第40話 闇 2


   こう


 久し振りの学校、久し振りの教室、久し振りの自分の席。

 直ぐに来たことを後悔する。やっぱり休んだままのほうがよかったかもしれない。外は青空。一週間丸々外出していない、ずっと出された課題に取り組み、それから連日様子を見に来る先生方の相手をしていた。全然身体を動かしていない。こんなに良い天気なんだから、フラットバーロードに乗って遠くに走りに行きたい、遊びに行きたいというのが偽りのない本心だ。

 だけど、休んでしまうと、欠席をすると周囲がうるさい。進級できなくなると脅してくる。まだ出席日数には余裕があるけど、楽勝というわけじゃない。一学期もけっこうサボったし。

 だから、嫌々ながらも久し振りに登校。そして、後悔。

 ある程度は予想をしていけど、想定以上に鬱陶しい。

 クラスの馬鹿達が俺の周りをうろつき、色々とちょっかいをかけてくる、絡んでくる。

 相手をするのは面倒だ。そんなものに付き合う義理もなし。大体このクラスの男子生徒の中に一人として親しい間柄の人間なんかいない。それどころか普段から俺のことを小馬鹿にしているような連中だ。そんな奴らの対応をするのは至極厄介だ。

 無視をする。

 そうすると罵倒が飛んでくる。それも無視する。相手をするのなんて馬鹿馬鹿しい。

 朝はうるさかった俺の周りも時間が経つにつれて静かになっていく。

 俺に話しかけても期待通りの答えが返っては来ないとようやく理解したみたいだ。これで落ち着いて考えごとができる。

 そう、考えごと。ヤスコに言われた、紙芝居の制作。

 停学の処分を受けた次の日にヤスコに言われた。創れ、と。あの時はたしか停学で暇だから創れと言われたけど、全然暇なんかじゃなかった。

 課題をこなすので精一杯だった。だから、ついうっかりと忘れていた。

 そのまま忘れたままでいたほうが幸せだったのかもしれない。だけど、ついうっかり思い出してしまった。思い出したからには創らないと、話を考えないと。

 そうじゃないとヤスコがうるさい。

 どんな紙芝居の話を創作するか。

 駄目だ。全然浮かんでこない。まったくアイデアが出てこない。

 考えないといけないのに集中できない。

 教師の声が考えごとを阻害する。俺の席は一番前の真ん中。つまり、教師の目の前。目の前で声を出している。

 うるさい、耳障りだ。

 正直黙ったままで授業をしてほしい。だけど、向こうもこれが仕事。俺は聞く気はさらさらないけど、ちゃんと真面目に勉強をしようという殊勝な生徒も中にはいるはず。俺一人の我侭を聞いてもらうわけにはいかない。

 我慢する。考えごとに集中しようとする……けど、無理。

 考えごとなんかとてもできない。

 諦める。こんな状況で慣れないことをするなんて、とてもできやしない。教師の声がうるさいだけなら、もしかしたら考えごとを継続できたかもしれない。だけど、集中を邪魔していたのは授業の声だけじゃなかった。

 ずっと、終始、背中に感じる視線。これが気になった。

 紙芝居をしているからというか、人に観られることをしているから、視線にはある程度敏感だし、気にしている。

 こんな場面ではそんなことは全然気にしなくても構わないんだけど、こうもう常に向けられているものを無視はできなかった。

 まあ、見られるのはしょうがないのかもしれない。屋上に無断で侵入を繰り返して停学なんていう処分を受けた珍しい存在だから。ある意味珍獣扱いだろう。

 一応真面目に授業を受けているふうに装っているから背後の様子は判らない。誰が、何人が俺の背中を見ているのか知らないけど、まあ見ているだけで実害はないからいいか。紙芝居の制作はもう諦めたから。

 こんな環境、状態じゃ無理だ。

 どうやって時間を潰そうか。

 それにしても久し振りに受けている授業だけど、一時間ってこんなにも長かったんだな。

 退屈だ。


 退屈な長い時間がようやく終わった。これでようやく学校から解放される。

 結局あれからも何度か一応無駄に足掻いてみたけど見事なまでに徒労に終わってしまった。

 何も思いつかなかった。

 それよりも、さっさとこんな場所から出よう。ここは騒々しすぎる。考えごとをするには向かない場所だ。もっと静かな場所、一人になれるような場所ならもしかしたら良いアイデアが浮かんでくるかもしれない。多分そうだろう、きっとそのはず。

 停学前と同じように一人教室から出て行く。

 人を避けながら廊下を歩く。帰る。

 帰るはずだったのに、気が付いたら屋上の前にいた。

 習慣というのは恐ろしいものだ。無意識のうちにいつもの行動をとってしまっている。

 もうこの先に進むための鍵は俺の手の中にはない。すなわち向う側には行けない。

 こんな場所にいつまでもいる必要はない。

 こんな場所にいるところを教師にでも見られたら厄介だ。せっかく処罰が解けたのに要らぬ誤解を与えてしまう。余計な詮索をされてしまう。

 一刻も早く立ち去らないと。

 遅かった。下から足音が聞こえてきた。誰かが階段を上っている証拠の音。

 誰が来たんだろう? やっぱり先生か。俺が侵入していたから監視の目が厳しくなったのだろうか、見回りを強化したのだろうか。

 けど、こちらもまあ疚しいことはしていない。立ち入り禁止の場所に今日は足を踏み入れていない、というか入れないし。

 足音の主は藤堂さんだった。

「うん、藤堂さん?」

 一週間ぶりに見る顔だ。同じ教室にいるのだから今朝から顔を見る機会はあったけど、俺の意思で見ないようにしていた。

 その顔を見る。少し痩せたような感じがする。けどまあ、元気そうだ。

 藤堂さんと目が合う。暗いからよく判らない、確証はないけど、なんだか少しうれしそうな。

 階段を上る速度も少しだけだが早くなっているような気が。

 でも一体何をしに来たんだ?

 藤堂さんの脚が残り三段のところで止まる。

 俺を正面から見ている。何かを言いたそうにしているけど、なかなか言わない。

 言葉が出てくるのを待つべきだろうか。それとも俺から何かしら話しかけて会話したほうがいいのだろうか。

 どうする。

「学校では近付かないでくれるかな」

「えっ?」

 漏れ出るような小さな声が聞こえた。理解してもらえなかったんだろうか。

「近付かないでほしい」

 もう一度、ゆっくりと諭すように言う。そして藤堂さんの横を抜けて階段を下りる、駆け下りる。

 一刻も早く藤堂さんの傍から離れないと。こんな場面を他人に、とくに教師に見られでもしたら大変だ。

 屋上への無断侵入で停学の処分を受けたのは俺一人だけ。藤堂さんのことはバレていない。

 それなのに俺と一緒のいるところを教師の誰かに見られでもしたら、こんな場所に一緒にいるところを目撃されたら。

 要らぬ誤解を与えてしまうことに。

 あの時の生徒指導室での教師たちの尋問で藤堂さんのことは絶対に秘密にしていたのに。

 それが一緒にいるところを目撃されたら、その秘密が綻び露呈してしまうかもしれない。

 そうなったら藤堂さんも俺同様の処分を受けることになるだろう。

 あんな目に合うのは、停学処分を受けるのは俺一人で十分だ。藤堂さんに被害が及ぶのは絶対に防がないと。

 屋上での一緒に過ごした時間は俺にとってはすごく有意義で楽しかった。もうあんな時間は二度と過ごせないけど、しょうがない。でも、一人でいるのには慣れている。

 藤堂さんには絶対に累が及ばないようにしないと。

 それには俺に近づかないのが一番だ。俺の傍にいれば目を付けられてしまう可能性がある。

 それを言葉にして伝えたつもりだったんだが、ちゃんと伝わったんだろうか。

 横を通る時、チラリと藤堂さんの顔を見たけど何故だか動揺しているように映った。まあ、多分俺の気のせいだと思うけど。動揺なんかする理由はないはずだし。

 それとももう一度引き返して言い直しておいたほうがいいのだろうか。もしかしたら俺の真意は伝わっていないという可能性もある。

 どうするべきなのか。

 止めた。近付かないほうがいい。

 きっと判ってくれるだろう。

 けど、やっぱり。二度目の言葉は誤解を与えてしまったんじゃないだろうか。学校で、という言葉を省略して言ってしまった。深読みすると、もう二度と近付くなと、とられてしまう危険性もある。

 やっぱり戻るべきなのだろうか。もう一度伝えるべきなのだろうか。

 大丈夫なはずだ。藤堂さんは判ってくれるはずだ。

 学校では近づけないけど、他の場所なら問題はない。

 例えば紙芝居の上演を行っているショッピングセンター。あそこなら学校から離れているから先生に見られるという可能性は低いだろう。万が一見られても、上演中の観客というだけで親しいなんて思わないだろう。

 そういえば、藤堂さんは全然観に来てくれないな。けどまあ、今度は観に来てくれるかもしれない。その時は無様な上演をするわけにはいかない。

 俺はそのまま引き返すことなく、そのまま階段を下り続ける。下駄箱に向かう。靴を履き替え駐輪所。サドルに腰を下ろす、ペダルの足を乗せる。

 一路、稽古場へ。

 久し振りの自由な時間。外は晴天、自転車日和。走りに行くのは丁度良い気温。一週間走っていないから身体が疼いているけどそれは取りやめ。

 同じく一週間ほとんどしていない紙芝居の稽古をしないと。

 考える。今度藤堂さんが紙芝居を観に来たら、何を上演しようか、と。

 考えないといけないのは紙芝居の制作のことなのに、どの紙芝居を上演しようか、そればかりを考えて自転車を走らせていた。 


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