第25話
「瀬梨香っ」
「どうしたの、つむぎ」
「その……」
「ん……?」
私はだんだん涙が引いてきて周りが見えるようになってきた。すると、結構人通りが多い、大学のメインストリートに私たちはいて、通り過ぎるほとんどの人が私たちを刺すような眼差しで見ていた。
「あ……」
同時に、私がしたこと全てを思い出す。
「あ、ああ……」
なんてことをしたんだ。というかしているんだ私は。
私はいてもたってもいられなくなる。今すぐここから逃げ出して、北海道に帰省してしまいたい。
「あ、あの、そのつむぎ」
「と、とりあえず私の家いこ?」
「は、はい……すみませんつむぎさん……今日もお邪魔します」
「は、はい」
私はつむぎの手を引っ張って、つむぎの家へ駆け足で向かった。
「はあ〜……」
私はつむぎが注いでくれた麦茶を一気に飲み干して、大きく息を吐いた。
「ごめんつむぎ、私周りがまっったく見えてなかった」
「恥ずかしかったけどだいじょうぶ……瀬梨香でもそうなるとき、あるんだね」
「私なんて、いつもこんな感じだよ」
つむぎのことになると。
つむぎは「そんなことないよ」と否定して、苦笑いを浮かべた。
「さっきは本当に取り乱してごめん。つむぎが私を必要としてくれているって分かって、嬉しくて……」
私はまた、目頭が熱くなっていくのを感じる。
私はつむぎが私に何も頼らずに姿を消したことをずっと引きずり続けていた。つむぎにとって、私は特別じゃないのかなって。
でも、今は違う。
つむぎが私を必要としてくれているということ。つむぎが私のことを、私と特別の意味が違ったとしてもそう思ってくれていること。
それが私にとって何にも変えがたいほど嬉しいことで、幸せなことだった。
私を必要としてくれているのは記憶をなくす前のつむぎではなくて今のつむぎだけれど、つむぎであることに変わりはない。
「それにしてもやり過ぎた……わーーっ!」
「せ、せりか!」
ゴン。つむぎのテーブルに思いっきり頭をぶつけた。
「いた……」
「瀬梨香!?」
私はさっきの自分の行いを思い出す。
つむぎを抱きしめて。好きだと伝えて。私のことを好きかどうか聞いた。
「……」
やり過ぎだと思う。
つむぎと一週間会ってなかったことと寝不足に加えて、つむぎに必要とされていると分かった途端に私のブレーキは壊れて、理性はどこか遠くへ行って、しかもアクセルを全力で踏みしめてしまった。
「しかもちゃっかり二文字から三文字になったし……」
「せ、せりか。落ち着いてっ」
私は顔を上げる。でも目の前のつむぎは見ない。というか見ることができない。
私はつむぎの胸のあたりを見てつむぎと会話することにした。
「うう……泣いて頭ガンガンするから、少し休んでもいい?」
「うん。いっぱい休んでいいよ」
「ごめんね。ありがとう」
私はテーブルに伏せる。テーブルに使われている木材がひんやりしていて、気持ちいい。
「私のベッドで寝る?」
「…………いい」
今の私なら、また何をしでかすか分からないからやめておいた。
私はつむぎの家に何回かお邪魔させてもらっているけれど、決してこの空間に慣れたわけではない。
今も少しの緊張と、つむぎのことばかり考えてしまうことで息が苦しい。
「瀬梨香、そのままでいいから聞いて」
「! ……うん」
つむぎの方へ伸ばしていた手に、やわらかくて温かい感触が伝わってくる。つむぎの手だ。
「私、瀬梨香のことがよく分からない」
「え……?」
体はテーブルにくたりと伏せたまま、私はつむぎを見上げた。
「私、瀬梨香のこと特別な人って思ってるし、瀬梨香に好きとか特別って言われたらすごくドキドキするし、瀬梨香に特別って言うときもドキドキする」
それってやっぱり。
私が目も当てられないほど自意識過剰なことを言おうとしたところで、つむぎが「でも」と言ったから、私は寸前で言葉を飲み込んだ。
「その特別が瀬梨香のことを好きだってことに繋がるかは、分からない」
つむぎは一瞬だけ目を逸らして、また私を見た。不意に、視線がぶつかる。
「私は瀬梨香のことが好きだし、特別な人だと思う。思うけど、この二文字の気持ちが瀬梨香と同じ意味か分からない」
「……前にも言ったように、好きっていろんな意味があるもんね」
つむぎは小さく頷く。
「瀬梨香は、どうやって私を好きになったの?」
私は好きな人から視線を外して窓の外へやる。真っ暗で、雪は降っていない。
「大きなきっかけとかはなかったよ。私とつむぎは仲が良くて、学校のない日もほとんど毎日ずっと一緒にいてさ。一緒に過ごす中で、私ですら気づかないうちにだんだん、徐々につむぎに惹かれていて。気づいたらつむぎのことが好きになってた。だからいつから好きだったのかは覚えてない」
ちらりとつむぎを見ると、つむぎは私をじっと見ていた。私は頭を下げて、自分の腕に顔を
「でも、つむぎのことを好きだって気づいたときのことはよく覚えてる。お風呂に入ってるときだった。お湯の中で頭がふわふわして、ぼーっとつむぎのことが勝手に思い浮かんで、つむぎのことばっかり考えて。それが苦しくて、モヤモヤして、ドキドキして」
「そのとき私、つむぎのこと好きなんだって思った。そして、それがすごくしっくりきた。これがずっと抱えていた気持ちの正体だったんだって」
私は体を少し起こして、手を伸ばす。
触れるか触れないかくらいの強さでつむぎの胸に指先を当てる。
「つむぎも、つむぎのここもそんな感じする? もししてたら私、嬉しすぎてまた泣く」
していなかったら、私はつむぎをそうさせる必要がある。
もし、つむぎが私のことを好きなら嘘を告白して、好きじゃないなら嘘を隠そうと一応思っていた。
全くもって冷静じゃなかったけれど、だから私はつむぎに私のことを好きかどうか聞いた……ということにしておく。
「私は瀬梨香に好きって言われると、そんな感じに、なる。なんだか苦しくて、温かい感じ」
「! ……うん」
「それに気づいたら瀬梨香のこといっぱい考えたりするよ? でも……やっぱり分からない」
「そっか」
つむぎのその答えは予想通りで、私はそれが少しだけ残念だった。
やっぱり私の勘違いで、妄想かもしれない。
「教えてくれてありがとう。私の聞きかたが悪かったよね、好きかそうじゃないかなんて二択にしちゃって」
そう言ったものの、それによって私はまだ嘘を告白するかどうか決めることができない。
つむぎは私のことを好きじゃないうちには入るから嘘を言わなくてもいいように思えるけれど、もしかしたらつむぎの私に抱く感情が好きなのかもしれないという私のささやかな願望、勘違い、あるいは妄想を捨てきれずにいた。
「ううん。私も、分からないなんて曖昧に言ってごめんね」
「いいの。つむぎはつむぎのままでいてくれれば私は、それだけで嬉しいから」
「……やっぱり、瀬梨香は優しい」
また、つむぎに優しいと言われた。
私はつむぎに恋人だったなんて嘘をついた最低な人間で、つむぎにキスをしようとした最低な人間で、つむぎに隠れてひっそりつむぎのにおいを嗅ぐ最低な人間で、無理やりつむぎを抱きしめるような最低な人間なのに。
「……」
今改めて思い返すと、私はとてつもなく最低な人間だと思う。
「私は優しくないよ」
「優しいの。優しすぎるよ、瀬梨香は」
「えっ?」
つむぎの少し強い声にびくりと背が震える。
つむぎに握られていた手がきゅっと結ばれた。
「瀬梨香は私のことを考えていろんなこと我慢してくれてるんだよね?」
「我慢……? 私は何も――」
「私は恋人だったんだよね、瀬梨香の」
「っ……」
「……うん」
私はまた、罪悪感が雲のように心を覆い尽くしてしまうような感覚に襲われる。
つむぎが私の嘘を信じきってしまっていることも、私にとってあまりにも心が痛い事実だった。
「私は瀬梨香になら、瀬梨香となら、恋人がするようなこともしてもいいって思ってる」
「えっ?」
「瀬梨香にも我慢させたくないし、私も瀬梨香のことを好きな気持ちを思い出したいし、私は瀬梨香への気持ちをはっきりさせたい」
「もし思い出せなかったり、瀬梨香への気持ちが瀬梨香と同じじゃなかったとしても、私の記憶関係なしに、こんなに私のことを好きでいてくれる人の気持ちに心から応えたいって思うの」
「つむぎ……」
つむぎはやっぱり、流れ星みたいだ。どこまでも綺麗で、私の真っ黒な心を裂いていく。
「だから私は、あの日の続きがしたい」
そしていきなり積極的になるから、距離の詰めかたが全く予測できない。
「キスしてもいい? 瀬梨香」
私はつむぎから、一瞬たりとも目を離すことができなかった。
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