第42話 かみしばい


   みなと


 日曜日、部活は休みだけど、希望者が集まって自主練をすることになっていた。

 みんなが、部員全員が参加するから、当然私も参加することに。

 でも、本音を言うと行きたくない、参加したくない。

 疲れているから休みたい。

 けど、私は部の中で一番経験がなくてそのうえ下手くそ。それなのに身長が高くて左利きというだけの理由でレギュラーメンバーとまでいかないけど、試合に出してもらっている。

 そんな私が休むのは。

 人よりも多く練習をして、期待に応えられるくらい上手く、強くならないと。

 ジャージ姿で自転車に乗って、最寄りの駅まで。そこで恵美ちゃんと待ち合わせを。

 急がないと約束の時間に間に合わないのに自転車はなかなか前に進まない。

 ペダルがすごく重たく感じる。

 どうしてこんなにも重たいんだろう。重たいのはペダルだけじゃなくて、体も、だ。

 休みたい。

 だけど、休んでいいような立場じゃない。

 練習が始まる前からもう身も心も疲れ果てている。

 何もかも全部捨てたくなってしまう。

 期待されていることも、先輩の彼女であることも、他にも色んなことも全部。

 だけど、そんなことできない。

 私の立場は、私自身はよく分からないけど、周りから見ればうらやましいものらしい。

 それを捨てたりなんかしたら、もしかしたら恵美ちゃんに嫌われてしまうかもしれない。

 こんなことでこの地に来て初めてできた友人を失うのは嫌だ。

 後少しで駅に到着する。この角を曲がれば駅、そこからいつもの電車に乗って学校に。

 それなのに私の乗った自転車は道を真っ直ぐに進んでいく。

 駅から徐々に遠ざかっていく。

 待ち合わせの時間が、電車の時間が迫っているのに。

 私の乗った自転車は、そのまま真っ直ぐに走り続ける。


 気が付くと、ショッピングセンターの駐輪所に私はいた。

 何故ここにいるのか全然分からないけど、とにかくいた。

 待ち合わせの時間はとっくに過ぎていた。乗るはずだった電車はすでに駅のホームから離れているはず。

 部活で使用しているスポーツバッグの中に入れてある携帯電話には、恵美ちゃんからの着信とメールが。

 急に具合が悪くなったから休む、と返信する。

 本当は具合なんか悪くなっていない。落ち込んで、塞ぎこんではいるけど、練習に出られない程じゃない。これはサボるための言い訳だ。

 すぐに返信が返ってきた。『ゆっくり休んで』。この文面を見て、心が小さく痛む。

 噓をついたから。

 反面少しだけほっとした、安心したような気が。

 部活に出なくてよくなったから。

 けど、これからどうしようか。ズル休みとはいえ、具合が悪いと言ったのだから家に帰るのが正しいのかもしれないけど……。

 でもこのまま帰ったら、お母さんに心配をかけてしまうんじゃ。

 ならば、どこに行こう? どこも思いつかない。

 この土地に引っ越して来てからもう半年以上も経っているけど、この辺りのことを 全然知らない。いつも恵美ちゃんの後ろにくっついているだけだったから。

 どうしよう?

 このショッピングセンターで時間を潰そうか。ここならお店もたくさんあるし。

 とくに当てもなくショッピングセンターの中を歩く。というよりも彷徨う。

 二階の南エレベーター前まで来た。入店したのが北側の入口だから端まで歩いたんだ。

 今はまだ人の数は少ないけど、後一時間もしたらきっと賑やかになるはず。ここは結城くんが紙芝居をする場所。

 まだ誰も座っていないベンチに持っているスポーツバッグを下ろす、私も腰を下ろして座る。

 ずっと観ていない。観たいな。

 ……でも、駄目、観られない。

 紙芝居は子供が観るもの、大人は観ないもの。お母さんの言葉が脳裏に。私は大人になんかにまだなりたくなかった。けど、経験してしまった。それも一度だけじゃなく何回も。昨日だって。望んでなんていないのに、大人になってしまった。だから、紙芝居を観ては駄目なはず。

 それに結城くんからも、近付くな、と言われた。

 そう考えているのに、観たいという欲求は治まらない、消えてなくなってくれない。

 駄目だ。このままこの場に居続けて、万が一にも先輩に、もしくは先輩の知り合いに見られたりなんかしたら。そうなったら結城くんに今度はどんなとばっちりが。

 屋上の件でも迷惑をかけたのに、これ以上巻き込めない。

 急いで、ここから離れないと。

 それなのに、私はベンチに座ったまま。

 店内アナウンスが流れる。一時からの紙芝居の上演を告げている。

 それなのに、動けない。

 紙芝居を楽しみにしている子供達がだんだん集まってくる。

 こんな大きなのがいつまでも座っていたら邪魔になる。早くここから立ち去らないと。

 それなのに、座ったまま。

 上演時間が迫ってくる。もうすぐここに結城くんが来るはず。

 教室で結城くんの背中を見ているだけでお腹が痛くなるのに、正面から、顔を、目を見たら、どんな激しい痛みが襲いかかってくるか。きっと悶絶するような痛みになるだろう。

 頭によぎる。そんな強い痛みに見舞われないためには一刻も早くここから去るべきなのに。

 それなのに、私はこの場から動けないまま。



  こう


いつも車を停めている三階の駐車場が満車だったために、屋上に車を停めることに。

停車するやいなや、俺は車内から飛び出してショッピングセンターの中に。

通常ならばエレベーターで紙芝居の上演を行う二階へと下りるのだが、俺は機械を使用せずに自前の脚で、つまり階段を急いで駆け下りる。

どうしてそんなに急いでいるのか?

それは紙芝居の上演時間が迫っているから。

何故、そんなギリギリの時間に到着したのか?

それはヤスコのせい。

 移動の手段が自転車か公共交通機関しかない俺はいつも一緒にする人の車に同乗してこのショッピングセンターまで来ている。つまり、今日はヤスコの運転する車で来る予定になっていた。

 ところが、時間になってもヤスコの車は来ない。俺の家に迎えに来ない。

 ヤスコの携帯電話にかける。出ない。少し時間を置いてかけ直す。また出ない。今度は自宅の電話に。伯母さんが出て「まだ寝ている」と言う。

 このままでは遅刻は確実。

 俺は自分のフラットバーロードを持ち出してヤスコの家まで全力疾走。

 隣の丁目、ものの数分で到着。

 従姉とはいえ一応妙齢の女性。その部屋に本人の了承もなく入るのは悪いような気もするけど、背に腹は代えられぬ、それに伯母さんから入室の許可も得ている。

 まだ寝ていたヤスコを叩き起こした。

 起こすことには成功したけど様子がおかしい。まだ寝ぼけているが、なんとか意思疎通のできるヤスコに問い質すと、昨日の夜、正確には明け方までずっと呑んでいたらしい。なんでも仕事で大変お世話になった人が転勤するので、その送迎会にずっと付き合っていたらしい。

今日、紙芝居があることをすっかり忘れて。

 こんな状態で紙芝居ができるのか? いや、それよりも車の運転なんかできんのか?

 と、不安に思っている俺を尻目に、

「……大丈夫。……今、準備するから、ちょっとだけ待ってて」

 ベッドからノソノソと這い出してきて、俺がいるにもかかわらずパジャマを脱いで着替えを始めた。

 慌てて部屋から出て待つことに。

 不安ではあるが俺はただ待つことしかできなかった。時間の流れがすごく早く感じた。

「……お待たせ」

 見事なまでに呑みすぎを証明するような酒やけの嗄れた声。それに生気もなかった。

 こんな状態で運転なんかできるのかと心配になるけど、他に手段はなし。フラットバーロードでは荷物を運べない。公共交通機関を利用すると遅刻するのは必至。

 ヤスコの運転する車は無茶苦茶だった。

 普段の運転もとても丁寧、安心とはいえないものであったが、今日はそれに輪をかけて酷い。そんな酷い運転なのに、オービスのある所ではキッチリと減速しやがる。車線を縦横無尽、我が物顔で変更しまくって爆走。

 いつもの時間タイムを八分も短縮して到着。

 正直助手席に座っていて生きた心地がしなかった。普段はろくすっぽ信じない神様にこの時ばかりは敬虔な信者のふりをして祈り続けた。

 そしてショッピングセンターの敷地に入った瞬間、その神様に心の中で感謝の言葉をささげた。

 だけど、いつまでも感謝している場合ではない。上演開始時間まで五分を切っていた。

 ということで、これが階段を駆け下りている理由。

 二階に到着。

 もうすでにベンチには何人ものお客さんの姿が。

 その中に一際目立つ人物が。

 藤堂さんだ。

 久し振りに紙芝居を観に来てくれた。もう紙芝居に興味を失ったわけじゃないんだ。すごく嬉しい気分に。

 しかしちょっと格好が気になる。学校の体育の授業で着用する野暮ったいデザインのとは別物のジャージ。部活帰りにでも寄ってくれたのだろうか。

 声をかけようか。

 ああ、駄目だ。

 声をかけるということは立ち止まるということ。今はその時間も惜しい。それに止まるということは、階段を駆け下りてきた勢いで走っている速度を殺すということに。

 勿体ない。

 速度を維持したまま、いやさらに加速して藤堂さんの座っているベンチの横を駆け抜ける。紙芝居の台座の下に置く、台、キャスター付きを取りにバックヤードへとひた走る。

 台を取って戻って来ると、丁度ヤスコが紙芝居の道具一式と一緒にエレベーターで二階へと到着。

 大慌てでセッティング。

 間に合った。開始時間一分前、ギリギリだ。

「……航……ゴメン、酔ったからこの時間の紙芝居無理。……お願い、一人でして」

 ちょっとだけ安堵している俺に、まだ酷い声のヤスコが言う。

 ここまで運転しただけで、上演開始時間に間に合っただけで十分。もとよりこんな状態で紙芝居なんかはなから期待なんかしていない。

「ずっと酔ったままだろ」

 けど、何か一言文句を言わないと気がすまない。

「……違う。……これは二日酔いじゃなくて。……車で酔った」

 自分の運転する車で酔ったのか。なんて器用な。

 呆れていいのか、感心していいのか。いや、今はそれどころじゃない。もう時間だ、上演しないと、始めないと。けど、何をするべきか。ええい、コレでいいや。

 最初に手にとった紙芝居を台座の中に放りこむ。

 いつもは半被を身に纏い紙芝居をするが、割愛。ついでに上演中は外す眼鏡もつけたまま。

 よく見える視界の先にジャージ姿の藤堂さんが。

 ずっと渇望していた、ずっと観に来て欲しいと望んでいた。

 それがようやく実現。

 だけど、藤堂さんの表情がすごく気になる。暗く澱んでいるような。紙芝居を楽しみに待っているとは到底思えないような。

 ならば、その顔を明るくしよう、楽しませよう。笑わせて、笑顔にしよう。

 その為の稽古は日頃から積んできたつもりだ。

 でも、俺台座の中に一体何の紙芝居を入れたんだろう。台座の後ろ側をチラリと見る。

 小さい子供向けの作品だけど、この作品なら多分大丈夫なはず。観ている子供達はもちろん、藤堂さんもおそらく楽しんでくれるはず。

 時間に。台座を開き、紙芝居の上演を開始。


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