第44話 かみしばい 3


   みなと


 紙芝居が終わった。結城くんが一時台の上演の終了を告げる。

 私の周りの人はみんなベンチから立ち上がる、三々五々、蜘蛛の子を散らすようにいなくなっていく、去って行く。

 私も行かないと。

 それなのに、まだ私の体は動かない。ベンチに座ったまま。スポーツバッグを横に置いて。

 行かなくちゃ。

……でも、ここ以外に行く場所なんか全然知らない。



   こう


 ついさっきまで埋まっていたベンチにはもう人の姿はほとんどなし。

 ほとんどなし、ということはまだ誰かが座っているということ。

 その誰かとは?

 それは藤堂さんだった。

 藤堂さんは紙芝居が終わった後も、立ち去ることなく、ベンチに腰を下ろし、そして視線を落とし俯いている。

 さっきの俺の上演が面白くなかったから、次の上演を観るためにその場に残り待ってくれているのだろうか。

 多分、そうじゃないはず。

 下を向いているから、俺の場所からは藤堂さんの表情を伺い知ることはできないけど、絶対に次の上演時間を楽しみにしながら待っている、ということはないはず。情けない話だけどそう断言できてしまう。

 だったら何故藤堂さんはまだ座り続けているのか?

「ねえねえ、航。あの子大丈夫なの?」

 いまだに二日酔いなのか、それとも車酔いなのか、どっちか判らないけど、まだ回復していないヤスコがいつもとは違う弱々しい声で言う。

「うーん……」

 聞かれても判らない。

「ちょっと行って話しかけてきなさい。アンタ、一緒のクラスなんでしょ」

「……そんなこと言われても……」

 そんなことを言われても、どう話しかければいいのか判らない。

 それに停学明けに屋上のドアの前でのこと以降、話をしていないから。

「思い出したけど、あの子アンタのファンなんでしょ。貴重なファンが尋常じゃないような状態なんだから、なんとかしなさい」

 そう言われても困る。

 様子がおかしいのは判る。だけど、俺の話術で藤堂さんのおかしな様子を解消できるとは思えない。そんな技能は俺にはない。

「……だったら、ヤスコが。こういう時は若輩者の俺なんかよりも経験豊富なヤスコの方が適任だろ」

 そう、年の功ってやつだ。

「いいから、アンタが行きなさい。コッチはまだ酔ったままだから」

 弱々しい演技に拍車がかかる。

 逃げやがったな、ヤスコ。

 けど、藤堂さんをこのまま一人で放置してしまうのは流石に。

「……判った……行ってくる」

 小さく言うとヤスコに背を向けて歩き出す。藤堂さんへと向かって進む。

 進むのはいいけど、何を話したらいいのか依然判らない。

 本当に何を話せばいいのやら。

 変な緊張感が全身に襲いかかってくる。自分の身体がまるで自分のものじゃないような感覚に。真っ直ぐに藤堂さんを目指して歩いているつもりなのになんだかフラフラ、千鳥足になっているような、足元がグラついているような、おかしな動きをしているような、気を抜くと明後日の方向に進んでしまうような、とにかくまともな感じじゃないのはたしかなこと。これだけは断言できる。

 藤堂さんとの距離はほんのわずか。それなのにすごく遠く感じる。と、思ったら今度は反対にものすごく近くに感じてしまう。

 ほんの数秒で来たのか、それとも数時間かかってようやく辿り付いたのか自分でもよく判らないが、とにかく俺はようやく藤堂さんの前に立つことができた。藤堂さんは俺が目の前にいることに気付いていないのか、まだ視線を落としたまま座っている。

 俺もまだ何と話しかけるか判らないまま。

 言葉が浮かんでこない。

 背中にヤスコの鋭い視線を感じていた。振り返って見なくても判る、おそらく早く何か話せと小声で言っているのだろう。

 何かしなくてはいけない、何か話しかけないといけない、それは十分に承知している。

 だけど俺は、まるで阿呆みたいに藤堂さんの前に立っているだけ。

「……私は紙芝居を観ちゃいけないの? 私はもう大人なの? 大人は紙芝居を楽しんだら駄目なの?」

 藤堂さんの小さな声が聞こえた。

 小さな声だったけど、その声は俺の中で大きく響く。

それはまるで助けを求める声のようにも聞こえた。



   湊


 目の前に結城くんがいることは分かっていた。

 謝らないと。

 そう思っていたのに、私の口から出たのは別の言葉。

 無意識に飛び出た私の声に、

「観てもいいよ」

 しばらく間が空いた後で、優しく暖かな音が私の中へと。

 ……観てもいいんだ。

 私は大人になってしまったけど、約束を守れなかったけど、停学の処分を一人だけ逃れたけど、そんな私でも観ても、楽しんでもいいんだ。

 暗かった視界が急に明るくなっていく。落ちていた目線が自然と上を向く。

 そこには結城くんの顔が。

「誰が観てもいいんだ。楽しんでくれるのなら、その方が演っている方もうれしいし」

 少しはにかむような顔で結城くんが言う。



   航


 観ちゃいけないなんて、とんでもない。観てほしい。ずっとそう願っていた。大人が観たら駄目なんてことも当然ない。観てくれる意思があれば、ただし冷やかしは除く、誰にでも観てほしい。紙芝居は演者だけでは成立しない、観る側がいて初めて成り立つもの。そう教わってきたし、実感も、体験もしている。

 間(あいだ)にあった藤堂さんが大人かどうかは、判断が難しい。大人びて見えるような時もあるけど、とくに夏休み明けなんかはそう感じたし。でも、屋上で話しをしていた時には意外と幼いというか子供っぽい一面も見たような気もした。

 多分、俺を含む大半の高校生なんて外見だけは大きいけど、中身はガキのまま。まあ、世の中には成人式を遥か昔に通り越しても中身が子供のままなんていう人間はたくさんいるけど。

 まあ、これは置いておいて。

 とにかく、観てもいいことを口にする。それから、演者の気持ちも付け加える。

 藤堂さんが顔を上げる。

 ああ、少しだけど微笑んでくれた。さっきの上演では、ずっと暗い顔だったから。できれば、この顔は俺のする紙芝居でして欲しかったな。

 言葉を続ける。

「別に誰が観てもいいんだよ。紙芝居は子供しか観ちゃいけないなんていう法律はない。大人だって楽しんでいいし、それに高校生だって観ていい。それに俺らはまだ大人じゃないし。……それから上演しているのは大人と高校生。だから藤堂さんが観てもちっともおかしくなんてないよ」

 変だという人間はおそらくいるだろう。だけど、そんな人間は無視すればいい。

「……本当?」

 表情が変わる。明るくなったような気が。

「それに藤堂さんが観てくれるのなら。……俺も嬉しいから。好きにすればいいよ」

 まるで告白のようだ。そんなつもりは皆無のはずなのに、言いながら妙に照れてしまう。

「……うん」

 藤堂さんの両目にはいつの間にか涙が溜まっていた。そして小さく肯くと、それがまるできっかけのように決壊する、大粒の雫が留めなく流れ落ちる。



   湊


 絶対に観る。絶対に観たい。

 すごく嬉しい、ものすごく嬉しい。なのに、私の目から涙があふれてくる。

 こんな場所で、こんな場所で泣いたりなんかしたら結城くんに迷惑をかけてしまうのに。絶対に我慢しないと。

 それなのに涙が止まらない。


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