた。
「あぁ、せりか。好き。好きだよせりか。大好き。宇宙で一番好き」
「嬉しいなぁ、そんな風に言ってくれて。……私もだよ。私も大好きだし、宇宙で一番好きだよ。つむぎ」
つむぎはうんうんと頷いた。それから、私のまねをするみたいに、私の左の薬指にキスを落としてから、今度は私の唇に、突然キスをした。
「私も、この気持ちが永遠だってことを、誓うね」
「っ〜〜〜〜」
私は顔を見られたくなくて、つむぎのことを抱きしめた。
やっぱり、つむぎは流れ星だ。
「ねえ、せりか。私、おなかすいた」
「うん。いっぱい話したもんね。私もおなかすいた」
つむぎが私の手を引っ張りながら体を起こす。
私はつむぎと別れていた三日間のことを思い出す。
この期間でまともに胃に入れたものといえば、水と、意図せず飲み込んだ歯磨き粉と、相澤さんのうどんくらいだった。だから、身体がまだまだカロリーを欲していた。
「私、食べたいものがあるんだけど、いい?」
「うん。そこに、いこー」
「おー!」
私たちは私たちが五年振りに再会した日に行った、あの洋食屋さんへと足を運んだ。もちろん食べるのはオムライスだ。
ふと空を見上げると、雪は止んでいて、雲の隙間から変わらないオリオン座がまたたいていた。
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