告白

第31話

 私は震える手を震える手で押さえた。携帯の電源を入れて天気を見る。


 晴れ。今の気温は2℃。

 なかなか冷え込んでいてかなり寒い。けれど、私が震えているのは寒いという理由だけではなかった。


「瀬梨香? 寒いの?」


 私の初恋の人で、今も好きな人で、私の恋人、つむぎが私の顔を覗く。北海道では咲かない金木犀がふわりと咲いた。


「ううん、大丈夫」


 私は大丈夫ではないけれどつむぎにそう言って、震える手をより強く押さえる。

 つむぎに告白しなければならないことがあって、私は四限が終わった後、つむぎを誰もいない公園に呼び出した。


 恋人だったんだ。つむぎの。


 私は数ヶ月前、再会した日につむぎについた嘘。この嘘をついた日からこの嘘のことを忘れたことはなかった。つむぎのことを常に考えている私は、この嘘も同様に顔を出して、そしてそのたびに私の心をえぐっていた。


 そして。この嘘のおかげで、「星波つむぎと星空瀬梨香の関係」に恋人という名前がついた。


「……」


 最低だ。


 つむぎが積極的になるとき、必ず「私と瀬梨香は恋人だった」と確認していた。それは恋人だったという嘘がなければ、つむぎは私に恋人になってほしいなんて言わなかったはずで、キスをしようとも言わなかったということだ。結局、私がついた嘘でつむぎの気持ちを歪め続けていたのだった。

 それに、恋人になった後に嘘を告白するなんて、やっぱりずるすぎる。しかもそれですら勇気が出なくて、こうして今までずっと引き伸ばしてきたし。


 でも、せめてもの償いとして。


「つむぎ」


 呼ぶと、つむぎの肩が揺れる。

 せめて今、私はつむぎに本当のことを言わなくてはならない。


「聞いて、私ね」

「瀬梨香、その前に、いい?」

「うん? どうしたの?」


 つむぎはフレアスカートを両手で流すように伸ばして、公園の小さなベンチに座った。つむぎはベンチの空いた座面をぽんと叩く。


「瀬梨香も、座って」

「――うん」


 私はつむぎの隣に座る。お尻がひやりとしたから、背もたれに寄りかかるのはやめておくことにした。


「瀬梨香。瀬梨香がこれから話すことは、きっと瀬梨香にとって勇気がいることだよね」

「そう、だね?」


 つむぎの意図が分からない。


 つむぎは何か私に――。


「私は確かに瀬梨香の嘘の話が気になるし、瀬梨香は嘘を言ってくれるって約束してくれたけど、もし瀬梨香が無理をしてるなら無理に話さなくてもいいよ。ほら」


 つむぎが私の震える手を握る。


「瀬梨香の手、震えてる」

「……ばれてた」


 つむぎに握られた手からつむぎの体温をじわじわ感じて、温かい。その熱が全身に伝達していって、体が熱くなる。


 つむぎの体温が私の震えを溶かしていく。


「心配してくれてありがとう。でも、こうしてつむぎが私のことを思ってくれているだけで大丈夫。私、つむぎにちゃんと伝えるよ」

「瀬梨香……」


 つむぎがえくぼを作る。


 やっぱり、つむぎはとても可愛いと思う。


 私はつむぎの手を握り返す。


「はあ……とは言っても緊張する。前につむぎが私の嘘を受け入れてくれるって言ってくれたし、私もそれを信じているけど、やっぱり、怖い」

「……怖いっていうのは?」

「つむぎに嫌われて絶交されたり、また私のそばからいなくなられたりしないかなって、不安になる。……ごめんね、信用してないわけじゃないんだけど私、まだあのことを引きずってて」

「それを覚えていないつむぎに責任はないから、当然つむぎは悪くないのに。それに、私を頼らないでいきなり姿を消すのもつむぎの自由だし」


 私は今日の講義内容を思い出す。


 犯罪は、悪いことは、その悪いことをした人に責任がなければ責めることはできない。

 

 つむぎは地面に視線を落としてから、私の方を向いた。


「――私は、瀬梨香にそんな思いをさせたこと、私が覚えていないからって責任を感じないなんてことできないよ。私がしたことに変わりはないから」

「そっか……つむぎは優しいね」


 つむぎはふるふると首を横に振った。金色の髪が街灯に照らされてきらきら揺れる。


「瀬梨香、約束したい」

「約束?」

「うん。約束」


 つむぎは小指を私にちょこんと差し出した。


 明らかにつむぎの目の色が変わる。

 私は息をのむ。


 つむぎがこうなる――何か覚悟を決めたような表情をするときは、いきなり積極的になるときだ。

 前に「私のこと好き?」とつむぎが聞いてきたときも、「恋人になってください」とつむぎが提案したときも、「キスしてもいい?」と聞いてきたときも。いつも必ず。


 やっとその予兆を汲み取ることができるようにはなってきているものの、つむぎがどんなことをするかは分からないから、そのたびに私は心臓が暴れ出しそうなくらい苦しくなる。


「私、もう瀬梨香のそばからいなくなったりしない。これは瀬梨香のためでもあるし、私のためでもある。私も瀬梨香のそばにずっといたいって思うから」

「! ……うん」


 やばい。


 私は涙腺が崩壊しそうになるのを感じる。目頭がじんわり熱くなっていく。


 私はこれまで、感動する映画やアニメを観て人並み程度に感動したことはあったものの、涙を流すほど感情を揺さぶられたことはなかった。子供の頃はそのことについて、「成長したら、大人になったら分かる」と大人に言われ続けていた。そろそろ20歳になろうとする私は結局まだ分かっていない。


 けれど、私はつむぎにこういうことを言われるたびに簡単に泣きそうになる。というかいつも泣かされている。


 つむぎの言葉はいつも、私にとってどんな作品よりも私の心を揺さぶる特別なものだ。私の涙腺はそんな特別なものにあまりにも弱すぎる。


「だから瀬梨香、約束する。私、瀬梨香ついた嘘がどんなに酷くても、私は瀬梨香のそばにいるよ」

「つむぎ…………」


 ああ、やっぱりだめだ。


 私は涙で視界がぐちゃぐちゃになる。それでも私は必死につむぎの目を見た。


「約束するから瀬梨香」

「うっ、うん」

「キス、してもいい?」

「……はえ?」

「な、な、ななななんで!?」


 涙が零れそうになったところで、つむぎの突然の提案に涙が引っ込んだ。


「えっ、だって瀬梨香が前に嘘のことを言うって約束したときに私とキスしてくれたから」

「いっ、いやまあ、そ、そうだけどここ外だよ!?」


 そう、ここは外だ。


 確かにここは、大学から離れたあまり人の来ない公園だけれど。こんなところでキスをするのはいろいろとよくない気がする。


 あまりに大胆だと思う。


 いや私がまじめすぎるのか、つむぎが大胆すぎるのか、今の私には判断ができないはできないのだけれど。


「誰も来なさそうだし、それに、瀬梨香けっこう人のいた大学の中なのにぎゅってしたよ……?」

「あ……。それを言われると何も言い返せない……」


 つむぎのまつ毛が瞳に影を作る。つむぎは唇を舌で湿らせた。


 その動作に、心臓が強く跳ねた。


 つむぎの小指がそっと絡められる。私は諦めて、つむぎを見る。つむぎの瞳には、私だけが映っている。


「せりか」

「つ、むぎ」


 つむぎの優しい金木犀が近づいて、つむぎの手が私の頬に触れる。


 高鳴る心臓の音が酷くうるさい。


 つむぎと私の白い吐息が、混じる。


 つむぎのもう片方の手が私の腰に回されたのを感じて、私は目を閉じた。

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