第16話

 現在の技術では、流星群の飛来のタイミングはおおよそ予測できる。

 それとは違って、一人ぼっちの流れ星はいつも飛来するタイミングを予測できない。みんないつ来るか予測できずに、突然急接近してくる。


 つむぎは積極的すぎると思う。


 確かにつむぎは記憶を失う前は積極的だったからそこは変わっていない。けれど、前と違うところは、人とあんまり関わっていないというところだ。

 人との関わりかたが分からないから、適度な距離の詰めかたも分からなくなっているに違いない。


 いきなり「好き?」とか「恋人になってほしい」って聞いてくるのは、いくら何でもやりすぎだと思う。


 私はそんなことを考えながら、つむぎの部屋のベッドに横たわっていた。つむぎが困ったように、心配しているように私を覗くから、視界が白い天井からつむぎでいっぱいになった。


「あ、あの大丈夫ですか……?」

「うん、だいじょうぶ……いたた」


 私が体を起こそうとすると、頭が鈍く痛んだ。私はぶつけたところを手でおさえる。


「痛むんですか!?」

「まだちょっと痛むかな。でも、だいじょうぶ」


 頭は大丈夫だけれど、は大丈夫じゃない。


「私の恋人になってください」


 数分前、つむぎにそう言われた私は驚きすぎて体をのけぞり、その勢いで椅子に座ったまま真後ろに転げ落ちて後頭部を強打した。気を失ったり出血はしてないものの、けっこう痛かったのでつむぎのベッドで休ませてもらっている。


 さらに、ここはつむぎの部屋だ。


 玄関やリビングと比較してもありえないほどつむぎのいいにおいがするし、つむぎに再会してから今までにないほどつむぎがそばにいる。加えてつむぎの恋人になってくださいという言葉――。


 私はとても平静ではいられなかった。


「あの……す、すみません! また困らせてしまって」

「いや……今回も驚いただけ。困ってないよ」


 私はつむぎの視線から逃れるように部屋を見渡す。本棚には大学の教科書と一緒に同じ作者の小説が並んでいる。その本棚の上にはアロエが置いてあったり、いい感じの間接照明が置かれていた。私はベッドを手でぐっと押してみる。

 ベッドはセミダブルで、ふかふかする。確実に高級なものだと思う。寝心地が私のシングルベッドとは段違いで、心臓がうるさくなかったらすぐに眠れそう。


 セミダブルなら一緒に寝るには少しだけ狭いかな。私にとっては、これぐらい近い距離感の方がつむぎの体温を感じることができていいけれど。


「……」


 最低だ。


「……つむぎの部屋ってなんだかお姉さんって感じの、落ち着いた部屋だね。私一人っ子だけど」

「そう……ですかね? 私も一人っ子で、しかも他の人の部屋にお邪魔したことないので、よく分かりません……」

「それなら今日お邪魔させてもらったし、今度私の家来る? 狭いよ」

「ほんとうですか? 広さなんて関係ないです。嬉しいです」

「……そっか」


 つむぎが笑う。このあまりに可愛すぎる笑顔を、私以外の誰にも見せてほしくないと強く思う。


「なんだか、不思議な感じがします」

「ふしぎ?」

「はい。自分以外の人が自分の部屋にいるのがなんだか不思議で……両親も入ったことないんですよね」

「そうなんだ。じゃあ私が初めてなんだね」

「はい。星空さんが初めてです」

「……嬉しいな」


 つむぎは足を崩して座りなおす。これまでベッドで見えなかった両手がマットレスの端に姿を現した。


「少し、私の話をしてもいいですか?」

「うん。いいよ。むしろしてほしい」


 つむぎはマットレスに置いた両手を組んだ。いったいどんな話なんだろう。私はなんとなく、崩れていた前髪を整えた。


「高校生のころ、私は記憶がないことで人とうまく関わることができませんでした。勉強とか日常に関する記憶はあるから周りに溶け込めないってことはなかったんですけど、やっぱり初めの会話はどこの中学校から来たのーとか、北海道ってどんなところ? みたいな、過去に関わることがほとんどなので」


 確かに、初対面の人と仲良くなるためには、自分のことを知ってもらう必要があるから、ある程度自分の過去を話す必要がある。その自分の過去の情報を持っていなかったつむぎがコミュニケーションを苦手としてしまうのも無理はない。


 それに、実際つむぎは大学にまで進学している。勉強の知識は残っていることには納得がいった。


「全部の記憶がなくなったわけではなくて、特定の部分の記憶がなくなったんだね」


 私の言葉に、つむぎは静かに頷いた。


「高校生のころの記憶はあるので、大学では人と関わるのは高校生のときよりも簡単なはずでした。でも、人と関わる経験ができなかった私は、そこでも人との付き合いかたが分からなくて……。結局、お友だちはできませんでした」

「大学って、自分からいかないと友だちできないもんね。私は相澤さんみたいなグイグイ来るタイプにたまたま出会えたけどさ」

「はい。だから私は、星空さんと出会えて救われたような気がします。もし星空さんと出会えなかったら、私は人との関わりかたが、この先ずっと分からないままだったかもしれません」

「そうかな? それは少し、大げさだと思う」

「そんなことないです。星空さんは、私にとって特別な人です」

「! っ……」


 つむぎはまた微笑んだ。私は胸が締めつけられる。


 私がさっき話した、好きの意味。


 その人にしか抱かない特別な気持ち。


 つむぎが今、私のことを特別だと言うと、勘違いしてしまいそうになる。


 つむぎが私のことを好きなんじゃないかって。


 けれど、それはない。つむぎは私以外との交友関係はないから、初めての知り合いという意味で特別だと言っているだけだ。そこに恋愛感情はないはず。


 つむぎの発言はさっきからずっと心臓に悪い。


 私が少し目を閉じようとしたところで、つむぎは両手を私の手に重ねた。


「あの、星空さん。私は特別な星空さんの気持ちに応えたいと思うし、星空さんも恋人がいたらその、変な人? に近寄られないと思うんです」

「なので、恋人同士になりませんか」


 私は首だけをつむぎに向ける。つむぎは少し目を大きくして、長い金色の髪を耳にかけた。


「さっきの答えだけど、私はつむぎにそう言われるのはすごくドキドキしたし、つむぎが一生懸命私の気持ちに応えようとしてくれるのはすごく嬉しかった。それに私としても変な人に絡まれなくなるのは楽だよ」


 私の言葉に嘘はない。私はつむぎの提案に対して、本音でははっきりと「はい。私からもよろしくお願いします」と言いたいところだった。


「それなら――」

「つむぎ」


 つむぎはびくっと肩をこわばらせた。

 つむぎがした発言の動機の裏にはおそらく、私の嘘――つむぎと私が恋人だったという嘘が隠れているはず。


 あの嘘できっとつむぎは「突然いなくなっただけでお互い明確に振ったとか振られたがないから、私たちはまた付き合ってもいい」と考えているはず。だからあんな風に言ったのだと思う。

 私の嘘がつむぎの気持ちを歪めているこの状況は流石に許せない。あの嘘がつむぎの言動の動機になっている以上、私はつむぎの提案を受け入れたくても受け入れることができない。


 とはいえ、嘘だったとつむぎに告白する勇気は私にない。

 私はどこまでも臆病で、ずるくて、弱い。


「……」


 私は自分を責める。本当に最低で、わがままで、最悪だと思う。それでも私はつむぎを見る。


「つむぎは私のこと好き?」


 つむぎは私の言葉に一瞬目を大きくしてから、何も言わずにうつむいた。

 それが、答えだった。


 つむぎは私のことを好きじゃない。


 嫌われているとか無関心よりは比べられないくらい良いけれど、分かっていても心が苦しい。胸が痛くて、視界が歪んだ。


「つむぎの提案は本当に飛び跳ねるくらい……後ろに倒れて頭をぶつけるくらい嬉しい」

「でもね? やっぱりつむぎに私と同じ気持ちがないと、対等じゃないと私は受け取ることができないよ」

「対等、ですか」

「うん。私のためじゃなくて、つむぎが私のことを好きになって、『星波つむぎと星空瀬梨香の関係』に名前をつけたくなったときにまた言って?」


 たとえそんな日が来なくて、これがつむぎと形だけでも恋人になる最後のチャンスだったとしても。私はつむぎの気持ちなしにつむぎと恋人になることができないし、そんなことは許されていなかった。


「で……でもっ」


 つむぎは上目遣いで私を見る。


「私たちは恋人だったんですよね?」

「――うん。そうだよ」

「それなら、関係がまた元に戻るだけじゃないんですか?」


 珍しくつむぎが引き下がらなかった。私は奥歯を噛みしめる。


 つむぎは何も分かっていないから、あんなことが言えるのだと思う。


 私は頭の痛みを少し感じながら体を起こしてつむぎに近づく。私がつむぎの手を強く握り返しても、つむぎはそこから動かなかった。


 あまりに無防備だと思う。


「関係だけはね。でもそれがどういうことか分かる? つむぎが私を好きじゃないまま関係が元に戻ったらさ」


 つむぎは少し考えてから、「分からないです」と素直に答えた。


「やっぱりつむぎは何も分かってない。恋人になるってどういうことなのか」

「どういう意味ですか……?」


 頭がぼーっとする。頭を強くぶつけたからだろうか。ここがつむぎの部屋で、つむぎのベッドにいるからだろうか。


 もっともっとつむぎのことしか考えられなくなっていく。


 私は左手でつむぎの髪を巻き込みながら、つむぎのやわらかい頬に触れる。つむぎの体温が、私の気持ちをたかぶらせていく。

 もっと距離を詰める。つむぎと私の吐息が重なって、つむぎが少しぼやけて。私の人生で一番つむぎが近くにいる。


 一人ぼっちの流れ星の急接近は、誰にも予測することができない。


 それは私だけじゃなくて、つむぎも同じだった。


「星空さん……?」


 つむぎは身を引いたりしない。

 やっぱり、つむぎは何も分かっていない。


「恋人になるってことは、こういうこともするってことだよ」

「えっ?」

「星空さ――」

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