第8話
メッセージを何度も何度も確認しても、それはつむぎから送られてきたもので間違いなかった。
つむぎからメッセージが来たらな、なんて思っていたけれど、まさか本当に来るなんて。
つむぎは記憶を失ってからは一転してコミュニケーションが苦手になっていた。だからつむぎは、きっとこのメッセージも頑張って、勇気を出して送ってくれたのだと思う。
私と話すために。
「かわいい」
勝手に声が漏れる。
孤独という二文字は薄れていって、別の二文字が私の中で大きくなっていく。
前と変わらず、つむぎは今もどんなことにも一生懸命な子なんだと思う。私はつむぎのそういうところが可愛いと思っていたし、愛おしい。
「よし」
私は勇気を出してくれたつむぎの気持ちに応えないといけないし、応えたい。さっきまでベッドから出たくないとか、頭を休ませたいとか怠惰なことを思っていたのに、嘘みたいに体が軽く感じる。
私はベッドから起き上がる。プリンは帰ってから食べよう。
「あ、そうだ」
つむぎと一緒に夜ごはんを食べに行こう。そうすれば夜ごはん問題も解決するし、少しでもつむぎと長く一緒にいられる。
私は携帯を開いてつむぎにメッセージを送る。相澤さんに申し訳ないとは、思うけれど。
〈連絡してくれてありがとう〉
〈私もつむぎと話したいと思ってたから、すごく嬉しい〉
〈つむぎは今どこにいる?〉
「あっ」
送った瞬間から既読がついた。もしかして待っていてくれたのかな。
けれど、メッセージはなかなか返ってこない。機械音痴だから入力が遅いのか、考えているのか、その両方か。つむぎならどれでもあり得るけれど、どれでも一生懸命なつむぎを想像できて、すごく可愛い。
はやる気持ちを抑えながら待っていると、つむぎからメッセージが返ってきた。
〈ありがとうございます、いま大学にいて、五分くらいで家に着くので、帰ったら電話かけようかなって思ってました〉
「あ、そっか。そうだよね」
てっきり会って話すのかと思っていた。でも、電話は嫌だと思う。つむぎに関わる話は直接会って、つむぎの目を見て話したい。
〈夜ごはんまだだよね?〉
〈私これからつむぎのところに行くから、夜ごはん一緒に食べに行こうよ〉
またしばらくして、つむぎから返ってきた。
〈私のためにわざわざありがとうございます〉
〈待ってます!〉
「待ってます……か」
私はつむぎのメッセージに反応して、携帯をテーブルに置く。
「はあ~~……」
私は両手で顔を覆う。
幸せだ。
私のことを覚えていなくたって、つむぎとこうしてまたやり取りできること。
つむぎと一緒にごはんを食べられること。
そして、つむぎが待っていてくれること。
つむぎとのやり取りが映った画面が熱くにじむ。
悲しいとかさみしいとか、嬉しいとか幸せだとか。いろんな意味で涙ぐんで、つむぎのことをもっともっと考えるようになって。今日の私の感情はつむぎによってぐちゃぐちゃにされっぱなしだ。
けれど、どれだけ感情がぐちゃぐちゃでも、一つだけ確かな気持ちが私の中にあり続けている。
つむぎのことが好き。
五年前からずっと色あせないでいるこの二文字の感情は、私の心の黒に一番星みたくずっと輝き続けていた。
私はぱぱっと準備を済ませてかばんを持って、靴紐を結んで、一人暮らしの家から出る。
「いってきます」
もちろん「いってらっしゃい」は返ってこない。秋の夕暮れは、いつもより肌寒く感じなかった。
いつもの駅を降りてつむぎのところへ向かう。地上へと続く階段を登ろうとしたところで、一番上に長い金髪の子が立っているのが目に入った。
「つむぎ!」
私が名前を呼ぶと、つむぎはこっちに気づいて、深くおじぎをしてから小さく私の苗字を呼んだ。
本当に、つむぎは待っていてくれた。
「おまたせ。駅まで来てくれたんだね、ありがとう」
「お、お話に誘ったのは私なので……」
「うん。誘ってくれてありがとう」
どうしてか、つむぎのすべての行動に「ありがとう」と言いたくなる。そもそも私には生きているかどうかすら分からなったつむぎが、目の前にこうしていてくれるだけですべてに感謝したいとすら思えるからだと思うけれど。
「ほ、星空さんは何か食べたいものがあるんですか?」
つむぎは目を合わせないで聞く。
「う~ん、つむぎとごはんを食べられるのなら何でもいいな。私は特に和食が好きなんだけど、つむぎは何が好き?」
「えっと、私はオムライスが好きです」
「え、そうなの!? ……そっか、そこは変わってないんだね」
つむぎは昔もオムライスが大好きだった。近所のオムライス専門店を二人で通いつめて、王道のものから変わり種のものまで、いろんなオムライスを食べた。北海道にしかないお店だからここにはないけれど。つむぎにその話をすると、不思議そうな顔をしていた。それもそのはずだった。
自分の知らない自分の話をされているのだから。
私は今のところつむぎの両親以外でつむぎの知らないつむぎを知っている唯一の人物だ。しかも両親ですら知らないようなことまで知っている。その意味ではつむぎにとって私は特別なはずで、私と話すのは新鮮なことが多いはずだった。
「じゃあ、食べに行こっか。オムライス」
「全然和食じゃないと思うんですけど、いいんですか……?」
「うん。つむぎの食べたいものが私の食べたいものだから」
つむぎはまた不思議そうな顔を少しだけ見せて、すぐに前を向いた。
「星空さんは優しいです」
「え? どこでそう思ったの?」
「だって、私は星空さんのことを忘れてしまったのに、私と連絡先を交換してくれたり、お話しに来てくれたり……夜ごはんを私の好きなオムライスにしてくれたり。星空さんは優しいです」
「何言ってるの、そんなの当たり前じゃん」
つむぎは驚いたように目を見開いた。その瞳に街灯に照らされた私が映る。
「つむぎは私のことを忘れたくて忘れたわけじゃないし、記憶を失っていたってつむぎは私のかけがえのない人に変わりないよ」
「それに、オムライスだって私も好きだから食べたいだけ」
正確には、大好きなオムライスを幸せそうに食べるつむぎの顔を見るのが、好きなのだけれど。
「あ、ありがとうございます。そう言ってくれて、とっても嬉しいです」
「こちらこそ、また私に会いに来てくれてありがとう、つむぎ」
「はい……!」
つむぎは笑った。久しぶりに見たつむぎの笑顔。その頬には、変わらずえくぼができていた。
眩しくて、胸が締めつけられる。
つむぎの笑顔を、そばでいつまでも見ていたいと思う。
「ここらへん……歩いて3分くらいのところに洋食屋さんがあるんだよね、値段はちょっと高いらしいんだけど、そこでもいい?」
「全然大丈夫です!」
「よし、じゃあ行こう」
「はい!」
私はつむぎより半歩前を歩く。
そういえば、オムライスを食べるのは久しぶりかもしれない、なんて思った。
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