二文字の気持ち

第14話

 さっきからつむぎが変だ。


 急に叫んでしゃがみこんだり、急に「星波つむぎと星空瀬梨香の関係」について深堀りしてきたり、それに――。


「あ、どうぞ……」

「お、お邪魔しまーす……」


 急に私を家に招き入れたり。


 つむぎは丁寧に玄関を開けてくれた。私はつむぎの家に足を踏み入れる。


 先週洋食屋さんに行ったときと比べると、つむぎは私との距離をぐっと詰めてくるようになった。私に慣れてきたのだろうか。


 前のつむぎみたいだ。


 記憶がなくなる前のつむぎは距離をぐいぐい詰めてくるタイプで、私はそのつむぎの勢いのままつむぎと仲良くなっていった。

 今のつむぎもだんだん人との、私との関わりかたが分かってきたのかもしれない。

 今日みたいに唐突だと流石に驚きの方が勝つけれど、つむぎが私に積極的に関わってくるようになってくれると私は嬉しいし、幸せだと思う。


 それと同時に、少し不安になる。


 他の人にも積極的になられると困る。


「ただいま」


 静かに玄関が閉まった後、後ろで鍵を閉めたつむぎが言った。


 やっぱり、つむぎもただいまって言うんだ。


 私はつむぎを背に、つむぎの家を玄関から見回す。

 まず、エントランスの広さとか清潔感からして良い物件だろうな、なんて思ってはいたけれど、想像以上だった。


 つむぎの家ははっきり言ってあまりにも広い。


 玄関からすでに天井が高いし、そこからリビングに繋がる廊下も長い。


 私はつむぎの方を向いて、スニーカーの靴紐をほどく。

 私は自分の家では感じられない靴の脱ぎやすさに少し感動しながら、つむぎの赤茶色のブーツの横にスニーカーをそろえて置く。


「……あ」


 立ち上がると、優しくて安心するようないいにおいが鼻腔をくすぐった。


 つむぎのにおいだ。


 つむぎの家だから当たり前だけれど、つむぎのにおいで私は胸がいっぱいになる。


「どうしたんですか? も、もしかして何か変でした?」

「ううん、全然そんなことない。なんでもないよ」


 私はつむぎのにおいがするなんて言ったら気持ち悪がられそうで誤魔化した。


 心臓の拍動がすごく速い。


 においだけじゃない。それなら五年前につむぎの家に遊びに行ったことはある。問題はつむぎも成長していて、この家はそのときよりも落ち着いた、なんというか大人の雰囲気が漂っていることだ。私はそれに伴って、そのときよりもはるかに緊張していた。


 動揺して、外で携帯を落としてしまうくらいには。


 それに、私は五年前つむぎに言えなかったつむぎへの気持ちを紙とはいえ、伝えてしまったこともあって私は余計に平常心を保つことが難しくなっていた。


〈好き〉


 私が書いた二文字が頭に浮かぶ。ますます鼓動が速く、うるさくなる。


 つむぎに「好き?」と聞かれて答えを書いてしまったのはおそらく、つむぎと洋食屋さんの行ったときつむぎから聞いた、つむぎの記憶がなくなったときのことが私の心に残り続けていたからだと思う。


 実際、私は五年前、つむぎに告白しなかったことを後悔していた。


 私がつむぎにたった二文字伝えられていたのなら、私の気持ちが受け入れられなかったにしても、何か変わっていたかもしれない。

 つむぎが私のところからいなくなったりしなかったかもしれない。

 私がそばにいることを許してくれたかもしれない。


 そう考えると嫌われる可能性だってもちろんあったとはいえ、何も分からない今のつむぎにも私の気持ちを知ってほしくなった。


 またつむぎが何かの困難に巻き込まれたとき、今度は私がつむぎの助けになれるように。


 私は高鳴る胸をおさえながら、つむぎのあとに続いて歩く。つむぎがリビングに続くと思われるドアを開く。


「え、ひろ」


 私は自然と声が出た。


 リビングで既に私のワンルームよりも広い。それなのに右手側の奥にもう一つ部屋がある。つむぎの部屋だろうか。

 左を見ると、二人が余裕をもって料理できそうなほど広いキッチンがあった。正面の窓も大きくて、日当たりもよさそうだ。


 確かに星波家はかなり裕福な家庭だったから、いい家に住んでいることは予想はしていた。とはいえこの物件は想像以上だ。すごく綺麗で、すごく広い。


「あ、ハンガーいりますか?」

「ありがとう、借りようかな。つむぎの家広いし綺麗だね、1LDK?」

「いえ、2LDKです」

「広っ」


 私はハンガーにコートを掛けながら驚く。どうやら奥の部屋の他にもまだ部屋があるらしい。コンビニのプリンすら買うのに値段を考慮する私は、つむぎの家賃が気になってきた。


 ……ぶしつけだと思う。


「……もう一つの部屋ってどこにあるの?」

「玄関のすぐ左にあります」

「あ、そうだったんだ。見てなかった」

「その部屋が余っているので、今はウォークインクローゼットにしてます」

「ウォ……」


 私は言葉に詰まる。そんな単語、大学生の一人暮らしの物件で聞いたことがない。私は育ちの違いを嫌でも実感する。


 特に住にこだわりのない私は今のワンルームで不自由なく生活できている。玄関が狭い以外は。

 でもそれは広い家に住めない言い訳みたいなもので、できるなら私もつむぎの家みたいな物件でのびのびと生活してみたい。


「でも、各部屋にクローゼットはあるんだよね?」

「あ、あります。でも、少し狭いです」

「そうなんだ」


 そのスペースでは足りないほど、つむぎは服が好きなのだろうか。


 私はダッフルコートをハンガーにかけて、つむぎの家のリビングをもう一度見渡す。

 2LDKのつむぎのこの家なら、もはや何の問題もなく同棲することができる。そうすればのびのびとした生活と、好きな人との同棲という二つの望みが同時に叶う。

 一緒に寝たいから、ウォークインクローゼットの部屋は私の部屋にせず、そのままでもいいかもしれない、とも思う。そういえばキッチンも二人で料理できる広さだ。お風呂はどれくらいの広さだろう。もしかしたら二人で一緒に――。


「……」


 最低だ。


 少なくてもつむぎは私のことを好きじゃないのに、勝手に同棲生活の妄想をするなんてどうかしている。

 私は360度つむぎのことしか考えられないこの空間に、少しだけめまいがした。


 ここだと妄想があまりにも捗りすぎる。


「あの、お茶入れますね」

「あ、おかまいなく。私水持ってきてるからさ」

「そうですか? ……あの、そこ、座っていいので」

「ありがとう」


 私はテーブルの前の椅子に座った。椅子が三つあるのはきっと、つむぎと両親のぶんだと思う。


 これは妄想じゃないでほしい。


 つむぎは私が「おかまいなく」と言ったのに二つのグラスに麦茶を注いでくれて、私の向かいに座った。つむぎのそういう優しさがとても愛おしく思える。


「なんだか、自分の家だと大学とかと違ってリラックスできて自然にお話できそうです」

「ほんと? それは良かった」


 私は全くリラックスできないけれど。


「来てくれてありがとうございます」

「こちらこそ。こんな素敵な家に誘ってくれてありがとう」


 つむぎが柔らかく笑う。

 私はつむぎの瞳を見ていられなくて、どっちのえくぼを見ていようか迷った。

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