星空さんの好きな人
第10話
星空さんと洋食屋さんでお話をした後、星空さんから連絡は来ることもなく、一週間が経った。今日は星空さんと一緒の講義がある日だ。
少しだけ後悔している。
一回くらい、話しておけばよかった。
私は胸をおさえる。星空さんとお話をするのが何となく気まずい。一週間経ってるし、緊張する。
人とお話をするのは緊張する。特に、自分の話をするとき。相手の人が何を考えているか分からないし、自分の話をするのが怖い。
これをこの人に言っても大丈夫かな、とか、嫌な気持ちにさせたりしないかな、とか、怒られないかな、とか。いろいろ考えてしまう。
大丈夫。大丈夫。
星空さんが何度も言っているように、星空さんは私のことを知りたいはず。
それに星空さんは、こんな私にも優しく接してくれる。
だから、大丈夫。
「いってきます」
私は家を出て、大学へ向かう。
こつ、こつ、こつ。私のブーツの音が秋に反響する。思ったより寒くて、体が震えた。
「恋人だったんだ。つむぎの」
先週の星空さんの言葉が、頭の中でふわりと舞う。
恋人だった。その関係はお互いに好き合っていたということだから、私が星空さんを好きだったみたいに、星空さんは私のこと――正確には私のことではないけれど、まだ好きでいてくれているのかな。
でも、恋人「だった」ってことは、今はもう私のことを好きじゃないって意味かもしれない。五年という月日はそれほど長い。
それなら今の私たちってどんな関係なんだろう。
恋人? 元恋人?
それともお友だち?
星空さんは私に好きと言ったり、その気持ちを伝えるようなことは私にしていない。
五年前、突然消えた私に。
お父さんとお母さんから聞いたから私が星空さんの目の前から姿を消したことは知っているし、その理由も分かる。でもその動機は分からない。覚えて、いない。
もし星空さんが記憶のない私のこと、私が星空さんを好きという気持ちを忘れていることを考えてそういうことをしていなかったのならすごく優しい。それと同時にすごく申し訳ない気持ちにもなる。
でも、そもそも私と星空さんは付き合っていても、好きと伝え合う関係になかったのかもしれない、とも思う。
私はこの五年間で好きな人はできなかった。だから、よく分からない。
好きという気持ちって、恋人ってなに?
前の私は、星空さんに恋をしていたのに。
「ん〜……」
いくら考えてもきっと、答えはでない。
やっぱり、私は星空さんのことをもっと知りたい。
「……あれ?」
私は歩くのを止める。
私は星空さんのことを、どうしてこんなに知りたいんだろう?
あの日もそうだった。初めてではないけれど、一週間前、初めて星空さんと会った日。私はあのとき持てる勇気を全て振り絞って星空さんに連絡をした。こんな、人とうまく関わることのできない私が。
どうしてだろう。
「恋人だったんだ。つむぎの」
星空さんが言った言葉がまた、頭に浮かぶ。
私が星空さんに恋人だと言われたからこんなに星空さんを知りたいと思うのかな。
「……」
それはなんとなく答えに近いようで、遠いような気がした。
急いだって講義が早く始まるわけではないけれど、私は早足で講義室に向かった。
一限が始まる10分前。私は階段を一段ずつ登って、講義室を覗く。10分前でも既に前回より人が多い気がする。
どうしてみんな、初回の講義を休んだんだろう。
「ええっと……」
私の席、どこだったかな。
私は忘れてしまった自分の席を探す。目印となる星空さんはまだいない。仕方なく前に行って黒板に貼ってある座席表を見ることにした。
席は後ろから三番目の、一番左。通路側。
私は自分の座席の位置を確認して、狭い通路を半身になって通る。すると、前から長くて艶のある黒い髪をなびかせながら女の人が歩いてきた。
背は私よりも高くて、160センチくらい。それなのに顔が小さくて、足がすらりと長くて、女優さんみたいなプロポーション。私なんかとは住む世界が違うと感じさせるほど綺麗な人だと思う。
それに、切れ長の目、長くカールしたまつ毛、通った鼻筋、その他の顔のパーツも綺麗で、その全てが完璧な位置に配置されている。
その人は私のたった一人の知り合い――星空瀬梨香さんだった。
……知り合いだと少しよそよそしすぎる感じもする。
今の私は星空さんの何で、星空さんは今の私の何だろう。
「あ、おはよう。つむぎ」
「お、おはようございます」
「タイミング一緒だったんだね」
星空さんが優しく笑う。
「……?」
私は違和感を覚える。
そういえば、星空さんを見てから緊張は全くしていなかった。
うるさい心臓とか、汗ばんだ手とか、焦り、不安。普段人と話すときに感じるいずい感じがしない。
「あっ」
そうだ。初めて話したときもそうだった。この人だけ、他の人と明らかに違うこと。
星空さんとお話するときだけ、私は全く緊張しない。
たとえ覚えていなくても、過去のトラウマやある特定の出来事で体が反応したりすると、お医者さんが言っていた気がする。
もしかしたら体では、心の奥底では星空さんのことを覚えているのかもしれない。
疑ったことは一度もないけれど、この人は前に、本当に私と一緒にいた人なんだなって素直に実感した。
「つむぎ?」
星空さんは首を傾けた。長い黒髪が垂れる。
「なんでもないです」
だからこそ、私と一緒にいたからこそ、知りたいことがある。
「そう? ……この前はありがとう。一緒に夜ごはんを食べに行ってくれて」
「そしてごめんね、つむぎも私に聞きたいことがあったかもしれないのに、私ばかり質問しちゃって」
「あ、い、いえ……星空さんのほうが、私よりもずっと知りたいことがあると思うし」
「……そうかもしれないね」
星空さんはペットボトルの水をかばんから取り出して、そのキャップをぱきりとひねった。のどが渇いているのかな。
「けど、私はつむぎの知りたいことも知りたいよ。私はつむぎのこと全部知りたいから」
「ほ、星空さん……」
星空さんはペットボトルに口をつける。水が傾いて、のどが動いて。そんな当たり前のことが、星空さんだとなんだかすごく絵になる。
「それなら、聞いてもいいですか?」
横目に、星空さんと目が合う。
「星空さんは、私のこと好き?」
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