星たちの出会い
第2話
私の最寄り駅は通っている大学の名前が入っている割に、駅から大学は思いのほか遠くて、急いでいても十分はかかる。
そんな微妙に長い通学路は、赤とか黄色にすっかり色づいていて、秋特有の少しだけ切ない空気が漂っていた。
歩きながら今朝の夢、または記憶を思い出す。あの夢――雪の降る外で、つむぎと見えない天体を観測する夢。あの夢を見るのは今日で何回目だっただろう。数えきれないほど、とまではいかないと思うけれど、少なくても冬になる前に必ず一回はあの夢を見るから、もう五回以上は見ていることになる。
憂鬱な気持ちになる。
つむぎとの夢は、私が心の奥にしまっていた感情を無理やり呼び起こして、私につむぎへの気持ちを痛いほど突きつけてくる。
諦めたくても、諦めようと思っても、夢を見続けるくらいつむぎのことが心にこびりついたままだということ。
あれから五年経っているのに、私はまだ初恋を、つむぎのことを諦めきれずにいて、つむぎのことが好きだということ。
そしてそれを記憶の夢によって自覚させられるたび、叶うはずもない恋に囚われている自分が酷くみじめに思えること。
あのとき、つむぎに好きだと言えなかったこと。
分かっている。分かっているはず。
つむぎにはもう、会うことはできない。
「っ……」
心臓が痛みの音を酷く立てる。分かっていても、言葉にすると心の中でも苦しい。
星波つむぎ。
中学三年生の頃の私のクラスメイトで、唯一の親友で、私の初恋の人だ。
違う小学校だったし、中学二年生の頃に同じクラスになるまで全く面識はなかったけれど、私とつむぎは気づいたら仲良くなっていた。
つむぎとたくさんの日々を過ごす中で、気づけば親友とはまた違う、特別な気持ちを私はつむぎに抱くようになっていた。
そして五年前――中学三年生の冬。
あの夢のとおりに私とつむぎが天体観測した日の翌日、つむぎは私の前から姿を消した。
なんの前触れもなく突然転校してしまったのだ。担任からの説明もあやふやで理由も分からなかった。
それに、つむぎは当時携帯を持っていなくて誰とも連絡先を交換していなかったから、私を含めてつむぎのその後を知る人はいない。……つむぎの家も空き家になっていた。だから会うことはおろか、私には生きているかどうかさえ分からない。
でも、二十代の生存率が極めて高いこの国なら生きていると仮定してもいい……はず。もしそうなら、生きているのなら、つむぎは今、どこで、どんな風に生きているのだろう。
私と同じように一人暮らしをして、どこかの大学に通っているのかな。
バイトとか、勉強は? まだ、天体観測が好きなのかな。
恋人は、好きな人は――。
「……はあ」
最悪だ。
意味のないことを考えるのをやめて、深く溜息をつく。見上げると、秋の空は高くて、どこまでも青かった。
私の恋も雪みたいに、春に溶けてしまえばよかったのに。
「あっ瀬梨香じゃん。おは〜」
後ろから軽く挨拶をされる。振り返らなくても誰かは分かるけれど、わざとらしく振り返ってみる。
やっぱり相澤さんだった。
真っ先にこんな風に話しかけてくれるのがつむぎだったらいいのに、なんて思う。
……最低だ。
「……おはよう」
「これから必修? あたしは必修」
「私もだよ、先週休講だったから今日が初回」
「へえ、初回の講義出るんだね。偉いな〜瀬梨香は。あたしだったら初回の講義は切るのに」
初回は出席取られないがちだから、と言いたげな表情で相澤さんは私を見る。
私と相澤さんは学部が違うものの、前期の全学部共通の必修科目でたまたま仲良くなった。
そこから道で会ったらちょっと話をしたり、二人とも二限と三限があるときはたまに学食を食べに行ったりする、くらいの関係性になった。
相澤さんは私のことをどう思っているか分からないけれど、私は自分と相澤さんの関係はいかにも大学生っぽい、友達よりも浅いものだと思う。
「逆に初回の講義が大事でしょ……講義の掴みの部分なわけだしさ? それに、初回から出席取られる可能性だってあるじゃん」
「んー、後からレジュメ見れるし、ノーダメで欠席できるメリットのほうが大きくない?」
「私は相澤さんと違って、単位不認定ぎりぎりまで欠席しないから関係ない。それにそもそも欠席しようとは――」
思わなかった。はずだ。
自分で学費を払っているのなら勿体ないと思うし、親に払って貰っているのならなおさら、講義一回がいくらするかは知らないけれど、全て出席すべきだと思う。
それなのに私は今日、つむぎの夢を見たくて二度寝をしようとした。
大事な初回の講義を欠席しても構わないと思って。
私は相澤さんから視線を外す。
初恋に、つむぎに囚われている自分が本当に本当に嫌になる。
「……とは?」
「……思わない」
「マジメじゃん。知ってるけど」
相澤さんの茶色のセミロングが、熱くも冷たくもない風で揺れた。
「まじめというか、当たり前のことだと思うけど」
「そういうところがマジメなんだよ」
「そう?」
「そ。じゃ、あたし向こうの棟だから、また」
「じゃあね」
正門をくぐったあたりで相澤さんはひらひらと手を振って、気だるげに私の講義室と反対の方向へ歩いていった。
相澤さんも初恋のことを考えたり、夢に見たりするだろうか。
私は落ち葉を踏みながら講義室へ向かった。
私は階段を登りきって講義室を覗く。一限、それに初回の講義ということも相まって、棟でいちばん大きな講義室はその大きさに似つかずあまり人がいなかった。六割くらいだろうか。この講義室にいる人たちも眠たそうで、講義室全体にゆったりとした雰囲気が漂っている。
そんな講義室の中身が「可能な限り全部の講義に出る」という私の考えより、「初回の講義は切る」という相澤さんの考えを持つ人の方が多いことを私に教えてくれていた。
相澤さんの言う通り、私はこの講義を履修している四割の人よりはまじめなのかもしれない。
けれど。
黒板を見る。その隅には学籍番号がずらりと並んだ一枚の紙が貼られていた。この講義はどうやら、座席が指定されているらしい。つまり――。
「初回でも取るじゃん、出欠」
誰にも聞こえないようにつぶやく。つまり、今日欠席した人たちは普通に一回欠席しただけとなった。
欠席した人たちは今回のぶん他の回の講義を出席すればいいだけだから、それについて特に何も思わない。けれど、明らかに、初回の大事な講義に出席できて得をしたのは私を含む、今ここにいるまじめな人たちだ。
はじめから行けばいいのにと思う。
……まあ別に、どうだっていいけれど。
自分の学籍番号を探して、自分の席を見つける。席は後ろから三番目の、一番左。さらに窓側らしい。
大学生は基本的に学籍番号で管理されている。私もその例に漏れず学籍番号で管理されていて、機械的に割り当てられた、指定された場所に座らせられる。それがなんだか自分が仕分けされた物っぽくて、自分が人間ではないように思える。
私はなんとなく、講義室を出て後ろから入り直す。すると、私の隣の席に誰か座っているのが見えた。
私の指定席の隣は、どうやらまじめな人らしい。
私は後ろから隣の席の人を眺める。
私よりも少し背が低くて、白に近い、艶のある金色の髪を肩甲骨の下あたりまでさらさらと伸ばしている。私と同じか、それ以上に長い。染めているのだろうか。
「すみません、後ろ通ります――」
彼女は私の言葉に長い金髪をふわりと膨らませて、私の方を振り返った。
驚いたように、私が来るのが分かっていたかのように。
「え」
可愛い。
真っ先にそう思った。
こぼれそうな丸い瞳、通った鼻筋、薄い唇、きめ細かな白い肌、シャープな輪郭。隣の席の子はどこか幼さが残っていて直感的には可愛いと思ったけれど、よく見ると綺麗とか、美しいという言葉の方が似合うのかもしれない。
そして何より。
つむぎにすごく似ている。
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