第36話 停学期間 3


   みなと


 鏡の中の私はものすごく痩せていた。

 目の下には濃い隈もある。頬も痩せこけて色も白を通り越して青白く映る。

 まるで、幽霊みたいだ。

 いつの間にこんな風になってしまったのだろう。

 毎日鏡を見ていたはずなのに全然気が付かなかった。

 服を脱いで下着姿になる。鏡に全身を映してみる。

 ガリガリな体がそこにあった。

 女子なら痩せるのは嬉しいことだ。それはもちろん私も。でも、この状況を無邪気に喜べたりはしなかった。

 痩せすぎで気持ち悪い。所々骨が浮き上がっている。それにブラも少し浮いている。少し前まではちょっときつい、窮屈なくらいだったのに。

 こんな酷い顔と体で毎日過ごしていたのか。そう考えると一層憂鬱な気持ちに。

 どうしてこんな目に合っているんだろう?

 その理由は分かっている。けど、どうしようもできない。 

 幸いなことに今日と明日は学校は休み、部活もなし。こんな酷い姿で外にでなくてすむ。

 ずっとこのまま部屋の中でじっとしていたら、登校しなくちゃいけない月曜日の朝には少しはマシに、元の姿に戻っているだろうか。

 せっかくのお休みなのに何もしないのは少しもったいない、元気だったらそう思っただろう。だけど、何もする気が起きない。

 以前も一回、これに似たようなことがあった。初めての部活で体がすごく疲れていた五月の連休。けど、あの時はまだ寝るという明確な目的があった。

 けれど、今はそんな気力さえ皆無。

 こんな状態じゃ駄目。このままじゃ周りの皆に心配をかけてしまうし、私にとってはきつい部活も耐えられない。それに週があければ先輩はまた私を求めてくるはず。

 この二日は先輩から急な呼び出しはないはず。昨日、家族で大事な用事があると言っていたから。

 土日の二日間で元に戻らないと、回復しないと。

 もう何回も経験したのに、まだする度に痛くなる。だから、痛みを癒さないと。

 けれど、この痛みはどうすれば消えてくれるのか分からない。

 普通の切り傷なら傷薬を塗ったり、バンドエイドを貼ったりすればいい。でも、ここはどうすれば治るのか? 分からない。そして、こんな恥ずかしいことは他の人には聞けない、話せない。

 このまま寝ていれば良くなるのだろうか。じっとしていれば塞がるのだろうか。

 分からない。

 寝るのでさえ億劫に感じられた。だから、そのままベッドの上で何もしないでいた。


 気が付いたらもう夕方になっていた。お腹が小さく鳴る、空腹を訴えてくる。昨日は晩御飯を少し食べただけで、後は何も口にしていない。

 ほぼ丸一日何も食べていないことになる。

 体が栄養を求めている。食べれば、この貧相な状態からいくらかは回復するだろう。けど、あまり食べたくない気分。

 どうせ食べても、すぐに吐いてしまう、出してしまうはず。

 このままベッドの上に何もせずに寝転がっていよう。

「おねえちゃん、ごはんー」

 ドアの向こうから元気のいい声が響いた。信くんだ。

 せっかく呼びに来てくれたけど、食べる気は依然起きない。それに返事を返すだけの余裕も、気力も、体力もない。

 そのままのかっこうで寝転んでいるだけ。

 バンッと大きな音を立ててドアが開く。いつまでたっても出てこない、返事もしないから信くんが部屋の中に入ってくる。

「はやく、たべよ」

 そう言って、ベッドの中の私の腕を小さな手で引っ張る。

 それでも私は動けない。

「ママがごはんたべたら、おねえちゃんすぐにげんきになるって」

 私の様子が普段とは全然違うことを気にかけてくれているんだ。そして、元気になってほしいと思ってくれているんだ。

 信くんを見る。すると、信くんは私に満面の笑みを見せる。

 この純粋な笑顔には逆らえない。 

 どれくらいの時間過ごしていたのか分からないベッドから私はようやく下りる。部屋から出る、リビングへと。

 今日は土曜日、夕飯の時間なのにリビングにはお父さんの姿がなかった。

 いつもならもう一人で晩酌をしている時間なのに。休日出勤だったのだろうか、それとも別の理由なのだろうか。

 全然知らない。

「湊ちゃんはちょっと待っててね、今作るから」

 テーブルの上には私の分は準備されていない。体調が悪いことを考慮して、お母さんが別で作ってくれている。

 出てきたのは煮麺にゅうめん。あんまり食べたくない。けど、せっかくお母さんが作ってくれたんだから。食べないと、申し訳ない。

 温かい卵とじのお出汁を口にする。冷たい、生気のない体が中から少し温まってくる。

 麺をすする。軽い食感。これなら全部食べられそうだ。

 心は食を求めていない。けど、体は食を求めていた。

 あっという間に完食してしまう。

「げんき、でた?」

 横に座る信くんが聞く。心配そうに。

 まだ小さいのにえらいな。こんな風に他人を気付かえるなんて。先輩もこんな感じだったら良かったのに。

「……うん」

 返事を返す。

でも、噓。本当は元気なんか出てこない。けど、幼い弟にも心配をかけたくない。

「あのね、わらうとげんきになるんだよ」

 私の噓は幼い弟には通じなかった。アドバイスをもらってしまう。

 信くんの言うとおり、今の私にこの状況を笑い飛ばすだけの精神力があれば、元気でいられるだろう。

 けど、そんな気にはならない。とてもじゃないけど笑えない。

「そうだー」

 また深く落ち込みそうになっていく私の耳に信くんの大きな声が響く。

「いっしょにかみしばいをみようよ。そしたら、おおわらいできるから」

 そうか明日は日曜日だ、紙芝居の日だ。

 観に行ってみようかな。そうしたら、もしかしたら気が晴れるかもしれない。

 だけど、結城くんはいるのかな。

 それに……一人だけ罰を逃れた私がノコノコと観に行ったりなんかしたら結城くんは気を悪くするかもしれないし。

 でも観に行きたいな。

 全然観ていないし。

 あ、それよりも結城くんに会っているところを万が一にも先輩に見られたりしたら。

 そうしたらあのことをばらされてしまう。あの時撮られたものを世界中に拡散されてしまう。

 ……行けない。

 ……だけど行きたい。

 でも、結城くんが確実にいるという保証はどこにないし。停学処分中だから、自宅謹慎で外出なんかできないはず、そんな状態で紙芝居の上演なんか。

 だけど、もしかしたらという可能性も。

 けど、先輩に見られたりしたら困るし。

 大丈夫なはず。私が住んでいる街は、結城くんが紙芝居を上演するショッピングセンターは、先輩の家から離れている。こんな場所にまでは先輩は来ないはず。

 行こう。元気をもらいに行こう。

「大人は紙芝居なんか観ないわよ」

 お母さんの一言で、少しだけ回り始めていた私の思考が停止する。

 大人は紙芝居を観ない。

 私は、望んでもいなかったのに、あんなことをしてしまった。

 夏休みの終わりにセックスをした、処女じゃなくなった。もう子供じゃなくなった。それだけじゃない、その後も何回も抱かれた。

 昨日もした。

 私はもう子供じゃないから、二度と結城くんの紙芝居を観たら駄目なのだろうか。

 食べたから、ほんの少し元気が出てきたはずだった。

 それなのにまた憂鬱に。落ち込んでいく。


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