星座を辿って
第27話
「えー、それでは例のごとく議論をしていただきます」
いつもの刑法の講義。そしていつもの議論の時間が始まった。私は窓の方を向かない。
瀬梨香は今日、この講義を欠席した。
私は昨日の夜の記憶を辿る。
**
「私、瀬梨香のことが好き」
「……」
「瀬梨香?」
「……つむ……ぎ」
「え……? わっ」
瀬梨香は私の肩に自分の全体重をかけて倒れこんだ。
瀬梨香の名前を呼んでも、体をゆさゆさゆすってもなんの反応がない。その代わりに、微かに瀬梨香の寝息が聞こえてくる。
「寝ちゃった……?」
私は瀬梨香の肩甲骨のあたりに手を回して、瀬梨香を支える。
「泣き疲れたのかな」
瀬梨香の涙で濡れた肩が少しだけ冷たい。
笑みが勝手に漏れる。
やっぱり、瀬梨香は可愛い。
瀬梨香とキスをしたことで心臓がどくどくとうるさいのと同時に、瀬梨香が愛おしいという感情も、私の中で大きくなっていく。
これがきっと、瀬梨香が私にずっと抱いてくれていた特別な感情と、同じ気持ち。
私は瀬梨香のことが好き。
やっぱり私は、瀬梨香のことが好きなんだ。
「よしよし」
私は瀬梨香が起きるまで頭を撫でることにした。
それから数分経つと、瀬梨香の体温で、触れていた耳と肩がだんだん熱くなっていく。瀬梨香の呼吸も浅い。
「瀬梨香?」
瀬梨香は呼んでも返事をしない。
「瀬梨香」
「はあ、つ、つむぎ……」
「瀬梨香!?」
私が瀬梨香をぎゅっとしていたのをほどくと、瀬梨香は目を覚ました。
瀬梨香を見ると、瀬梨香はこれまでにないくらい真っ赤になっていて、ひどく汗をかいていた。私は瀬梨香の額に手を当てる。すごく熱い。
「ひ、ひどい熱……ベッド行くよ? 瀬梨香、立てる?」
「ご、ごめ、なんとか」
私はぐらぐら歩く瀬梨香を支えながら、自分の部屋まで連れて行ってベッドに寝かせた。
「ありがとう、ごめん、きょうはもう、うごけそうにない」
「謝らないで、今日は私のベッドで寝て?」
「でもつむぎ、ねるとこ、ない」
「ソファで寝るから気にしないで」
「……ありがと」
瀬梨香は呼吸が安定していって、眠りについた。
私は瀬梨香の寝顔を見て、ほっと溜息をつく。
私は全く人と関わってこなかったから、まして看病なんてまったくやったことがなかった。
それに、前から風邪を引かなかったらしい私は、おでこに貼る熱を冷ますシートや、風邪薬を常備していない。
「どうしよう……」
とりあえず、濡れタオルを瀬梨香のおでこに――。
「…………つむぎ?」
「!」
私が立ち上がろうとしたところで、薄く目を開けた瀬梨香と目が合う。
「どこ、いくの?」
「瀬梨香のおでこに乗せるタオル取りに行こうと思って」
「だめ」
「え?」
「いかないで、ほしい」
瀬梨香の声はか細くて、今にも消えてしまいそうな声調だった。瀬梨香は弱く私に訴える。熱くて汗ばんだ手で、瀬梨香は私の手首を握った。
「わたしのそばにいて、つむぎ」
「! ……」
瀬梨香の話によると、五年前私は瀬梨香の前からいきなり姿を消した。瀬梨香に何も伝えずに、突然。
瀬梨香本人も言っていたように、瀬梨香はそれがショックで、トラウマで、怖くて、ずっと引きずり続けている。
私はそのことを覚えていないけれど、瀬梨香に深い傷を負わせたのは紛れもなく私だ。
だから、私にできることなら。そして、瀬梨香が望むことなら、何だってしたい。
「うん。分かった。どこにもいかない」
五年前の私が瀬梨香にしたこととは違って、私は瀬梨香の手を握り返す。
瀬梨香は安心したようにまた、ゆっくり目を閉じた。
私は立ち上がろうとして立てた片膝をしまって、もう一度カーペットに座った。
**
こうして瀬梨香は熱を出したからこの講義を欠席していて、今も私の家で休んでいる。朝になっても熱が下がらなかったから、私はこの講義を一人で受講していた。
今朝瀬梨香に「私も欠席してそばにいる」と伝えたけれど、瀬梨香は「つむぎは普通に大学に行って」と頑なに言われ、私はいつも通り登校した。
それに、瀬梨香に「つむぎに風邪移したら嫌だから」という理由で、私は自分の部屋にほとんど入ることができなかった。
心配になる。
風邪を引くと、特に一人だときっと結構心細い。瀬梨香には私が植えつけてしまったトラウマがあるとはいえ、タオルを持ってくるほんの一瞬だけでも私の腕を引っ張るほどだった。
大丈夫かな、瀬梨香。
「せりか」
講義室の喧騒が、私の好きな人の名前を溶かす。
瀬梨香の看病で手いっぱいだったけれど、思い出すと顔が沸騰しそうなくらい熱くなる。
昨日の夜、私は瀬梨香にキスをして、瀬梨香のことが好きって自覚して、瀬梨香に好きだと伝えた。
瀬梨香の潤った唇の感触、赤くなった目、瀬梨香の石鹸の香り、熱、しょっぱさ。瀬梨香の表情。
「っ〜〜……」
心臓が強く跳ねて、苦しくなっていく。
やりすぎたと思う。
大学の外で子供みたいに泣きじゃくる瀬梨香を見て、私は瀬梨香のことを可愛くて、愛おしいと思った。
涙をきらきら浮かべながら私に抱きつく瀬梨香が、可愛いと思った。
瀬梨香は私に、大好きって言った。
私の家でも泣いた瀬梨香が、可愛いと思った。
そして、募った愛おしさで胸がいっぱいいっぱいになった私は、瀬梨香とキスをしたいと思った。
けれど、瀬梨香からするという約束を破ってまでしたことは、流石に反省している。いくら何でも私が勝手に動きすぎた。
心臓がうるさくて、苦しくて、モヤモヤして、ドキドキする。
瀬梨香に会いたい。
瀬梨香のことが好き。
そんな気持ちが、瀬梨香が選んでくれたピンクゴールドの時計の針の動きを、余計に遅く感じさせていた。
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