第21話

「ただいま」


 私は靴を脱いで、洗面台で手を洗って、ウォークインクローゼットの部屋でコートを脱ぐ。


 二人で学食のうどんを食べた後、星空さんと解散して三限、四限を受けて、特に星空さんと会ったりお話したりしないで私は家に帰ってきた。


「ふう」


 私はコートを掛けて、そのまま自分の部屋に向かってベッドに腰かけた。


 まだ、ドキドキしている。


 今日は星空さんをたくさん瀬梨香と呼んだ。それに敬語だって使っていない。

 しかも星空さんに好きとは言われていないけれど、それと近い……ほぼ同じことを言われた。


「つむぎは特別だから」


 星空さんの少し低い声が頭の中で再生された。


 特別という言葉に、胸が苦しくなる。


「……星空さんから連絡きてないかな」


 私はテーブルの上の携帯を開く。アイコンの右肩に赤い点はついていない。


 星空さんからのメッセージはない。


 私は溜息をついて、ベッドに倒れる。ぼふっと音が鳴った。


 漠然と、ただ星空さんに会いたい。

 会ってどんな些細で他愛のないことでもいいから、いろんなことをお話したい。


「つむぎは一人暮らししてて寂しいなって、孤独が嫌だなって思うときある?」


 洋食屋さんでの星空さんの言葉が浮かぶ。

 大学から一人暮らしを始めて、友だちもいないから、ほぼ二年の間家族以外で人と関わることはなかった。

 だから寂しいとか、孤独が嫌だなんて思うことはなかった。そういうことに慣れていたから。


 でも今は違う。


 ちょっぴり寂しいし、孤独だと思う。けれど誰だっていいわけじゃない。そんな寂しさや孤独を埋めてくれる相手は星空さんが、いい。


「ううん」


 瀬梨香じゃないとだめだ。


「……瀬梨香」


 私は星空さん……瀬梨香の名前を呟く。

 瀬梨香のことを考えている時間が明らかに増えていると思う。

 瀬梨香のことを考えていた前は、自分は何を考えながら過ごしていたのか分からない。それほど私の中で瀬梨香の存在が大きくなっている。


「好き」


 なんとなく、その二文字を声に出してみる。瀬梨香が私に伝えてくれた、特別な気持ち。瀬梨香が言うのとは違って、私が言っても心臓が締めつけられるような、優しくて温かい感じはしない。

 やっぱり瀬梨香に好きだと、特別だと言われて瀬梨香と同じ意味で「私も好き」と言えないことに申し訳なく思う。


 もしも私が五年前の記憶を取り戻したら、私は瀬梨香に好きと言えて、恋人になれるのかな。


「瀬梨香、好き」

「好き」


 気持ちが乗っているような、乗っていないような私の言葉は、意味を持たないように感じた。まるで雲みたい。


「せりか…………」


「……」

「……」

「…………んぅ、あれ?」


 ここは、どこ?


 気がつくと私は雪の夜の外にいた。ふわふわした雪が、空からゆっくり落ちてきている。吐く息が目の前のナトリウムランプを淡くぼかしていく。

 寒くもなくて、冷たくもない。

 耳鳴りするほど静かで、音がない。

 

「どこだろう」


 全く知らないところ、のはずなのにどこかで見たことあるような気がする。


「つむぎ」

「え?」


 聞きなじみのある声がして振り返ると、一人の女の子が立っていた。整っていて、少し幼い顔に長い黒髪。見慣れない制服のスカートがダッフルコートの下から膝まで伸びている。


 私は、この子のことを知っている。


「せり、か……? ねえ、瀬梨香だよね?」


 私が心当たりのある人の名前を呼ぶ。

 目の前にいる瀬梨香はダメージ? を受けなかった。


「つむぎ、星なんてどこにも見えないよ」


 瀬梨香が首を傾げたのを見て、私は夜空を見上げる。星は見えなかった。

 だって雪が降っているから。


「ねえ、瀬梨香――」

「……はっ」


 私が瀬梨香に聞こうとしたところでばちっと目が開いた。一瞬で風景が見慣れた私の部屋に変わる。


 どうやら、横になっているうちにいつの間にかうたたねをしていたみたい。


「……なんだか、不思議な夢」


 既視感が、私の胸をざわつかせる。


 あの夢はきっと私の記憶だ。


 五年前の私から消えてなくなってしまった記憶。


 私の知らない場所と、私の知らない瀬梨香……たぶん瀬梨香の幼い姿から考えて、記憶が夢となって現れたのだと思う。


 けれどその記憶と思われる夢には、不思議なところがある。

 一つは雪が降っているのに二人で星を探していたこと。そしてもう一つは――。


 瀬梨香が、泣いていたこと。




冬が始まる おわり

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