第46話 創作タイム


   みなと


 朝はあんなに重たかった体と心がすごく軽く感じる。

 今漕いでいる自転車も朝には前へと全然進まなかったのに、それがペダルはクルクルとスムーズに回転して軽やかに走ることが。

 あっという間にショッピングセンターから家へと到着。

 これは結城くんのする紙芝居を久し振りに観て、楽しめたおかげかな。

 それに結城くんが自分で紙芝居を創作するという嬉しい情報もあったし。

「ただいまー」

 玄関で自分でもちょっと驚くくらいの元気な、大きな声が出る。

「お帰りー。ああ、お弁当箱出して。今洗い物しているから一緒に片付けちゃうから」

 キッチンからお母さんの声。

 食べていない。今日はあれからずっと結城くんの紙芝居を観るのに夢中で、お弁当には全然手をつけていない。

 お腹が空くのも忘れるくらい楽しかったから。

「体調でも悪かったの?」

「ううん、ちょっと食べ損ねただけ。今から食べるから」

 スポーツバッグの中に入れたままになっていたお弁当箱を取り出して、お母さんの作ってくれたお弁当を食べる。

 美味しい。

 ここ最近ずっと食欲がなかった。それでも残したりなんかしたら心配をかけてしまうと思って無理やり胃の中に押し込んでいた。

 だから、味わう余裕なんかなかった。

 でも今は、味わいつつ、美味しく食べられる。

 全部残らず平らげる。お弁当箱は空っぽに。

「そんなに無理に食べなくて。それにもうすぐ夕飯なのに」

「平気、まだ入るから」

 私の言葉にお母さんは唖然としたような表情を浮かべる。

 だけど、私の言葉は本当だ。お腹にはまだまだ余裕が、もっと食べたいというような欲求を胃が訴えてくる。

 朝とは比べ物にならないくらいに元気になった。

 こんなに元気になれたのは、絶対に結城くんの紙芝居のおかげ。


「今日は休まずに来たなー」

 月曜日の朝、いつもの駅で、私の顔を見るなり恵美ちゃんの一言。

「ゴメンね、昨日は行けなくて」

 昨日の夜、恵美ちゃんには電話で一応謝ったけど、今日は顔を見てもう一度。

「別にいいよ、昨日のは自主練だったんだし。みんな参加するって言っていたけど、結構来なかった人もいたから。それに体調が悪い時に無理すると怪我をしやすくなるんだし」

「うーん……でも……」

 私は上手くならないといけないから。人一倍練習しないといけない立場なのに。

「休む時は、しっかりと休むのも練習のうち。だってさ、ここのところ湊ちゃんずっとえらそうな顔していたし。一昨日までと違って今朝はすごく良い顔しているし」

 すごく良いことがあった。だからこそ、こうして元気になれた。

 でも、偉そうな態度だったかな、私。ああ、違う。そうじゃない、このえらいは、この地方の言葉だ。辛いという意味で使う表現。周りの人はみんな使っているけど、私はどうも違和感があって、あんまりピンとこない。理解するまでちょっと時間がかかってしまう。

「……そんなに酷く見えたの?」

 自分では上手く隠していたつもりだったのに。

「うん。すごく酷かった」

 間髪いれずに恵美ちゃんの返答。

「……そんなに酷かった?」

「ここんところずっと。いつもはきれいにしてる髪もなんか手入れがあまりよくなかったし。顔色も悪い。それだけなら体調が悪いのかなと思うくらいだけど、全然表情が無かったから」

 指摘されてようやく気が付く。そういえば昨日の夜、ブラシをかけていたら引っ掛かりが多かったような気がした。ということは、昨日はあまり手をかけずに家を出たんだ。結城くんの前に酷い髪でいたんだ。今更ながら恥ずかしくなってくる。

 それにしても、そんな風に周りからは見えていたんだ。

 上手く誤魔化して、演技をしていたつもりだったのにな。

 そうだ、今度紙芝居を観に行った時に、結城くんに演技のことを聞いてみよう。

 そう考えると、楽しく、面白くなってくる。

「おお、また笑顔になったな。何を考えているの? 教えてよー」

「ええー、駄目。秘密」

 自然と笑みが浮かんでくる。私の顔を見て恵美ちゃんも笑う。

 そこに電車がやって来た。


 教室で結城くんの背中が見える。

 先週まではその背中を見るのが苦痛だった。見えない誰かの手で胃を握り潰されているかのような痛みが私に襲い掛かってきた。

 それが今は平気、痛みなんか襲ってこない。むしろ、見ていると幸せな気分になってくるような気さえ。

 授業を聞いていないと、黒板の板書をちゃんとノートに書き写さないといけないのに。私は結城くんの背中ばかりを目で追ってしまっている。

 顔が見えるわけじゃない、表情が見えるわけじゃない。それなのに結城くんのことが分かるような気が。背中が語っているというか。

 何か考えごとをしているように見えてくる。

 もしかしたら紙芝居の創作について考えているのかな。

きっと、そうだ。

 どんな紙芝居を創るのかな、考えるとワクワクしてくる。

 考え中かもしれない背中に、がんばれ、と心の中で応援を。

 本当は直接声に出して伝えたほうがいいのかもしれない。だけど、今は授業中。そんなことは無理。できない。 

 それならば休み時間に伝えるべきだろうが……それもできない。

 私が結城くんに学校で話しかけたりなんかしたら、迷惑をかけてしまうから。

 だから、心の中で密かに応援を。



   こう


 考える。

 紙芝居を。

 本音を言えば、書きたくない、創りたくない、助っ人なんだから演(や)るだけで十分なはずなのに、ヤスコが藤堂さんの前で余計なことを話してしまったから。

 俺が紙芝居の創作をしていると聞いた瞬間、藤堂さんの顔が。

 そんな顔を見ていたら、このまま有耶無耶にしたままでなかったことにしてしまうのは。この目の前の笑顔を、俺の創る紙芝居でもっと大きな、輝くようなものにしたいと思うのは、好きなこの前で良いかっこをしたいという見栄のようなものも含まれていると思うけど、それでも男子としては当たり前の思考であろう。

 けど、俺に創作なんかできるのか?

 停学期間が明けた後、一応は書こうと試みてみた。ヤスコには停学処分を受けた翌日に言われたけど、その一週間はずっと課題に追われていた。そんなことを、余計なことを考えている余裕なんかなかった。

 晴れて自由の身になってからは、まあほんの少しだけど創作に脳と時間を費やしてみた。

 これまでの人生でまあそれなりの、多分同世代の人間よりも、多くの書き物に触れてきた、読んできた。割と簡単に書けるかもと思っていた。

 甘かった。全然アイデアが浮かんでこない。

 全然書けない、一文字も書けなかった。

 苦痛なことこの上ない。面白くない。面白くないから、つまらない。つまらないから、いつしか考えないようになっていた。

 ヤスコもなにも言わなかったし。

 それなのにいきなり、藤堂さんの前でヤスコが言う。

 書かないと。

 これまでは本気を出していなかったから書けなかっただけだ。これから本腰を入れて紙芝居の創作に着手するわけだから書けるはず。


 いつもは真面目に授業を受けているように演技しているけど、今日はそれすらせずに考えごとに没頭する。

 授業なんかよりもはるかに大事なことを。

 しかしいくら脳を回転させても、全然物語が浮かんでこない。

 それでも考え続ける。

 考える、思考する、まだ見ぬ新しい物語を妄想する。


 なのに、出てこない。

 一日中。ずっと、そのことだけに頭をフル回転していたのに。何一つアイデアが浮かばない。

 けどまあ、創作を開始したばかりだ。時間はまだまだあるから大丈夫だ、きっと。   

 そんな風に気楽に考えていた。


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