第45話 かみしばい 4
目の前で女子に泣かれるのは小学生の時以来かもしれない。
あの時はたしか……どんな理由でその子が泣いたのか全く憶えていないけど、泣いている子を一人残して逃げ出したことだけは記憶している、その後の学級会でつるし上げになったことも含めて。
だが、今回泣いている藤堂さんを残して逃げる気なんかさらさらない。
しかしながら、どうすれば藤堂さんの涙は止まってくれるのか。その手段が全然判らない。
慰めの言葉をかけるべきなのか、ハンカチを差し出せばいいのか、それとも頭を撫でてやればいいのか。
どうしていいのか判らずに固まってしまう。
ここはショッピングセンターの二階。
俺と藤堂さん以外にも大勢の買い物客が。さっきからずっと奇異な目で見られているような……気がする。
どうする? 何かしら言葉をかけるべきなのか? それともこれ以上晒し者にならないために藤堂さんを何処かへと連れ出すべきなのだろうか?
けど、何処へ?
考えているだけで、何一つ行動に移せない。
阿呆みたいに突っ立ったまま。
「航、コッチ行くよ」
ヤスコが俺と藤堂さんの腕を掴んで言う。いつの間に横に来ていたんだ。というよりも、もう体調は良いのか、酔いは治まったのか。
藤堂さんを立たせて、ヤスコが引っ張る。俺と藤堂さんは近くの喫茶店へと放り込まれ、テーブル席に対面で座らされる。
「それじゃ、航。後はよろしくね」
そう言うとヤスコは俺と藤堂さんを置いて喫茶店から出て行こうとする。
「よろしくって、どうすればいいんだよ」
「泣き止むまで待つのでもいいし、優しい言葉をかけて慰めるのでもいいし。とにかく、自分で考えなさい」
キッパリとヤスコが言う。
けど、その魂胆は全部俺に丸投げするつもりだろう。そうは問屋が卸さない。
「でもさ、もうすぐ二時になるし」
二時になったらまた紙芝居の上演が始まる。
「それはアタシがするから」
「できるのかよ」
さっきまでグッタリとしていたのに。一時台の紙芝居、全部俺にやらせたくせに。
「大丈夫、問題は大有りだけど。これくらいなら、なんとかするから。アンタはこの子の相手をする。判ったわね。じゃ、後はよろしく」
言うだけ言うと、ヤスコは喫茶店から出て行ってしまう。
けど、どうすればいいんだ。
女性と二人きりでこんな場所に入るのは初めての経験ではなかった。これまでにも一応幾度となくあった。けど、そのほとんどが年上、正直に白状すると劇団の関係者ばかり。
同級生と、というか、同年代の女の子と入るのは初めての経験だった。
普通ならものすごく喜ばしいこと、青春の一歩を踏み出していると感慨にふけるべきなのだろうが、そうはいかない。
なぜならば、目の前の藤堂さんはまだ泣いたままだから。
「いらっしゃーい。何? 女の子泣かすなんてやるなー」
顔なじみの店員さんにからかわれるけど、それに上手く対応する余裕なんか全然ない。
喫茶店に入ったからには注文しないわけにはいかない。とりあえずブレンドコーヒーを頼む。藤堂さんに何か飲みたいものはあるか聞いたが、泣いたまま。答えが返ってこない。
しかたがないから二人分注文。だけど、藤堂さんは飲めるかな。いや、多分大丈夫なはずだ。微かな記憶だけど屋上で、毎朝ミルクと砂糖をたっぷり入れて飲んでいると言っていたような気が。
気まずい空間。藤堂さんはまだ……。
遠くからヤスコの声が聞こえてくる。ああ、もう二時になったんだ。あんなこと言っていたけど、本当に一人で上演できるのか。通常ならなんら心配なんかしないけど、あんな状態だったから。
だけど、今はヤスコや紙芝居の心配よりも目の前のこと。
どうしよう。
目の前で泣き続けている藤堂さんを慰めることができないままで、時間だけが過ぎて行く。
注文したコーヒーがテーブルに。でも、とても口をつける雰囲気じゃない。
「……ありがとう。観てもいいって言ってくれて」
永遠に続くかと思うような重い雰囲気の中で、藤堂さんの声がポツリと聞こえた。
「ああ、うん」
せっかく話してくれたのに生返事で返してしまう。お礼を言われるようなことをしたかな、俺。
「それから……ずっと結城くんに謝りたいことがあったの」
言葉が続く。これは停学の件かなという予測が働いた。
「俺が停学になったこと?」
予測を口に出すと、藤堂さんは小さく肯く。
「気にしなくていいから。藤堂さんには何の責任もないんだから」
別にかっこつけるために言ったわけじゃない。迷惑が、火の粉が降りかからなくて本当に良かったと思っている。あの一件は全部俺のせい。
「違うの。私のせいなの」
そう言ったのに藤堂さんは頑なに自分の責任だと言う。
「見つかって呼び出しを受けたのは俺一人だけなんだよ。学校側は藤堂さんのこと知らなかった。それは藤堂さんが見つかったわけじゃないという証拠だ。それとも自分一人だけ逃れたことへの罪悪感を感じているの? それなら別に気にしなくていいから。俺は迷惑をかけなくて良かったと思ってるんだから。単にさ、俺の不注意か、運が悪かっただけ」
本心をとうとうと述べる。運が悪かっただけ。気にすることなんかない。
一気に話しすぎて喉が渇いた。コーヒーを一口、喉に流し込むが少し熱くて、苦かった。
「……違うの、本当に私が悪いの」
それでもなお藤堂さんは責任の所在は自分にあると言い張る。
「だから、どうして?」
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
謝罪ばかり、頭を下げてばかり。その理由を話してくれないと俺は理解もできないし、納得もできない。
「どうして自分のせいだと思うの? お願いだから、その理由を聞かせてよ」
まだ藤堂さんの目には涙が溜まっている。強い口調で言えば、また泣き出すかもしれない。俺は細心の注意を払い、できるだけ優しい口調で尋ねた。
「……ごめんなさい。本当に私のせいなの……二学期に入ってすぐに屋上から結城くんと一緒に出てくるのを、か……先輩に見られて」
言い直した箇所が少し気になった。
「先輩?」
「……男子バスケ部の二年の先輩。結城くんと屋上で会っていることを知られて。それで怒って学校に密告したの」
先輩が花火大会の横にいた男、つまり彼氏であることがなんとなく判った。
これでようやく藤堂さんが責任を感じていた理由が判明した。でも、責めるつもり気なんか毛程もない。それは藤堂さんの責任じゃない。その男の嫉妬が原因だ。
「いいよ、別に。それは藤堂さんのせいじゃないよ」
「……でも」
「本当に気にしなくてもいいから。もう済んだことなんだから。それにさ、俺も貴重な体験ができたわけだし」
軽い感じで言うが笑ってはくれなかった。でも、得がたい経験だったと思ったのは事実。
「それに、結城くんに近付くなって言われたのに……」
藤堂さんが気にしていることは、まだ他にもあるみたいだった。だけど、俺、そんなこと言ったかな。ああ、思い出した。たしかに屋上のドアの前で言った。でも、それは意味が違う。余計な詮索がかからないようにしようと配慮して告げた言葉。
それを藤堂さんは、そのままの意味でとってしまったのか。俺が一人停学になったことを怒っていると勘違いしてしまったのか。
「それは、藤堂さんに余計な火の粉がかからないようにと思っただけで」
あの言葉だけなら曲解をさせてしまうかもしれない。もう少しちゃんと説明をしておくべきだった。今更反省しても遅いけど。
「……そうなの?」
ポカンとした顔をする藤堂さん。
「うん、そう」
話したいことは山ほどあったはずなのに、言葉が全然浮かんでこない。
二人で冷めたコーヒーを飲むだけの空間に。
静かだからヤスコの酒焼けの声で読む紙芝居の音がよく聞こえてくる。
多分、もう限界だろう。
喫茶店の壁にかけてある時計に目をやる。まだまだ上演時間はたっぷりとある。
行かないと。けど、その前に……。
「藤堂さんまだ時間ある?」
「えっ……うん」
「だったら紙芝居を観ていってほしいな。さっきは楽しませることができなかったから」
今度こそは。
「うん、観たい。結城くんのする紙芝居をもっと観たい」
今日はじめて、というか久し振りに藤堂さんの笑顔を見たような気がした。
こんなところで泣いていたら結城くんに迷惑をかけてしまうのに。
それなのに私の涙は止まらない。
滲んだ視界に結城くんの姿が。すごく困っている顔が視界に映る。
泣き止まないと、それなのに泣き続けてしまう。
誰かが私の手を引っ張る。ここではないどこかへと連れていこうとする。それに抵抗せずについていく。
気が付くと私は喫茶店にいた。目の前には結城くんが。
言わないと、謝らないと。それなのに言葉が出てこない。涙がまだ止まらない。
ああ、結城くんはまだ困っている。いいかげんに泣き止まないと。これ以上は迷惑をかけられないのに。
必至に涙を我慢する。言葉を出そうと振り絞る。
私の口から出たのは小さな音だった。だけど、結城くんの耳に届いた。
言葉を続ける。謝罪の言葉がやっと出てくる。ずっと私の中にあった罪の意識を、心の中に溜まった澱のようなものを外に出す。
結城くんは、気にしなくていい、と言ってくれた。運が悪かっただけ、と。けど、停学になった原因は私にある。
そのことを簡単にだけど、説明する。先輩とのことは、本当は結城くんには聞かせたくないけど、言いたくなかったけど。
けど、許しを請わなければいけないのは、これだけじゃない。
まだ、ある。
屋上のドアの前で結城くんに近付くなと言われたのに、それなのに……。
そのことも謝る。
誤解だった、私の勘違いだった。結城くんは私のことを毛嫌いして、あんなことを言ったんじゃなかった。その反対に私のことを案じての言葉だった。
今までずっと勘違いをしていたんだ。結城くんは私のことを嫌ってなんかいなかったんだ。
それにしても、どうしてこんな勘違いをしてしまったんだろう。
考える。結果、黙ってしまう。結城くんも話してこない。二人の間には沈黙が。
遠くからヤスコさんの声が聞こえる。そうだ、今は紙芝居の時間だ。
結城くんを私なんかのために付き合わせてしまって申し訳ない。
もう、私のことはいいから。紙芝居をしてきて。そう言わないとと思っていたら、
「藤堂さんまだ時間ある?」
先に切り出したのは結城くん。
「えっ……うん」
自分が先に言おうとしていたのに、先を越されて少し戸惑う。
「だったら紙芝居を観ていってほしいな。さっきは楽しませることができなかったから」
素敵な提案。結城くんの言う通り、さっきは面白かったけど、楽しめなかった。
「うん、観たい。結城くんのする紙芝居をもっと観たい」
返事をする。
そして、二人で喫茶店を出て、紙芝居の上演場所に。
声が擦れているヤスコさんと交代で結城くんが紙芝居を。
もうベンチには座る余裕がないので私は柱の横に。ここは最初に結城くんの紙芝居を観た場所。けど、その時は隠れていた。でも、もう隠れない。
今度は楽しい。心の底から面白いと思える。
けど、楽しい時間はあっという間に終わりを向かえてしまう。
結城くんの紙芝居は一本だけで終了。
「おお、泣き止んだね」
ヤスコさんが声をかけてくれる。その声はすごく擦れている。私のせいだ。
「……ごめんなさい」
頭を下げて謝る。あの時泣いたりなんかしていなければ、ヤスコさん一人で紙芝居の上演なんかしなくてもよかったはずなのに。
「いいよ、藤堂さんが謝る必要なんかないから。こんな声になったのは自業自得だから」
後片付けをしていた結城くんがいつの間にか傍まで来ていた。
「それって……」
「二日酔いのせいだから。紙芝居の上演があることを忘れてしこたま呑んだ罰が当たったんだ」
「だから、二日酔いじゃない。車の運転で酔ったの」
「はいはい、そういうことにしてやるよ。だから、黙れ」
「黙らないから。このまましゃべり続けて、もっと酷い声にして三時台も全部航にしてもらうんだから」
「はあああ、何言ってんだ」
「だってさ、航はこの子に楽しい紙芝居を観せたいんでしょ。だったら」
「だから、何を言ってんだ」
結城くんとヤスコさんの息の合ったやりとり、まるで漫才のよう。思わず笑ってしまう。
「おお、笑ったね。やっぱり女の子は笑っている顔が一番だね」
言われて気が付く。そういえば私、今笑っている。
「そんな君をもっと笑顔にするような情報を与えよう。あのね、実は、何と、航はね、自分で紙芝居を書いているの。できたら、絶対に観てあげてね」
結城くんが創る紙芝居。すごく楽しみだ。
結城くんがどんな紙芝居を創るのか、そればかりを考えてしまう。
航
できれば有耶無耶にしたままでいたかった。忘れたままでいたかった。
てっきりヤスコ自身も忘れてしまっていると思っていたのに。しっかりと憶えていやがった。
藤堂さんを見る。
笑顔が咲き乱れている。破顔一笑という言葉がピッタリなくらいの喜びがあふれている。
こんな顔を見ていると創らないわけにはいかない、と思えてくる。
なかったことにしたかったけど。あのまま忘れ去ってしまいたかったけど。
藤堂さんに喜んでもらうために、一丁がんばってみるか。
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