第33話 二学期 3


   こう


 いつものように屋上へと行こうとしていた俺を担任が呼び止める。職員室に今すぐに来るようにというお達しを受ける。

 呼び出しを受けるような理由を思いつかない。一応夏休みの課題は全部提出した。授業中の態度だって全然聞いてはいないけど真面目に受けているような演技をしている。

 どうせ、大した理由ではないだろう。そんなことを考えながら暢気に職員室へと向う。

 違った、ものすごく大した理由だった。

 呼び出しの理由は、別館の屋上に無断で侵入している件。

 職員室からすぐに別室へ、生徒指導室へと連行される。イスに座る俺を、担任、学年主任、それから生徒指導の先生、三人が取り囲む。

 生徒指導の先生が俺を強い言葉で責めてくる。それを担任が少しだけ庇う。学年主任は腕組みをして黙って俺を見ている。見事なまでの役割分担。まるで安手の警察コントのようだ。昔、あの人に尋問の仕方を教えてもらったのを思い出す。それと同じことが今、目の前で繰り広げられている。

 本来なら複数の大人に囲まれて萎縮すべき場面なのかもしれないけど、俺はそれどころではなかった。笑いをこらえるのに必死だった。ここで吹き出したりしたら火に油を注ぐには必至。

「あんな場所に一人で何をしていたんだ? 何か悩みがあるのなら先生が相談に乗るぞ」 

 担任がなかなか口を割ろうとしない俺を宥めすかせようと優しい口調で言う。

 俺は何もしゃべらない。口を開けば笑ってしまいそうになるから。

 必死に笑いをこらえる。こらえながら、さっきの担任の言葉で一つ引っかかることが。

 どういう経緯で屋上への無断進入がばれたのか判らない。けど、先生方は俺が屋上に俺が一人で侵入していたと思い込んでいるようだ。

 あそこにはもう一人いた。だけど、もう一人の存在は知られてはいない。

「えっとですね、……俺が屋上に行くようになったのはあそこの鍵を貰ったからです。くれたのは従姉で、ここの卒業生です。最初はそんなものもらっても行く気なんてなかったけど。五月にちょっと私事で嫌なことがあって、教室の中はいつも煩いから静かな場所で一人になりたいと思ったんです。その時、鍵のことを思い出して……それで行くように。その後は一応嫌なことは解決したんですけど、一人でいるのがけっこう居心地が良くてずっと行っていました」

 吹き出しそうになるのがどうにか治まったので俺は自ら悪行の説明を、当の本人は悪いことと思っていないけど、そしてあくまで一人であったことを強調して。藤堂さんも一緒にいたことは絶対に秘密に。

 藤堂さんが屋上に来ることになったのは俺に要因がある。そんな藤堂さんを絶対に被害が及ばないようにしたかった。知られていないのなら死んでも隠し通すつもりだ。

 かっこつけるつもりはないけど、この罰は一人で受ける覚悟。

「その従姉って、もしかして伊藤ヤスコのことか?」

 今迄黙って座っているだけだった学年主任が静かに口を開く。

「はいっ」

 ヤスコはここの卒業生。知っている先生がいてもおかしくはない。

「そうか、やっぱりアイツら屋上の鍵の複製なんか造っていやがったな。あの時なんか変だなって思ってたんだよな。ずっと鍵を借りに来ていた連中がいきなり来なくなったからなー」

 何かを思い出しながら、そして笑いながら学年主任が言う。

「知ってるんですか、ヤスコのこと?」

「知っているもなにも、俺はあの当時の演劇部の顧問だよ。まあ、知識も経験も無いから一応だったけどな。それにな、アイツらが劇団立ち上げたのも知っているし、観に行ったりもした。小さかった君のお芝居も観ているよ」

「……そうですか」

 向うは記憶があるみたいだけど、俺には全く憶えがない。

「それじゃ、もう一度聞くけど。屋上に合鍵で侵入していたことは認めるね?」

「はい」

 神妙に頭を垂れて言う。素直に認める。

「ずっと一人でいた? 他に誰か一緒だったということはないね?」

 隠し事をしていることをまるで見透かされているような気分に。

「……はい……俺一人です」

 虚勢を張って噓をつく。舞台上よりも、紙芝居よりも緊張しながら芝居をする。

「そうか、それじゃ結城の言葉を信じるか。それから鍵だけどな、学校側で一応回収するからな。伊藤からの入学祝みたいだけど、悪く思うなよ」

 別に悪いなんて思わない。ヤスコがこんな鍵なんか寄越すから、こんなことが起きたんだ。

 俺は財布の中から鍵を出し、先生方の前に、机の上に置いた。

 そして、停学一週間の処分を受けることに。


「航、アンタ停学になったんだって。アンタにそんな度胸があったんだ。一体何をしでかしたのよ?」

 大声で笑いながらヤスコが俺の部屋のドアを勢いよく開けて入ってくる。

 こんな登場の仕方ではあったがヤスコは俺を完全に馬鹿にしているわけではない。落ち込んでいないか心配して用事も無いのにわざわざ様子を見に来てくれたのだ。

 判ってはいるが、少しだけ腹が立つ。

 だから、ヤスコが入ってきたことなんか無視して山のように出された課題と反省文に取り組んだ。嫌でもしないと終わらないほどの量。こんなに出すなよ、まったく。

「いくらアイツに憧れていたからって、そんなとこまで真似しなくてもいいのに」

 呆れた口調で言う。あの人のことは傍で色々見てきたし、周りから逸話も聞かされてきた。でも、俺と同じように高校時代に停学になったことがあるなんて。それについては初耳だ。

「停学になったことあるの?」

 ヤスコのことを無視し続けるつもりだったのに思わず聞いてしまう。

「アンタ知らなかったの。したなんてもんじゃなかったわよ。色々学校と遣り合ってさ、最後は先生方と大喧嘩して退学。そんで一人で勉強して大検をとって大学行ったの」

 昔のことを懐かしむようにヤスコが言う。

「……そうなんだ」

「そうなのよ……それでアンタは何をしでかして停学になったのよ。下で叔母さんが嘆いてたわよ」

 この問いには答えるつもりはなかった。母さんを悲しませてしまったのは正直申し訳ないと思うが。でも、あんまり反省はしていない。

 急に首が苦しくなる。ヤスコがいつの間にか俺の背後に周り込み羽交い絞めを。  ヤスコの太い腕が首に入る。

 振りほどけない。

「ほらほら、さっさと言いなさい。言わないと苦しくなるわよ」

 締め上げが強くなっていく。宣言通りに苦しくなっていく。息ができない。意識が遠くなるような感覚の後、急速に空気が肺を満たす。ヤスコが締め付けをようやく緩めてくれたからだ。

「ゲッホゲッホ……今まともに首に入ってたぞ」

「ほれ、話してみな。言わないと今度は首だけじゃなくて、胸をおしつけるぞ」

 抗議に耳を貸さずに今度は逆セクハラで攻撃すると宣言。

「……見つかった」

 停学の理由を白状する。

「見つかったって何が? それじゃ判らないわよ。主語を言いなさい、主語を」

「俺が屋上に侵入していたことが誰かに見つかった。それで学校にバレた」

 停学の理由をしるとヤスコの顔が一変する。真剣な表情で俺に手を合わせ、それから頭を下げる。

「航、ゴメン。アタシのせいだ」

 いつもとは違う真剣な声で謝罪される。

「どうしてヤスコが謝るんだ?」

 謝られる理由が判らなかった。たしかに一時ヤスコのせいにしてしまおうかとも考えたが実行したのは紛れもなく俺自身だ。

「だってアタシが入学祝に屋上の鍵をあげたのが原因でしょ」

「べつにヤスコのせいじゃないよ。鍵を入学祝でくれたのはたしかにヤスコだけど、使用したのは俺の意思だ。それに見つかったのも俺がへましたせいだろ、多分」

「でも……」

 それでもヤスコは一応責任を感じているみたいだ。

「注意して行動してたつもりなんだけどな。運が悪かったのかな」

 そう、運が悪かっただけだ。俺以外は誰も大きな被害を被っていない。ついていない俺が一週間の停学になっただけだ。

「あっ」

 何かを思い出したかのようにヤスコが突然大声を出す。

「なんだよ、いきなり」

「あの子は?」

「あの子?」

 突然降って涌いて出てきた、あの子、が誰のことなのかさっぱり判らない。

「ほら、あの子、あの彼女よ。何回か紙芝居を観に来てくれた背が高くて可愛い子。アタシ、前にアンタのことを聞かれて彼女に屋上のことを教えたから」

「ああ、藤堂さんのことか」

「そう、その藤堂さん。あの子さ、アンタと話に屋上に行ったの?」

「うん、まあ」

「……それじゃ、もしかして彼女も停学になったの?」

 不安そうな声でヤスコが聞く。俺が停学になったのだから、彼女も停学になったのではと心配しているようだ。

「大丈夫だよ。停学になったのは俺一人だけだから」

「……アンタだけなの?」

 安堵の声という表現がピッタリな音。

「うん。職員室に呼び出されたのは俺一人だけ。藤堂さんは見つかってなかった。それでも散々他に誰か一緒にいなかったかと聞かれたけど隠し通した。俺の責任だからさ、俺一人が罪を被ればいいよ。藤堂さんは巻き込みたくないし」

「えらい」

 大声で言い。ヤスコは俺の背中を平手で強く叩く。ものすごく痛い。なんでそんなに馬鹿力なんだ。

「好きな子を庇って一人だけ停学になる。よっ、男だね、航」

 好きな気持ちは片思い。彼女には多分……。

「べつにそんなんじゃないよ」

 そんなんじゃないと言いつつも、少しだけ照れている自分がいた。

「何照れてんの、可愛いなアンタは」

「照れてなんかないよ」

 反論するがこの段階でもうヤスコの玩具になってしまっていた。

「ところでさ、停学の期間は?」

「一週間」

「それじゃ、アンタは一週間もの間暇なんだ」

 笑いながらヤスコが言う。この笑顔にはあまり良い記憶はない。こんな顔をするときには決まって俺に厄介ごとが舞い込む。

「暇じゃない。山のように課題がでたし、反省文もある。それに毎日担任が様子を見に来るって言ってた」

 机の上の大量のプリントを指差した。これを全て片付けないと一週間の期間が過ぎても復学はできない。そのままお休みが継続されてしまう。

「でもさ、それ以外にはすること無いわよね。外出も禁止されているわよね」

「まあ一応、そうだけど」

「だったら航、アンタ紙芝居を創りなさい」

「……はい?」

 ヤスコの言葉はちゃんと聞こえていた。でも、それを脳内で理解するのに時間がかかった。ようやく意味が判ったが、もしかしたらヤスコは言い間違えたのかもしれない。 

「いい機会だからアンタも自分で紙芝居を創ってみなさい。アタシ達が創ったのを上演してるだけじゃ面白くないでしょ」

 紙芝居は劇団員、と言ってもその大半はヤスコの、の手作り。俺は紙芝居をするだけ。創るという考えは今まで一度も持ったことがない。

「無理」

 即座に拒否をする。俺には絶対紙芝居の創作なんかできない。胸を張って断言できる。

「やる前から諦めていたら何もできない。上手い、面白い紙芝居を創れという無茶な注文を出したわけじゃないんだから。とにかく、書いてみなさい」

「……でも俺……絵を描くのなんて無理だし」

 子供の頃から絵は苦手だった。絵心というものが見事なほどに欠落していた。某国民的猫型ロボットの絵さえまともに描けないのに。中学の美術の時間に聞いた先生の酷評が未だに耳に残っているくらいだ。あの時二度と絵なんか描かないと誓ったんだ。だからこそ高校での選択授業で美術が除外したのに。

 俺の絵が壊滅的に下手なことを知っているヤスコが大笑いする。

 自覚はしているが、そんな風に笑われるとさすがに気分が悪い。

「アンタの絵が壊滅的に下手なのは知ってるから。絵まで一人で描けという無理な注文はしないって。絵はアタシが描くから、航は物語を創りなさい」

 考える。

 あの人も紙芝居を創っていた。多くの作品を残していった。もしかしたらヤスコの言う通り良い機会なのかもしれない。

 世の中、なにがきっかけでどう転ぶのか判らない。

「……わかった。一応書いてみる。……でも下手でも文句言うなよ」

 一応書いてみる。でも、上手くいくような自信なんて皆無。だから、予防線を張った。

「いいわよ別に。それじゃ、航も紙芝居を書くということで決定」


 こうして、俺の紙芝居の制作がヤスコによって無理やり決められてしまった。

 非常に不本意ながらも。


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