夢と記憶、そして嘘

第22話

「つむぎー」


 私の目の前にいる初恋の人で、今も好きな人、星波つむぎはここではないどこか遠くを見ている。私が呼びかけても心ここにあらずで、ぼーっとしている。


「つ、む、ぎ」

「あっ、ごめん、ぼーっとしてた」


 私がつむぎの柔らかい頬を指でつつくと、ようやく意識がこっちに戻ってきた。

 つむぎと再会して二ヶ月。この月日の中でこんな風につむぎがぼーっとするのは初めてのことだった。


「珍しいじゃん。なんか分からないところでもあった?」

「ううん。ほんとうにぼーっとしてただけ。大丈夫だよ瀬梨香」

「ゔっ……そ、そっか」


 つむぎはまたノートパソコンの画面に向かった。

 つむぎの方はたぶん敬語をやめて私の名前を呼ぶことに完全に慣れたように思える。その一方で、私はまだ瀬梨香と呼ばれることに慣れていなかった。


 前は普通に呼ばれていたのに。


 私は自分のうるさい心音を聞きながら、来週までのレポートを終わらせるためにキーボードを叩く。そんなに厄介なものでもないからすぐに終わりそう。私はテーブルの上の麦茶を飲んだ。



 二千字書いたところでつむぎの方を見ると、つむぎはまたぼーっとしていた。そんなつむぎも可愛いは可愛いのだけれど、流石に心配になる。


「つむぎ」


 つむぎから返事はない。


「つむぎー」


 また返事はない。私は溜息をつく。


「えい」

「あっ」


 私はつむぎのノートパソコンを勝手に閉じた。つむぎはようやく私を見る。


「やっぱり疲れてるでしょ。いったん休憩にしよ?」

「疲れては、ない」

「じゃあどうしたの?」

「うーん、大丈夫」

「やめてよ」


 びくっとつむぎの姿勢が伸びる。

 自分が思っていたより、低い声が出てしまった。


「あ、驚かせてごめん……。私、つむぎが私に何も言わないで私から離れたときのこと、けっこう引きずっててさ……。だからどんな些細なことでも言ってほしい」

「……言いたくないことなら、そう言ってくれていいから」


 本当は言いたくないようなことでも教えてほしい。けれど、つむぎにだって誰にも知られたくないようなことの一つや二つは絶対にある。そこまで無理に詮索はしたくない。

 つむぎはうつむいたまま、ゆっくりと口を開いた。


「夢を見たの」

「夢?」

「うん。瀬梨香の夢」

「えっ」


 私の?


「それ、どんな夢だったの?」

「雪が降っていて、オレンジ色の街灯の下で瀬梨香? と話す夢だった。場所は全く知らないけど、どこか見たことがあるような気がした。あと、瀬梨香っぽい子がもし瀬梨香なら今より幼かった」


 それって――。


 あのときの夢と、記憶を思い出す。雪の降る外で、つむぎと見えない天体を観測する夢。


「つむぎの記憶?」


 つむぎは「たぶん」と小さく言って頷いた。


「その夢とほとんど同じ夢、私も見る」

「瀬梨香も?」

「うん。これは私が中学三年生のときの記憶に基づいた夢なんだよね。つむぎとの最後の記憶」

「私との、最後の記憶……」


 でも、どうしてつむぎがそこの記憶を思い出して夢に見たのだろう。

 私と関わるようになったからだろうか。

 あるいは私みたいにそろそろ冬になるから見たのだろうか。

 私に関しては一番新しい記憶だからだろうか。

 つむぎは首を傾げて、あごに手を当てた。


「ほんとうに私の記憶なんだ。不思議な夢だったからはっきりそうだとは思えなくて……」

「夢ってけっこう変な内容になるよね。不思議ってどういうところが不思議だった?」

「雪が降ってるのに瀬梨香と、たぶん私も星を探してた」

「それは私も同じ。天体観測するって決めた日に雪が降ったんだよね。北海道だからよくあった」

「! じゃあそれは普通なのかな? あっ、あとね、」

「瀬梨香が泣いてた」

「え?」


 私が?


 私はつむぎの言葉を聞いて、夢とその前後まで思い出す。私の記憶ではあの日、学校が終わって、つむぎとそのままいつものように天文台に行って、私がつむぎに好きって言えなくて、家に帰ったはず。


「――あれ?」


 どこにも、私が泣いたという記憶はない。


「……瀬梨香?」

「あっごめん。なんかつむぎの記憶とかみ合わないところがあるなって。私の記憶では私は泣いていなかったし……。記憶も薄れていくものだし、夢だからきっとお互い脚色が入ってるんだね」

「うん、私もそう思う。私、瀬梨香の泣いてる顔がすごく印象に残ってて、どうして泣いてるのかなとか、私が前に瀬梨香に何かしたのかなって考えちゃってた」

「……そっか。もしかしたら私が忘れているだけかもだし分からないけど、何が本当かはいまいち分からないね」

「うん。だからなんか安心した! ありがとう、瀬梨香」

「こちらこそ教えてくれてありがとね。つむぎ」


 つむぎは頬にえくぼを作った。私も頬が緩む。


 その反面、胸の奥がぞわぞわする。


 洋食屋さんでつむぎの記憶に関する話を聞いたときは、つむぎの記憶は戻らない可能性の方が高いというニュアンスを感じ取った。だから私はつむぎの記憶が勝手に戻らないものだと思い込んでいた。


 実際、つむぎは夢を見た。

 自分の中に残る、記憶と結びついた夢を。


 本当は心の底から嬉しいことで、喜ぶべきなのだと思う。


 けれど。


「恋人だったんだ。つむぎの」


 私はつむぎについた嘘を思い出す。つむぎが記憶を取り戻してしまえば、私の嘘がばれてしまう。そうすると「星波つむぎと星空瀬梨香の関係」は名前がつくどころかつむぎの一存で簡単に終わってしまう。私は素直に喜ぶどころか、むしろ怖さが勝った。勝って、しまった。


 つむぎは私が嘘をついたことをきっと許してくれるのに、私はつむぎが許してくれなかった可能性ばかり考えて怖くなってしまう。


 最低だ。


 そんな自分勝手な自分を酷く辟易する。

 記憶が戻れば、元の生活を取り戻してつむぎは人と上手く関わることがまたできるかもしれない。人と関わっていく中で、誰かを好きになることだってあるかもしれない。それはつむぎにとってすごくいいことなはずで、つむぎの両親だってそれを望んでいることだと思う。

 

 けれど、そこに私はいない。そしてそのつむぎの好きになる相手は私じゃない。

 

 それが、すごくすごく嫌だ。


 私は痛む胸をどうすることもできないまま、ノートパソコンを閉じる。


「休憩しよ、つむぎ。ソファに座ってもいい?」

「うん。私もそうする」


 私はつむぎが先に座るのを待ってから隣に座る。つむぎの家の窓は大きくて外がよく見える。雪は降っていない。


 冬なんて、始まらなければいいのに。

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