第7話

 結局つむぎに何も連絡しないまま、二限も三限も四限も終わって、家に帰ってきた。あまりに疲れていたせいで、家路が永遠くらい長く感じた。頭も重たい。


「ただいま」


 返事はないと分かっていてもつい「ただいま」と言ってしまう。習慣だからだろうか。もちろん今日も誰もいないワンルームからは何も返ってこない。

 一人暮らしをしていてペットも飼っていない人のうち、どれくらい「ただいま」と言うのだろう。


 そういえば、つむぎも一人暮らししてるんだっけ。


「……つむぎは言いそう」


 ひとりごとは静かにフローリングに落ちていった。私はスニーカーを適当に脱ぎ捨て、冷蔵庫を開けた。


「……あ」


 食材がほとんどない。そこそこ、まあ夜ごはん一食ぶんくらいは冷蔵庫に食材があると思って、コンビニではこのプリンと水以外買ってこなかった。スーパーではなくコンビニを選んだのも失敗だ。


 困った。


 何も作る気にはなれないし、家に着いてしまった以上どこか食べに行く気だってもう起きない。ずっと家のベッドでごろごろしていたい。

 でも、夜ごはんがプリンだけは流石に体に良くないし、おなかがすく。棚に入れてあるカップラーメンの在庫も確実に切らしている。


 こういうとき、一人暮らしは心許ない。


 一人で自由に暮らせる反面、今日みたいに何もしたくない日だったとしても、一人で何もかもやらなくてはならない。家のベッドから一歩も出たくないと思っていたって、自炊に、洗いものに、お風呂掃除に、洗濯などなど。これからやることはたくさんある。


 孤独。その二文字が頭によぎる。


 つむぎに会いたい。


 つむぎと会って、つむぎに癒してほしい。


 でも、今日は頭を休ませたいとも思う。


 つむぎといるとどんどん私の知らないつむぎが出てきて、そのたびに一喜一憂するだろうし、そのたびに考えることが増えていくから、会いたいけれど会いたくない。どう考えてもプリン一つじゃ今以上の脳の容量オーバーをまかなうことはできない。

 そもそも、誘ってもつむぎの予定が空いているのか分からないし、突然誘って困らせてもかわいそうだ。


 ブブブッ。


「!」


 かばんの中の携帯が振動した。もしかして。


 私は急いでかばんから携帯を取り出して、顔の前にかざす。勝手に電源が入って、一件の通知が目に入った。


〈今日これから空いてる?〉


 送り主は相澤さんだった。


「はあ……」


 つむぎじゃないんだ。

 まあそんなわけ、ないよね。


「……」


 最低だ。


 私は携帯のマナーモードを解除してテーブルの上に置く。

 相澤さんは用件を絶対先に言わない。先に言ってくれないと困る。夜に来る相澤さんの誘いは十中八九合コンだから、言わなくても分かるには分かるけれど。

 私は相澤さんからの誘いをいつも適当な理由をつけて断るか、未読にして後から寝ていたことにしている。今日はベッドから出たくないから一番事実に近い後者にしよう。私は携帯をよそに、念願叶ってベッドに寝転がる。それは、夜ごはん問題に目を背けたということも意味していた。


 大学二年生は大学生活にも慣れてきて、みんな遊び始める。それに伴ってサークルの飲み会とか、合コンみたいな出会いのイベントが大いに盛んになる。

 けれど、大学三年生になると遊びも落ち着いてみんな彼氏彼女を作ってしまうから、大学二年生では遊びつつ、来年に向けて本命を探しておくことが肝要なのだ。


 ……と、前に相澤さんが力説していた。


 私は相澤さんに人数合わせで誘われていると思うけれど、そういうのに少しも興味なんてないし、恋人だってつむぎしか考えられないし、そもそも合コンは私みたいなまじめが行くような場ではないとも思う。いやむしろ私がいたら盛り下がるのではないだろうか。


 それに、相澤さんやその人たちは私とは逆の考えになっている。


 私はつむぎが好きだからつむぎと恋人同士になりたいと思う。

 逆に相澤さんたちは彼氏、または彼女が欲しいからそういうイベントに参加する。好きな人と恋人同士になりたいわけではなくて、恋人同士になりたいから好きな人、というかそれよりも前段階の「良い人」を探す。


 私はつむぎ以外の恋人が欲しいと思ったことがないから、相澤さんたちの考えかたはよく分からない。いや、よく分からなかった。


 今ならその気持ちは分かる。


 また、孤独という二文字が頭によぎる。

 みんな、自分以外誰もいなくて、静かで、「おかえり」が返ってこないような、そんな孤独が嫌なのかもしれない。

 それで恋人を探しているのなら私も納得はできる。今、ほんの少しだけ相澤さんへの解像度が無駄に上がったような気がした。


 つむぎは?


 つむぎも孤独が嫌だと思っていて寂しさを感じているのなら、私がいつでも、いつまでもそばにいて、その寂しさを埋めてあげたい。


 でも、つむぎはそれを好きな人にしてほしいと思うのだろうか。


 私は丸いクッションに手を伸ばして、ぎゅっと抱く。

 つむぎの連絡先に両親と私以外いないことから考えても、合コンに参加している可能性はゼロと言い切っていい。でも、相澤さんの考えにつむぎが当てはまらないとも言い切れないし、つむぎが孤独を嫌だと感じないなんてこともないだろうし、つむぎに好きな人がいないとも限らない。


 もしも、孤独を埋めるためにつむぎが好きな人や「良い人」を探していたら。

 もうそんな人を見つけていて、恋をしていたら。


「……」


 最悪だ。


 自分で考えておきながら憂鬱な気持ちになる。欲深いとは思うけれど、つむぎに好きな人はいないでほしい。


「……まだ、いないで」


 ピコン。


 机の上の携帯が、振動と一緒に独特な音を鳴らす。私は溜息をつく。どうせまた相澤さんだろう。


「……今日はしつこいな」


 何度頼まれても絶対に参加しないつもりだけれど、私は念のため携帯に手を伸ばす。


「えっ?」


 孤独を主張する私の部屋が、途端に私の心臓の音でうるさくなっていく。


〈少し、おはなしできますか?〉


 一件のメッセージ。送り主はつむぎだった。

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