第37話
「ああ、あれね。あれは――」
相澤さんは乗ってくれて、自分の話をし始めた。つむぎは私と違って真剣に聞いている。
私は自分から聞いたくせに少しも耳に入れないで考えを巡らせる。
この戦いは私があまりにも不利だ。
私がどれだけ話を遠ざけようと、つむぎが「瀬梨香が私の好きな人です」と一言相澤さんに伝えるだけで簡単に私は負けてしまう。それを回避するために、私はつむぎが介入する余地のないほど相澤さんと会話を重ねる必要がある。
でも、それぐらいなら。
私はつむぎを見る。つむぎもこっちに気づいて目を合わせた。
お願い、言わないで!
私は目でつむぎに訴えかける。
変に戦うよりも、つむぎにお願いした方が効果的で安全で、確実だ。
つむぎと目が合った時間は一瞬だけだった。
伝わったかな……。
「てな感じ。なあ瀬梨香聞いてた?」
「聞いてた聞いてた。いい感じじゃん」
私はあまりにも適当すぎる相槌を打つ。すると相澤さんはつむぎの方を向いた。
「それでそれで? つむぎの好きな人の話もっと聞かせてよ。いつ好きになったのさ」
ドキドキする。
私はつむぎがどう答えるのか気になって、つむぎを凝視した。
「えーっと、五年くらい前です」
「五年!?」
「ああ……」
相澤さんのうるさい声がエントランスに反響して、頭の中に響く。同時に、私は頭を抱えた。
私の「言わないでほしい」という意思はつむぎに伝わっていない。
これはまずい。
「五年って、え、現役生?」
「そうです」
「じゃあ中学生のときから好きなん!? うわ〜っ! ピュアすぎて直視できねえ」
相澤さんは大げさに、まるで太陽を見るようにつむぎに手をかざして顔を逸らした。
つむぎは私にとって太陽みたいな存在だから、気持ちは分かるけれど。
「え、ええ……そんなにですか……?」
「そうそう。つむぎは相澤さんと違ってピュアピュアな女の子だから」
「あたしと違っては一言余計だろ。えー、つむぎの好きな人見てみてーな」
「なんて名前?」
「あっ」
まずい。
一番まずい質問がつむぎに投げかけられた。これにつむぎが答えてしまうと、私は確実に負けて、「星波つむぎと星空瀬梨香の関係」がばれて、めんどくさいことに巻き込まれて、相澤さんにとやかく言われるに違いない。
「えっと――」
「あーーっ!」
つむぎが言い淀む。その隙に私はわざとらしく大声をあげた。何かをはっと思い出したような演技を添えて。
「えっどうしたの? 瀬梨香」
「珍しいな急に叫ぶなんて」
「ごめんつむぎ、家に忘れものしちゃった……! 今から取りに戻ってもいい?」
「そうなの? ……いいよ」
「相澤さんはどうする? 待ってる? あ、でもそろそろスーパー閉まりそうじゃない?」
「おま、急に饒舌になるじゃねえか……」
相澤さんは携帯に視線を落としてから、また私の方を見た。
「まあ、確かに時間はあんまないな。あたし買いもの長くなるし。行くわ。また今度好きな人のこと教えてな? つむぎ」
「は、はい。お、お気をつけて……」
「瀬梨香もガーディアンになって、執拗につむぎの恋の邪魔すんなよ。いくらつむぎのことが好きだからってさ」
「はいはい」
だから、つむぎの好きな人は私だ。
相澤さんは「二人ともまたなー」とひらひら手を振って、エントランスのドアを開けた。私は背中を丸めて、深く深く息を吐く。
「瀬梨香、なに忘れたの?」
「うん? ああ、あれは相澤さんを撒くための嘘」
「えっ」
つむぎは目を丸くした。
「どうしてそんな嘘をついたの?」
「気づかなかったよね……。私、相澤さんにつむぎのこと好きなこと隠しておきたくて」
「……それはどうして?」
「私たちの関係を知られたらいろいろめんどくさいことになるし、それに、私たちの関係は私たちだけが知っていればいいかなって」
「……そっか」
つむぎは小さくつぶやいた。握り拳を作ったつむぎの指が白くなっている。
「私はむしろ知ってほしいって思った。知ってもらえたら瀬梨香は困らなくなるでしょ? 瀬梨香が困ってたりしたら、私も助けたい」
「ありがとう。でも、好きな人がどうとか聞かれていたのが今度はつむぎのことを聞かれるようになるだけで、めんどくささは変わらないと思うんだよね……」
「私、あんまり自分のことを大切な人以外に知られたくないから、『最近つむぎとどう?』って聞かれ続けるのがめんどくさいとか嫌だなって思っちゃう。だから今みたいに適当に受け流していた方が楽かなっ…………て?」
私は息をのむ。私はよくない、ちくりと刺すような雰囲気を察知した。
つむぎが、怒っているように見えたから。
「『星波つむぎと星空瀬梨香の関係』を隠したい理由って、それだけ?」
「? う、うん。そうだよ」
私は冷静に話そうとしたのに、声が勝手に震えた。
つむぎが何に怒っているのか、そもそも怒っているのかどうかも全く分からない。つむぎの声はいつものゆるゆるふわふわな感じはしなくて、どこか冷たくて、痛い。
私は緊張で心臓が痛む。こんなつむぎは初めて見る。
「私と付き合ってて何か後ろめたいことがあるんじゃないの?」
「今はないよ。前は確かにつむぎに恋人だった、なんて酷い嘘ついてて後ろめたさはあったけど、今はそんなことない」
「それならどうして私とじゃなくて、相澤さんとばっかりお話してたのっ!」
「ええっ」
つむぎの声調が強くなる。
つむぎは、怒っている。
初めて見るつむぎに焦りと緊張で変になってしまいそう。それに、まだ何に怒っているのかも分からない。
私はそれでも必死に言葉を紡いだ。
「そ、それは、つむぎが相澤さんと話すの苦手かなって思って、つむぎのサポートに回っただけだよ」
「! あ……そう、なの?」
「う、うん」
今のは言い訳でも嘘でもなく、事実だ。
つむぎの冷たい表情がだんだんと溶けていって、今度は憂いを帯びたような、少し悲しげな表情になった。
「言われてみればそうだったかも……ね。ごめん瀬梨香、急に不機嫌になったりして。私、ひどいね」
「……ううん。確かに振り返ってみれば私、相澤さんとばかり話してた。私の方こそ、ごめん。でもどうしたのさ、急に」
つむぎはうつむいたまま、自分の胸に手を当てている。私と目を合わせてほしいと思う。
「相澤さんと瀬梨香がお話しているとき私、胸がもやもやして、ズキズキして、ひどい気持ちになった。瀬梨香に私のことを放っておいて相澤さんとお話してほしくないって、思った。だから、私たちの関係のこと知ってほしくなったのかも。なんか私、へんだね」
「つむぎ……」
それって――。
私がつむぎの抱く気持ちに名前をつけようとしたところで、つむぎは私に視線をぶつけた。
「私、瀬梨香に他の人とお話してほしくない。……そんなこと、無理なのは分かってるのに」
「つむぎ、おいで」
私は両手をつむぎへと伸ばす。
つむぎは少しだけ逡巡してから、私に体を預けてくれた。つむぎの体が少しだけ、熱い。
「私も気をつけるべきだった。……正直つむぎの要望に応えるのには限界があるけど、つむぎの前ではあんなこともうしないよ」
「うう……でも」
「……つむぎは相澤さんに、やきもちやいたんだよね」
私はつむぎの感情に名前をつける。
「やきもち?」
つむぎは少しの間だけ静かになって、私にもっと顔を埋めた。
「……うん。やきもち」
つむぎは小さく頷いた。
「よしよし」
私はつむぎがいつか私にしてくれたみたいに、つむぎのさらさらの髪を撫でる。
可愛い。
つむぎがこの世のものとは思えないほど可愛い。
やきもちをやいてしまうつむぎも、それだけ私のことを好きでいてくれるのも。可愛くて、愛おしくて、嬉しい。
あまりの可愛さにつむぎを抱きしめすぎてしまわないように、私は何とか加減をした。
「あっ見て。つむぎ」
私の視界にふっと外の景色が入った。
「ん……? あっ」
「雪だ」
「雪だ」
二人同時に声を上げる。
真っ暗な夜を埋めるように、ぽつぽつと白い雪が空からゆっくり降り始めていた。
まるで、あの日の夜みたい。
「なんだか久しぶりに見た。つむぎは?」
「私も、初めて見た。この五年で雪、こっちでは降ったことなかったから」
「私もこっちでは初めて見る」
雪を見たのは確かに久しぶりだった。
エントランスの窓に映る景色は、北海道では何度も何度も見てきた、あまりに普通の光景だった。
けれど、ここで見る雪はとても新鮮なものに思える。
きっと、またつむぎと見ているからだ。
私はつむぎを見る。
つむぎの瞳には、この景色がどんな風に映っているのだろうか。
「し、しろい……」
「うん。白いね、つむぎ。……つむぎ?」
「あ……れ……?」
「え? え、大丈夫? つむぎ? ねえ、つむぎ」
私を抱きしめていたつむぎの腕から怖いぐらい、だんだん力が抜けていく。
「つむぎっ――」
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