星空が溶けてしまう前に

割箸ひよこ

プロローグ

第1話

「ねえ、せりか」


 ふわふわの雪が空からゆっくり降りてくるような、そんな夜。目の前の女の子が私の名前を呼ぶ。


 その子は手を伸ばせば触れられそうなくらいそばにいるはずなのに、触れることはできなくて、よく見えるはずの顔もどうしてかぼんやりしていて、見えない。


 それでも、私はよく知っている。


 これが私の記憶の再現だということも、目の前にいる女の子が誰なのかも。

 そして、その子が私にとってかけがえのない人だということも。

 

「ほら、星がいっぱい見えるよ」


 彼女は笑っているような声調で、そう言った。ナトリウムランプに当たる彼女の髪が鈍い金色に輝いている。


 そうだ。私たちは天体観測をしていたんだった。


 私は空を見上げる。夜空は厚い雲に覆われていて星一つ浮かんでいない。それもそのはずだった。


 雪が降っているのだから。


「きれいだね」


 彼女は天体観測をしに来たのに、星一つない雪の夜空に言う。


 私は彼女に話しかけようとする。

 それなのに声が出なくて、相槌を打つことも、話しかけることもできない。込める力は喉を震わせることなくただ白い息となって、消えていく。


 私は――。


「はっ」


 目が覚めて、見慣れた自分の部屋の白い天井が目に入る。


 また、この夢を見てしまった。


 目覚まし時計が鳴る前に止めてしまって、夢が薄れてしまう前に布団に潜る。目をぎゅっとつぶって、遠い日の記憶をすくい上げて、今の夢と重ね合わせていく。


 あの日の、冬の夜の静けさ。

 しんしんと降る雪に、私と彼女だけの真っ白な世界。

 彼女の透き通った声、繋がれた手、やわらかい表情、金木犀の優しいにおい。


 そんなことを思い出していく。けれど、早鐘を打つ心臓の音がうるさいだけで、しばらくしてもあの夢をもう一度見るどころか、二度寝すらできそうになかった。


 もう一度見たいと願う夢ほど、見ることができないのはどうしてだろう。


「はぁ……」


 諦めて布団から顔を出す。時計を一瞥すると、まだ7時30分だった。残念ながら、一限は無事に出席できそうだ。

 体を起こしてベットの横から両足を出す。フローリングに足の裏が触れるとひやりとした。

 今日は何℃なんだろう。

 今は秋だからあの日よりは寒くないことだけは、分かるけれど。


「…………つむぎ」


 誰に言うわけでもなく、名前を口にする。


 私は五年前のあの日から、初恋の影を追い続けている。

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