第43話 かみしばい 2


   みなと


 ものすごいスピードで結城くんが私の横を駆け抜けていく。

 早くここから立ち去らないと。

 私はもう結城くんのする紙芝居を楽しむ資格を喪失してしまったのだから。

 もう大人になってしまった、子供じゃなくなった、そんな私がこのままベンチに居座っていたら上演の邪魔になるだけ。

 それにさっき結城くんが横を通り過ぎていった時、私の顔を一瞬見て、すぐに逸らした。きっとここに私がいることが気にくわないのだ。

 行かないと、結城くんが戻ってくる前に。

 それなのに私の体は動かない、ベンチに座ったまま、無駄に大きな体とスポーツバッグでベンチを占拠したまま。

 正面に見えるエレベーターのドアが開く。中から紙芝居の道具を持ったヤスコさんが降りてくる。

 ヤスコさんの様子が少しおかしい。道具が重たいということもあるのかもしれないけど、青白い、顔色が悪いような気が、体調が悪そうな気が。

 大丈夫なのだろうか?

 けど、私がしないといけないのはヤスコさんの体調を気遣うことじゃない、一刻も早くここからいなくなってしまうこと。

 けど、動けない。

 そんな私の耳に音が、タイヤの軋むような変な音が。

その正体は結城くん。何かしらの台を運んで走ってくる。

 ベンチ前で台と一緒に急停止。素早く、そして手際よく結城くんが紙芝居の準備を行う。その横でヤスコさんはぐったりとしている。

 開始一分前。いなくならないと、消え去らないと。

 それなのに私は座ったまま。

 結城くんがヤスコさんと何かを話している。この場所からは会話の内容なんか聞こえない。けど多分、こんなことを言っているのだろうと想像してしまう。約束を守らない、一人だけ難を逃れてズルイやつが来ている、と。

 いつまでもここに座っていたら駄目だ。

 それなのに動けない。

 時間になる。いつも上演時には着用している青い半被は着ずに、さらに眼鏡をかけたままの結城くんが扉を開く。

 紙芝居が始まる。

 私は観てはいけない大人。この場にいてはいけない人間。

 最初の紙芝居は『シナプスマン』。幼児向けの作品。

 これは暗に私に紙芝居を観せたくないと言っているのだろうか。これは子供が観るもの、大人である私はとっとと立ち去れという結城くんから無言のメッセージなのだろうか。 

 従うしかない。私はいてはいけない人間だから。

 大人は紙芝居なんて観ないのだから。

 いてはいけない人間がいつまでも居座っていたら結城くんも気分が悪くなるだろう。そうなると紙芝居がつまらなくなってしまうかも。楽しみに観ている子供達に申し訳ない。

 申し訳ないはずなのに、私はこの場から動かなかった。

 いや、動けなかった。ただ、結城くんのする紙芝居を観ているだけだった。

 子供向けだけど、面白い。

 面白いはずなのに、楽しい気持ちになってこない。

 反対に辛い気持ちになってくる。

 行かないと、そんな気持ちで紙芝居を観ていても結城くんには迷惑だろう。

 それなのに私はまだ紙芝居を観ていた。



   こう


 一応は観てくれていた。

 けど、手応えがない、反応が今一どころか全然、暖簾の腕押しといった感じだ。

 やはり幼児向けだから俺と同い年である藤堂さんが観ても面白くはないのか。

 藤堂さんの周りにいる子供達、およびその保護者の方々には受けているけど。

 だけど、席を立っていないのは幸いだ。

 面白くないからという理由で途中でも席を立ってしまう、帰ってしまう人も多い。

 でも、藤堂さんはまだベンチに座ったまま。ならば挽回のチャンスはあるはず。

 今度は藤堂さんも楽しめる紙芝居を選択しないと。

 この時間は全部俺がすることになっている。ヤスコはとてもできる状態じゃないから。

 まだこの紙芝居は終わっていないけど、もう頭の中で次の作品の算段をする。そうしないと、次の作品をゆっくりと選んでいる時間はないから。

 何をしようか?

 ああ、あれにしよう。あれならきっと藤堂さんも楽しんでくれるはず。あれならきっと間違いはないはず。



   湊


 結城くんのする紙芝居が終わった。

 面白かったはずなのに、事実大受けだった、それなのに全然楽しくなれない。

 どうしてだろう?

 やはり私が大人になってしまったから、もう紙芝居を楽しめなくなってしまったのだろうか。

 楽しくないのなら、いつまでもここに座っていても仕方がない。

 いなくならないと。

 なのに、私はまだ座ったまま。

 紙芝居を終え一度引っ込んだ結城くんが、別の紙芝居を手にして再び。

 また結城くんがするんだ。

 今度こそ、行かないと。

 さっきの上演で、お前には観る資格がない、という無言のメッセージを受け取ったばかりなのに。

 それなのに、まだ動けない。

 今度の作品は『ながぐつをはいた猫』。知っている物語、もう何回も観た紙芝居。

 これも多分、さっきの作品と同じ。私に対するもの。ここにいるなという無言の圧力。

 紙芝居が始まる。

 ベンチに私は座ったまま。

 

 以前に観た時よりももっと凄く、上手になっている。それなのに周りに反応と違って、私は全然面白く、楽しくなってこない。

 ……やっぱりもう紙芝居を観る資格がなくなってしまったのだろうか。

 なりたかったわけじゃないのに、大人になってしまったせいだろうか。



   航


 これも駄目だったか。

 藤堂さんばかりに目を向けて演じるわけにはいかないから、時折盗み見るように観察していたけど、あまり楽しそうに観ている感じがしない。

 やはり、何度も上演した作品を選んでしまったのかも。

 もっと新鮮な、藤堂さんが観たことのない紙芝居を選ぶべきだったのか。

 ならば、今度はこれでどうだ。



   湊


 また結城くんが紙芝居をする。これで三本連続。

 本当に、帰らないと、消えないと、立ち去らないと。

 今のところはまだ悪影響は出ていないけど、このまま私がここに居座っていたら結城くんのする紙芝居のできを悪くしてしまう。こんなに盛り上っているのに水を差してしまうことに。

 三作目の作品は『さぎとり』という落語の紙芝居。

 初めて観る作品、聞いたことのないお話。

 どんなお話なのかちょっと興味があるけど、今度こそ行かないと。

 私は紙芝居を観てはいけない人間。

 そんな人間がいつまでも居座っていたら、結城くんの気分を害してしまうかもしれない。そうなったら紙芝居の出来を悪くしてしまうかもしれない。

 それなのに私の体は動かない。ベンチに座ったまま。まるでお尻から根っこが生えたみたいに。ここから離れられない。

 落語だから大人にも受けている。

 私は大人になってしまった。

 だったらこの紙芝居を楽しめるはずなのに、全然楽しくなってこない。



   航


 これも駄目だ。

落語は女子高生には受けないのか。俺は小さい頃から一応慣れ親しんできたから楽しめるけど、そもそも普通の高校生は落語なんか全然興味がないのかもしれない。

藤堂さんの表情が物語っている。

大人はもとより、小さい子供も笑っているのに、藤堂さんだけは一人笑顔なし。

 ただ座って、俺を、紙芝居を虚ろな顔で観ているだけ。

 以前は恥ずかしそうにしながらも、笑って観てくれていたのに。

 力不足を痛感する。他の人は満足させることはできたかもしれないけど、肝心な人を満足させることができなかった。

 何時来ても、何時観てくれてもいいように、精進したつもりだったけど、独りよがりだったのだろうか。

 いや、もう一度挑戦だ。

と、意気込んでみたのはいいけど 時間切れに。この一時台の紙芝居はさっきの作品で終了だ。

 せっかく観に来てくれたのに。藤堂さんを楽しませることができなかった。すごく残念であり、かつ申し訳ないような気分に。

 

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