変わっていないところ、変わったところ

第6話

「はあ~……」


 最低だ。


 溜息をわざとらしく大きく吐く。

 私は二限の講義を適当に聞き流しながら、さっきつむぎと話していたことを思い出す。ノートは真っ白だった。


 恋人だったんだ。つむぎの。


 全くの嘘だ。


 私がなぜかとっさについてしまった嘘が頭の中で反芻する。

 私はつむぎのことが好きだったし、それは今も変わっていない。そこに関しては紛れもない事実なのだけれど、私とつむぎは付き合っていたわけではない。ましてや、つむぎが私のことを好きだったなんて事実はもちろんない。


 あまりに酷すぎる嘘だと思う。


 私は持っていた白いシャーペンを雑に転がして、机に伏せる。

 つむぎの記憶がないことに気が動転していたとはいえ、つむぎが私を忘れていることをいいことに、つむぎの知らない過去を改変するなんて。私は自分を辟易する。


 最低だ。


 誰がどう考えても、人として大切なものが欠如している。


「はっ」


 そうだ。


 私は講義終わりにつむぎと連絡先を交換していた。さっきの嘘をそれで訂正できる。今ならまだ間に合うはずだ。

 私はかばんから携帯を取り出そうとする。


「……いや」


 間に合うわけがない。手遅れだ。


 私は、かばんから取り出した携帯を腕と一緒にだらりと下ろす。

 あのとき動揺していたとはいえ「恋人だった、というのは嘘でした」なんてこれもまたあまりに酷すぎるから、そんなことを言ってしまえばつむぎに確実に引かれ、嫌われてしまう。最悪最速で絶交される。

 せっかくまた出会えたのに、つむぎに距離を取られたらそれこそ本当におしまいだ。


 私は私の記憶よりも大人びた顔になっていた、さっきのつむぎの顔を思い浮かべる。

 私の知っているつむぎは良くも悪くも人のことを疑ったりしなかったし、私の知らない今のつむぎもきっとそうだと思う。初対面ではないけれど初対面の私を完全に信用している様子だったから。


 だからこそ、余計に罪悪感がふつふつとこみあげてくる。


 やっぱり言うべきだろうか。

 でも、言ってしまえばつむぎともう二度と関わりを持てなくなるかもしれない。私はそれがどうしようもなく怖い。


 どうしてあんな嘘をついてしまったんだろう。


「……私のばか」


 誰にも聞こえないようにそっとつぶやく。なんだか今日はプリンを食べたい。カラメルは甘苦くて、上に生クリームがちょこんとのった、少し大きいプリン。


 こんなことを考えるときはたいてい、過度に疲れているときだ。


 今日、というかさっきの一限を振り返る。


 ずっと会いたかった初恋の人、星波つむぎと再会できたこと。

 でも、つむぎは五年前の記憶を何らかの形で失ってしまったこと。

 だから私のことを何も覚えていないこと。

 それでもずっと欲しかったつむぎとのつながりを持てたこと。

 そして、つむぎに恋人だったなんて嘘をうそぶいたこと。


 いろんな新しいことが交錯して、いろんな感情がめまぐるしく変わって。間違いなくこの十九年で一番凝縮された90分だった。

 だから今、私の脳が動かなくなるくらい疲れているのも無理はないし、糖分を欲しがるのも自然だと思う。いや、糖分だけじゃなくて自分のベッドで大の字にもなりたい。気が済むまで。


 私は携帯のロック画面を見る。講義はあと75分もあった。


 つむぎと話していたときはあんなに短く感じたのに。


 そんなことを考えていると、おなかが小さく鳴った。

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